白月光
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あなたは本当の自分で生きてますか?

どう思いますか………

調べたいことがあってネットで検索していたら、たまたまヤフー智恵袋へと辿り着きました。

智恵袋が、自分の知りたいことにヒットしたとは思えなかったけど
とりあえずその内容を読んでみたんです。

まず、相談内容だけど

結果と過程、そのどちらが大事か。

もし結果が大事だとしたら
人の(最終的な)結果は死。

過程が大事だから努力しているのではないのか…?

※ 意味を変えない程度に文章は変更してあります。

という質問でした。

質問した人の言いたいことをまとめてみると、たぶんですがこんな感じかと。

人が出す(最終)結果は死である。
ということは、全ての結果は死へと結びつく。
だからこそ過程の状態で、人は努力するんですよね?

ということなのだと思う。


まあ、(質問の方向性がどうこうではなく)この質問をした人の言いたくなった気持ちが分からないわけでもない。
なんかの拍子にツボに入って、樹海のようになった思考をぐるぐる巡りした挙句、ついには質問してみたというところだと思う。


この質問は質問でよしとして。気になったのが、ベストアンサーに選ばれた回答。

回答者は、どちらかというと結果だと答えている。
確かに世の中で生きていくには結果を出さないと、社会的、精神的、その他もろもろのバランスが取れなくなってしまう。なので、その答えは(本当のことはどうあれ)うなずける。

けどね問題はその後へと続いた文章。

結果が重要なのは目的があるからです。
結局、目的の無い努力は、結果になんの価値も無い。

※ 意味を変えない程度に文章を変更してあります。



この回答について、どう思います?!



というか、結果は、目的となんの関係もないですよね。

しかも結果とは結果論のことですよね。

考えたとしても、考えなかったとしても、結果は出ますよ。

意識してやっても、無意識だったとしても、リアルタイムで結果は存在しています。
ただ、結果に気が付くか気が付かないかというだけでしょ。たとえば、考えていたのか、考えていないのか、うっかりしていたか…とかね。



あと、他のサイトなんですが、そこはHPです。
そのHPには、こう書かれていました。


目的が設定され、その目的が達成されたかどうかを判断する。それが「結果の」定義なのだ、と………。


流石に、最後まで読む気にはなれませんでした。




こういった話題は、対話をする相手が居るのと居ないのとでは、後々の人生観が違うのかな、なんて思います。

いや、人生観というよりも
本当のことを理解することについてと言った方が善いのかもしれないですけど。

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もう少し(v^ ^*)☆

陶芸教室の再チャレンジをして、先月焼きあがった作品。

その中で手を加え加工したのが
私の母親へプレゼントした白蛇の置物と、灯り取り。

100928_1400~01.jpg

こちらの白蛇の置物は加工前。








白蛇の置物はルーターで陶器表面を削り、赤色の目を入れました。

目を入れた後の写真は、うっかり撮り忘れ。

だって母親の喜ぶ顔を想像しながら加工していたので
出来上がったと同時に、早く持って行かないとという気になりまして……(苦笑)


それから、灯り取りは台(木枠)を(だんなさんに)加工してもらわないと、とてもじゃないけど私には無理という状況でした。(ハッキリ言って、やろうともしない。数字が関係すること自体が駄目ですね…笑)

100928_1401~02.jpg

これが加工前の灯り取りです。


ただの筒になっています。





それで先日、だんなさんが木枠を完成させてくれたので、
次の工程の木枠の色塗りと紙粘土の飾りへと進むことができました。




まだ紙粘土が乾燥していませんが…


58fcdf88.jpg

こんな感じ。




どうでしょう^^☆








いやすぎますか………(笑





紙粘土が乾燥したら、最後は紙粘土の色塗りです。

暫らくは放置ですね。




まあ、とても良い時間を過ごしましたよ。



素直に楽しかったです。

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主観は事実を歪曲しやすく、自分を追い込むもの

常に主観で物事を考えていると


事実を歪曲して捉えるもの。


主観で判断した場合、最悪は事実無根という状況に追い込まれる場合があります。




これをそのまま人間関係に置き換えたらどうでしょう。



当然、人間関係でつまづきの連続ですよね。





あるがままに捉えることは善いことです。



自分の気持ちを感じるのも善いことです。




しかし、それ以前に本当のことが理解できてなかったら

現実を見ていないということになります。



そうなると存在している位置は、現実と現実の狭間あたりですよね。



今という現実を生きていないことになります。




感情は感情、現実は現実です。


結局、感情と現実が、うまい具合に同じタイミングで存在しているというだけのこと。



ただのタイミングを同一視してしまい、大切な自分の気持ちを置き去りにする。

感情を優先することは、最終的には感情を抹殺する状況へと結びつきやすいものです。


それでは、あまりにも自分自身が哀れだと思います。



目的の達成とは、目的に関連の在るものを遂行することでしか、達成できないもの。



そういう方程式がこの世には存在しているのだと、日々感じています。



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要因を浮き彫りにする連関図法

先日のブログで脳に使われるのではなく脳を使うという記事を書きました。

その時にマインドマップをお勧めしたかと思います。


そして、実践してみた人はいたかもしれないですね。


今日は私が答えを出す時に使用している連関図法を紹介しようかと思います。

携帯からは図に書かれている文字が読み取りづらいかな。

簡単に言うと

テーマがあり、Aを選択した場合とBを選択した場合、或いはCを選択した場合
それぞれが自分を取り巻く状況でどうなっていくのか。
最善の選択は?(これはたとえです)

というように文字と矢印で図を書き、主に原因究明に用いるものです。


私の場合、あまりにも莫大な情報が在る時はパソコンで処理しますね。
ちなみに、フローチャートのフリーソフトをダウンロードしてあるので
それでやってしまいます。


fimg_1287569975.png






上にある画像が(書きかけの)連関図法。

余談ですが、フリーソフトで作ったものではないです。

それと、赤字で書かれているのがテーマ(問題となっている物事)です。

※ ……特にお隣の人が騒音を出すこともないです^^;
たんに例題としてのテーマなんで。


さて取り組み方ですけど…
いや、取り組みというよりも、いつもの自分のやり方です。


まずテーマに関連している情報を箇条書きにします。

次にそれら情報をテーマに沿って配置していきます。


当然、足りない情報(あるいは条件)や必要の無い情報などが出てきます。


なので書き直しが、多い割合で発生します。


それがめんどうなので私はパソコンでやります。


それでも印刷の段階でコピーすらできないくらい、図がはみ出てしまうと予測できる場合は


増えそうなポイントだけを抜き取り、タイトル別にして分けて書いてしまいます。


簡単に言うと、分別するという意味です。


fimg_1287570352.png






「お隣の騒音がうるさい~険悪にならないために」を仮に親とすれば

子が主体になったページが、(子のテーマのぶんだけ)増えていくというわけです。


大きな図と大きな紙をながめつつ理解不可能になるより、小分けにして在ったほうが理解しやすいでしょ。
とはいっても、その感覚は人にもよるのかもしれない…。



あと、ページを増やすタイミングは、パソコンじゃなく紙を使ったとしても同じことです。



暇をみて、トイレで5分。電車の中で5分。
地味にやっていけば、結構取り組めるものです。


しかもマインドマップのように色を付けたり絵を描いたりと、面倒な手間は無し。
あるのはテーマとそれに伴なう条件や方向性、そして矢印。



まあ、ということで

いつも同じポイントで、間違うとか失敗するとか…
そういった身近な部分から改善をしてみるのもひとつの手段かと思います。

ちょっとした問題だったとしても、なにをすれば良いのかがわかれば、今よりは心が軽くなります。


もし連関図法により答えを導き


「なにをすれば良いのかが」わかったのに


実践(自分の行動)が伴なわないとしたら……?!


なぜやろうとしないのか?


なぜできないのか?


というように改めて連関図法を書いてみるだけのこと。
運が良ければ、たまたま、長年の悪い習慣を発見できることもあると思います。


ハッキリ言って慣れないと書きにくいです。

だからこそ将棋の問題を解くかのようにじっくりと考え、焦らず取り組んでみる。

すると、なにかしら善い意味での兆しが見えてきますよ。



連関図法を完全に仕上げたいのなら


□ まず1度にやろうとしないこと(結果を気にせず、気長に)。


□ 次に諦めないことです(焦らず地味に)。


□ そして僅かな時間で行なうこと(放り出さないために)。


このみっつが重要ですかね。




この時間にやるというよりも、このタイミングでやるといったほうが長続きしやすいです。



ちょっとした時間を活用し問題解決をはかり、後々の心の潤いを期待してみてはどうでしょうか^^☆

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本気と一生懸命は違う

動じない精神。

揺ぎ無き思い。

焦りのない感情。


自分の器の領域を越せば
そんなものは木っ端微塵に砕け散る。


見てきたものの違いや差は大きく。

通り抜けた道の違いや差は大きく。

その道はその道でしか分からないもので…。


この世は
逃げずに通らないと分からないものだけが存在していると、そう感じる。


何かに立ち向かい負けたとしても
それは現時点の負けであって。

いや、負けは負け以外の何者でもない。

それでも、その位置まで辿り着くという強い意志が僅かでも残っているのなら
逃げてきた道を何度でも通い直せば良い。

器の違いがあったとしても

努力に、大きな違いがあったというだけのこと。

負けるとは、ただそれだけのこと。


逃げてばかりの人生も
我武者羅に立ち向かうだけの人生も
なぜか良く似ているのはそういうことなのだと思う。


考えること。まずはそれが基盤。


感情が事実を歪め
感情が手元を狂わす。


感情的になっているうちは
形しか手に入らない。

本物を手にしたければ、気付くことは必要不可欠。

そして気付きは、考えることなくして見つからないものだと思います。


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潔さとは結果論ではなく、その根底が大事



放棄することは簡単。

無駄な私情に囚われず、繋いだ手を振り解いてしまえば良いだけ。


常識を覆し、ただただ我が道を行くだけのこと。



そんなことは誰に言われるまでもなく
心が知っている。


もしも
その条件を飲むとすれば

リスクよりも価値の在るナニカのために、行動として結果を出すだけのこと。


潔さは時として、守りともなるし破滅ともなる。


だからこそ心の中に在る、暖かい思いは大切。生きていく上で大切。

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おばけの話し

昨夜から今朝にかけて


思いっきり霊現象と遭遇……。



正直、参りましたよ。




少し前からある人物(Aさん)から
毎晩々、おかしな夢を見るのだと何度と無く聞いていました。

その話しをなんとなく聞いていた上に、さらっと流していた私。


昨夜のことでした。とある品物がおかしいのだと、Aさんが言い出しました。
そして、それまでに見ていた夢がおかしいという状況と、点と線が繋がり…

その品物を見る(霊視する)ことになりました。



触った途端



足元から


一気に鳥肌………。最悪。



しかも

ご丁寧にリアルに手まで見せてくれたりして。気持ち悪い。


結局、さしあたり封印しておくこととなり。簡易的な封印をしておきました。



ところが……


うとうとと寝ていたら、耳元で大声。当然、跳ね起きるようにして目覚めました。

その状況は
1度ならず何度も繰り返される始末。


続いて
ドアップの顔。見せられる、物語。指定された場所。取り憑いている霊たちの数々の顔ぶれ。

しかも途中で気を失いそうになったし。

というか、正直、ここに書ききれないようなことが具体的にありました。



そして何時しか眠りに落ちた私。


でも
その眠りを突如打ち破る音がしました…

当然、霊聴ですよ。

封印した品物は音が出るんですけど、思いっきり耳元で品物の音が聴こえましたね。

勿論、その瞬間(朝方にもかかわらず)飛び起きて、封印を解きに行きましたよ。



いわゆる中途半端なことをしたんで、霊の怒りをかってしまったというわけ。


最終的には(睡眠をとってからですが)、霊障が出ないようにしましたけどね。


それにしてもハードな2日間でした。


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本当のことを見ることは心の潤いでも在る



目に映るソレはナンなのだろう…

ソレは本当のことなのだろうか。


別の空間から見たソレは
ソレとは異なる世界が見えるかもしれない。



たとえば
不幸だと思い生きている人からしたら

不幸だと思っていない人間は
自分よりもずっと幸せに見える。

しかし

幸せな人間からしたら……
両者共に幸せではない。



そう感じることが在る。



そんな状況とよく似ているのが
空間の中に存在する、異なる空間。


この空間は気付きがないと見えなくて。

心の目を開けないと見えないもの。



本物に見えるまやかし

本物に見える偽り

本物に見える幻想


そんなのが当たり前に渦巻いている、この世界。



偽りの渦は
何時でも現実と隣り合わせで存在しているもの。

それはまるで、同じものだと言っているかのような錯覚にさえ囚われることも在る。



些細なことにでも拘ること。

些細なことだとしても考えること。

それは、ほんの僅かな行動。

時間にしたらたかが数分程度のこと。

たったそれだけの行動を継続することで、本当のことが見えてくることも在るもの。




境遇がどんなであれ、人にとっての心の潤いは大切だと思います。


また、心の潤いを強く求めながら生きているのも人間です。


こういうのは、生きていく上で全ての基盤だと思っています。


※ 関連記事「鏡の世界と魔力


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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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