白月光
白月光

白月光

あなたは本当の自分で生きてますか?

何処か遠い国の土地と繋がる心

乾いた土と草の焼けた匂い。

匂いと共に
何処か遠い国の土地と心が繋がることが在る。


そこは


その国は


原始的な生活を取り入れ

どうしようもないことは受け入れ

子供みたいに喜びを全身で表し


白々とした茶と


濃い緑色と


滲むような橙色。


そんな色が


日本ではきっと見ることができないような青々とした深い空と共存した、土地。



きっと

アジアの何処かなのだろうけど。

とても人がのびのびしてて

自分らしい。


そして

見栄も

プライドもなくて。


うっとうしいくらいに密度のある人間関係


そこが村か町か分からないけど
遠くのほうで鐘が鳴り響き


寒暖の差が激しくて


水に恵まれ


初々しく弾くような魂たちが


その土地には在る。


人の優しさは
当たり前じゃないから

何時でも何処でも貰えるものじゃない。

それでも

その土地の人々は

悪意を悪意と取らなくて

まるで、小さい子がばあちゃんに頭を撫でられているような

そんな思いで誰とでも接している。


その土地がアジアの何処かなんてことはどうでもよくて。


ただただ、日本に居ても
そういう優しい気持ちで人に接することはできるよねと思いながら…

たまに、そういう風景とリンクしたりしている。


そういうのを感じて


自分のことを反省してみたりして。


忙しさに紛れて気持ちがささくれだち

そのまま誰かに、たとえ一瞬だとしても強い言葉を出してしまったり。


なんか余裕無いよね。


忙しいからって

急いだとしても、慌てる必要なんてなくて。


確かに

ここは日本だから

見えている土地のような生活はできない。

だとしても

見習うべきことは多いななんて思う。

拍手[4回]

ちょっとだけ考え方を変えるだけで変化していく人間関係

どうして、そんなことをいうの!!

なんて、人の言葉や態度を見て感じることがあると思う。


まあ、あからさまに、


そりゃ、あなたの性格が悪すぎる。


という以外は、案外、自分の心が都合良く解釈していることが多いもの。

ここ数年、心理学が注目され、それなりに知識のある人はわかると思う。
まあ、でも今日は心理学というよりも、普段から霊感で理解してしまうポイントをサラッと書いておこうと思います。


たとえば

誰かと出かける約束をしていて、相手が行く以前から何処となく行きたくないような態度をしていた(と、思い込んでいた)とします。

約束当日になって、案の定、相手はドタキャンをしてきた。

その場合、人は、始めに思い込んだ思考を起点にし、
(↑始めに思い込んだ=上記文章の、行きたくないような態度…)


やはり、行きたくなかったのね。


と、更なる思い込みをします。

これって、今の場合、単純に“行きたくないような”という言葉を使ったけど
人によっては、

・私と

・私とだから

・嫌がらせをしないで、行きたくないなら行きたくないって言えばいいのに

などなど、尾びれ背びれがついてしまうこともあると思うのです。


確かに、行きたくないようなというのが事実であれば、その後の尾びれ背びれは当てはまることかもしれないです。


でもね


本当に


行きたくないような……。


という言葉が正しいのかどうなのか。もう一度、考えてみるというのは大切ですよね。


だって、もしかしたら、その人は……


・相手からしたら、あなたが行きたくないと感じたかもしれないし

・何かしら気を使ってのことかもしれないし。しかも、的が外れた気遣いとか。


たとえば、そんな感じでその人なりの理由があると思う。


また、仮に、その人が行きたくないと実際に思っていたとして。
それでも、あなたが、何か理由が在るんだろうなと相手を信じて行動(または言動)をとったとします。

まあ、相手の立場を自分に置き換えたらわかると思うけど。

余程、相手が変な人じゃない限り、(信じてくれた)気持ちに応えようと思うよね。

それと一緒で、相手の気持ちを善い意味で受け取るようにすると
ちょっとだけ人間関係が変わってきたりすることが在ります。



なんというか

些細なことの集結が人間関係の何者でもなくて。

だからこそ、生きていく上で人間関係は大切ですよね。

拍手[9回]

親から見た子と本当の姿 

親は子供のことを知らない。

親から見た子供には、超えられない一線が在る。


どんなに理解のある親でも

どんなに優れた親だとしても


それでも

決して超えることのない見えない箱に、子供は世界を持つ。



親は



この子は、こういう子だから。


昔から、こうだから。


そんな風に親という立場に甘んじやすく、また、その位置とは死角でもある。


そういった死角は

時代の風を読み違え


果ては


こんな子じゃなかったのにとか

この子は嫁(婿)と結婚して変わってしまったとか


そんな風に、老いてから、時の止まったままの今を呟いたりもする。


本当はなにも見てなくて

親という立場上の死角から、余裕で見ているつもりでいて……


だから

様々な意味で
取り返しのつかない物事が現実的に起こったりもする。



揺ぎ無き愛に自信を持つことは善いことだと思う。

だけれども
愛してあげているのは、本当の我が子の心なのだろうか…。


我が子を愛するが故に

死角となる、我が子の心。


そういう現実が全てとはいいませんが実在しているのです。


その事実に気が付いた時には
何もかもが遅すぎるということもあります。


誰の命もひとつです。


だからこそ、両手で守れる立場が在るのなら、我が子の存在を愛するからこそ我が子の本当の心を愛して欲しいと思います。


なぜなら

精神の死とは

親または親と同等の立場の人間の履き間違えた愛から始ることも、往往にして在るからです。

拍手[8回]

被害者が更なる被害者を生む

もともと自分に自信が持てなくて
人に対し辛く当たる。

或いは

本当の意味で自分を見てくれた愛を知らなかったために
平気で人を傷つけたりする。


それは現実的に考えて、自分自身がまずは被害者なのだ。


けれども、その現実から生み出される被害は、自分自身だけでは収まらない。


自分以外の弱い人間。

また、立場的に下の人間。

言い返す力や、言い返せない立場の人間。


そういった者へ被害は広がっていく。


そして、場が変われば、職場と家族などその範囲は拡大していく。



自分に自信が持てないのも、

本当の自分を愛してくれないということも、


どちらも愛を知らないという結果へと、最終的には結びついてしまう。


愛を知らないということは、人として生きていく上で、何よりも耐え難い恐怖でしかない。


人格を形成する根底に、恐怖が根付くということは


虚勢をはるか


威嚇(いかく)するか


嘘吐きになるか


自分が無くなってしまうか


妄想の中に封印されてしまうか


たとえば、そういったことが、結果として起きてしまうのだと思うのです。



そして、恐怖が取り巻くそれらの行為は、最終的には“核という中心点を”必然的につくりあげてしまう。
それはまるで台風の目が核となって吹き荒れているかのような状態ともいえる。

更にいうと、台風が存在しているとしたら、当然、大気があり、大気とは脅迫的な精神状態を意味している。


だから、その場合、何かに見張られ何者かに急かされるかのように日々を過ごすこととなる。


始めは、小さな台風だとしても、移動するごとに威力は増すのが台風。


ただ、台風とそれらの精神状態が異なるとしたら、

台風は威力が衰えていくけれど、まともに考えて、人間であった場合は威力の衰えとは存在しないもの。

仮に威力の衰えが在るように見えたとしたら、表面から見て取れる状態というだけで、実際は活火山みたいなもので何も変わっていなかったりする。


こわいから


恐ろしすぎるから


だから

脅迫的な気持ちから強くなるか

脅迫的な気持ちに呑まれゼロになるか

そうしていかないと
生きていけないのは理解できる。


だとしても、傷だらけの気持ちが核となっているからといって


誰かを威嚇すること


誰かに嘘をつくこと


誰かをわざと無視する


そして、その結果、無神経な言葉や態度で精神的な暴力を振るう。


それは許されることではない。


なぜなら


人が人として生きていく上での

最低限のルールとなりえてしまう現実でもあるし

悲しくも、それが人であり続けるがための見えない掟でもあったりする。


だからこそ



たとえ被害者だとしても



被害者だということ






人を傷つけることは、別。




無闇に無差別に人を傷つけて善い訳がない。



第一、それら両者は、同じ土俵で考える物事ではない。



連なり引き続いている流れが走っているからといって、同じテーマにはならないのだと、そう思います。

拍手[4回]

大いなる力--富士山

今朝、富士山を見ました。


富士山は、何時見ても地鳴りのするような波動を持ち合わせています。


弱っているつもりもないのに、その大きな力で包まれると自分の弱っていた力を思い知らされる。


それは

自分自身への無理であり

気負いなのだと思う。
 

そうした自分の気と富士山の大いなる力が共鳴した瞬間とは
己自身の小ささを知り、だからこそ本当の姿を自覚する。


ちっぽけな人間であると共に

木偶のように見えない力に動かされている、そんな自分を自覚する。


その自覚は、決して悪い意味ではなくて。



これしかないのだから

これでやろう。



という、本当の勇気が生まれてくる。


何も持たず

在るのは初心のみで。

そんな自分が心静かに存在していたりするもの。


初心とは

本当の気持ちでもあり。

初心とは

心の軸でもあるのだと、富士山から言葉無き言葉により教わった気がします。
 

拍手[5回]

苦悩の合間に表れる未来は幸せを感じる感覚と似ている

人は悩むから人間なのだと思う。

それだとしても


その悩みの存在が巨大であったり


まるで湿気が纏わり付くかのような、継続して起こる何かだったりすると、


精神が磨り減り


正常な判断から遠ざかることが在る。



それは人の脳機能から起こる自然現象であるし、防衛本能なのだと思う。




だとしても


苦悩の合間に


埃が風に舞う時のように
誰もが気にも留めないような速さで


心の真に在る未来が舞い降りることが在る。


余りにも有り触れた感じてやってくるから
とても注意していないと気が付かないのだけど。


でも


それは


どんな状況だったとしても


ささやかな幸せを共感する感覚と同じなんじゃないのと思う。



だから子供は幸せを見つける天才だったりする。


こんなことは当たり前だよねって、そう思うことが少ないから。

だから

ほんと、ちっぽけかもしれないけど

そけだとしても、

何時の間にか
1等賞の幸せを見つけてしまうんだなって思う。

拍手[5回]

苦悩と交差する未来

ある時、ふと思ったことがある。

それは
ひとつのテーマで、とても悩んでいた時だった。

自分がどう対処するかということを理解し

仮に実践したとしても

それら問題の断片であって

根本的な解決にはならない。


だとしても


自分はどう対処していけばいいのかと、本気で考えたことがあった。



あることを最近になって理解した。


苦悩している時でも


人は無意識に


自分がこうしたいという明確な意思を持ち、染みの無い気持ちで

何時もの風景を見ていたりするのだと。


未来の光が


時折


現れ


そして


導こうとしてくれる。



その存在とは
さり気なすぎて気が付かないような、キラキラした気持ち。



それは霊的なものばかりの意味ではなくて。



自分の心の中に在る


曇り無き、思い。



その思いが一緒に未来へ行こうよと


そっと手を差し伸べていてくれる。


なんかね


空を見ていたら

そんな答えが見えた気がしました。

拍手[5回]

この空の下で

雲と一緒になって並べるわけも無いのに

雲も

空も

自分のものみたいに感じたり。


自分の味方のような気がしたり。


体が要らなくなって、自分の意識だけが空まで飛んでいき

自分が雲になってる気に、なってみたり。


なんか


この体じゃ、意識を収めきれなくなったとか

そんなことを体から言われている気もする。


肉体の存在とは生命の証だけど


意識体は存在の証でしかなく。


だから、どうだとかじゃなくて。



ただ



自由な心でいたいのだと

心からの気持ちを訴えられてしまったら

その精神を収めておける器が無いといけないよねと感じました。



だからね



空に向かい花を咲かせるような


そんな大地でいれたらいいなと思います。

拍手[3回]

占い軒龍卑のBlog




CM(コメント)のパスワードについて

パスワードを
あらかじめ入れた状態で投稿しておく事で

コメントを送信完了後でも
パスワードを入れれば
編集ができるシステムになっています。

またパスワードが無くても投稿はできます。

気軽にコメントお願いしまーす(^_^)/

プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

記事一覧

軒龍卑より

占い軒龍卑の最新情報




ハルカのぼやき






you tube

Healing Graphic arts

by: 軒龍卑













最新TB

ブログ内の記事検索



kaiseki‐test

アクセス解析

リンク集

リンク希望の方はURLを明記して、メールフォームからどうぞ。(リンクフリーではありません)

((([\/]  軒龍卑にメールをする

(1)印の部分は必須です。未記入だとメールが私宛に届きません。(2)記号や( )、特殊文字等を入れると文字化けしてしまうので、ご注意を。

最新CM

コメントを残していきなさい(笑)って冗談です。気軽にどうぞ。



[04/18 うに]
[11/15 うに]
[12/26 うに]
[10/19 うに]
[02/01 うに]
[01/24 うに]
[11/10 うに]
[09/27 アイカネ]



※当たり前のことですが、悪戯を目的とした書き込みや荒し行為は禁止です。