1番大切な誰かに、または1番大切な人たちに、好かれようとする必要は無いと思う。
こうしてもらいたいという願望は、時として目的となる。
たとえば、それが好かれたいということだとして考えてみる。
好かれたいと思う人が結果的に何を得るのか。何も得ることはできない。
しいていうなら媚(こび)を売るという結果になってしまうのが割合的に多い。
それが純粋に好かれたいと思って行動したとしても、結果は結果でしかない。
すなわち、絶対に裏切りたくないのではなく、好かれたいのだから、感情に対するツメが甘いわけで。
なぜ好かれたいのかという気持ちの、更に奥深くを見極めていないということになる。
結局、曖昧な目的と化してしまったということ。
曖昧な目的に対し、明確になった つ も り の行動は、ひとり歩きをする。そしていずれ暴走する。
暴走するのは現実の中での、暴走。あなたの中ではソノ地点ではまだ旨くいっていると思い込んでいるはず。
誤解の無いように書いておくけど、好かれたいという思いは自然な感情。
人として当たり前の気持ち。
ソノ感情を剥き出しにするのが子供、或いはアダルトチルドレン。好かれたい、ソノ気持ちのままに目的を絞ることを示す。
しかし大人は違う。
好かれたいというのは、目的にするものではなく、結果があって初めて可能性が出でくる事柄です。
好かれたいというのは、結果的に打算になってしまう割合が多い。
汚いやつ。そう思われることもある。
また、事実としても同じ意味が言える。
そしてこうした事例は、男女間だけではなく、家族間でも、家族以外の対人関係でも、同じことが言える。いわゆる汚い大人。家族ごっこなどなど。
子供の頃に大嫌いだった、特定の大人。
子供に嫌われる大人、割合的に多いのが嘘吐き。たいていがキレイ事。いわゆる理想論を基盤にしていること自体が、子供(または誰か)を裏切っている。すなわち非現実で生きているということ。
理想論>気持ち=非現実
この場合
理想論=嘘+事実+欲望
またこうも言える場合もあります
理想論=虚勢(嘘+事実+欲望)
そして
理想論<気持ち=現実
この場合
理想論=本心+謙虚+祈り(または、それに近い心理)
現実としての基盤が崩れると、人は簡単に現実から離脱します。
精神が蝕まれ、或いは精神のシステムに誤作動を生じ、そのバランスを取るための代理の何かで穴埋めをします。
ソノ穴埋めは、代理の中身が代わっても継続させなくてはいけない事柄となります。場合によっては依存症を招くこともあるでしょう。
気持ちの込め方が人間性の基盤をつくります。
遺伝がどうだったとしても
後天的に何かが現れたとしても
それでもそれがあなたそのものであり
ソノ中で気持ちを込めて生きることが人間性を良い意味で変化させていくもの。
人が人として生を全うする。それを可能にするのは、あなたの気持ちの込め方次第だと思います。
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