白月光
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白月光

あなたは本当の自分で生きてますか?

些細なことだったとしても我が本能というもの

好きという感情は、日常生活の中で盛んに脳内で反映されている出来事なのだと思う。
ただ、それらは、自分の中でどの程度の自覚があるかによって様々な感覚や思念と成り、何れ自分自身の自覚へと結びついていくものなのだろう。

この好きという感情は、人が人として生きていくことや、生まれ持っての人としての機能を存分に引き出しより良い人生を歩んでいくための必要不可欠な存在なのだと思うのだ。

たとえば誰かと小競り合い程度のいさかいがあったとして、素直にもとの関係へと気持ちや行動を向けることができればよいのだけど、そうはいかないこともある。

大抵そういううまくいかない時という場合には、知らず知らずのうちに意地を張ってしまっていることがある。
そのちょっとした意地が「好き」という純粋に湧き上がる思いを否定するものなのだ。

まあ、それに気が付くときは後の祭りというのが常だと思うけど…。

なんていうか、こういった些細な好きという思いへ素直に従うことができるようになると、人生の味が濃厚になるものなんだと思う。

その素直に従うという意味だけど、ただ好きなことを好きなままにするという意味ではない。
好きなことを好きなままに通せることもあるだろうけど、そうしてはいけない状況も在る。

…なら、好きという思いに素直に従うというのはおかしいと考えるかもしれない。だが、そういう意味でもない。


素直に思いへ従うというのは、
自分の中での反応という意味なのだ。


自分の中で純粋でも複雑でも「好き」という思いを理解することは、
何れ生き抜く勇気を持たされることと繋がっていくもの。


そして、自分の中での好きを理解してから

その後どうするかを考えればいい。


こうしなくちゃいけないから、好きでいてはいけけない。
と、否定するのもありかもしれないけど。


それだとしても、

好きな思いは本能なので

どうしようもない思いなのだし。


好きだけど、こうするしかないよね。

という道を仮に選ばざるを得なかったとしても、
その道よりもかなしいものがあるとしたら、
好きな気持ちさえ否定されてしまう自分なんじゃないのかと――、
そんな風に思うのだ。

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様々な好きという思い

好き

その言葉は 誰もが持っている我が思い
何に対しての 好き なのかは その人自身の価値観

けれども 好きでいたくないのに
その思いが断ち切れなくなってしまったりすることがある

湧き上がる願望を断ち切ることに どんな意味があるのだろうか

その思いは本当に断ち切るべき思いなのだろうか
何のために断ち切るのか

結局 辿り着く最後の答えは 自分が辛くなるから なのではないだろうか

好きの対象が人間であった場合 
相手が苦しむからというよりも
苦しんだ相手を見る自分が辛いからなのだと思うのだ

また限りなく素直に 
実らない恋や愛にしがみつく そんな自分に耐えられなくなる
ということもあると思う

対象が人間でなかったとしても
人はたくさんの 好き がある

好きを諦めるのもひとつの手段でもあるし

また

好きは湧き上がるどうしようもない本気の思いだから
その部分を抱きしめながら
荒れ狂うその部分をなだめながら
共に心の中での我が思いとして共存し生きていくのもひとつの手段なのだと思う

ただ 私自身 常々思うことは
好きなものを無理矢理きらいにしてしまわないように
あるがままに
自分の中の自然な生態系を眺めている

好きになってしまったことと

現実に生きていくこととは

異なっている

だからこそ あるがままに受け止める
四季による猛威が美となる瞬間のように あるがままに受け止める

耐えるでもなく

貫くでもなく

あるがままに……

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無事に(*^ω^*)えへへ

たぬきをお届けしてきましたよ

それで、ちゃぁんと飾ってくれました。

しかも、持って行って直ぐに飾ってくれました。

喜んでもらえると素直に嬉しいですね。


また今度、縁起物をつくろうと思います。
次の作品は自分のうちのためにですね。

ん、ということは…。
次の作品は嫁に出す寂しさはないということですね(笑)

それで、そのうち運が上がるかもしれない作品をつくって販売しようかと思います
まあ、たくさんは作るなんて無理なので。そうですね、ちょっとずつという感じで。
気長にお待ちくださいね。

その時はブログの記事にてお知らせします。

ではでは報告でした。

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狸の置物が乾燥したので…

本日、お届けに行ってまいりますうふふぅ

ただ、それだけを言うために記事をあげた私です(笑)

ほいでもって、昨夜はパンを久しぶりに作ったし。
仲良しさんとたくさんお話したし。
しかも、珈琲のみすぎ…(笑)

なんとな~く気分の善い日です

このほのぼのした他愛も無い幸せが記事から伝わり、おすそわけができますように

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眼のお話(斜視)

おはようございます。

今日も福島市はお天気が続いています。が、ちょっぴり昨夜は冷え込みましたね。
というか深夜には暖房が無いと厳しく……。
特に私は寒いのが苦手なんで。
記憶を辿っても、小さい頃から私はうちの母よりも寒がりでしたね。

まあ、暑がりの人は暖房までは必要ないでしょうけど。

それでも、うちでは深夜にヒーターが活躍していましたよ(笑)


ところでお話は変わりますが…
近年、二十代以降の斜視が増えているようですね。
なんでも、携帯やPCを使用しすぎるとなりやすいそうですよ。
あとは、遺伝。遺伝とは言ってももともと遺伝していた斜視が現れるだけとか。

で、斜視って自分では気づきにくく、誰かに言われないと分からないようですね。
だって、鏡を見ている時って眼球の位置がどうこうなんて気にしないでしょ。

しかも、周りの人も「斜視かな…?」って気が付いても当人に言わないというケースが多いそうです。
なのでなかなか発見するのが遅れてしまうという場合が多いそうですね。


それにしても、眼は大事ですよ。ほんとに。

眼は取り替えるわけにもいかないし、ましてや再生することもないですしね。
以前も書いたことがあるような気がするのですが、私は視力が悪いのでよけいに眼は大切だなとしみじみ感じています。

眼が見えていても見えていなくても、眼というのは酷使すれば疲労しますからね。
大分以前なんですが、生まれつき盲目の人がそう教えてくれましたよ。
なんかのお話をしていて、すごく眼が疲れると言われ、

え、だって、見えていなくても疲れてしまうものなの?

と、素直に聞いた私に、

相手の人は
「ふつうに疲れますよ」

と、なんてことなく言われ、ああ、そうなのか。と…

というか、
遠慮して眼が見えないことを言われないでいるよりも、ふつうに聞いてくれていいんだよ。
ということを普段からその人に言われていたんですよね。

まあ、そういう価値観は人それぞれなんでしょうけど。
世の中、凄い人はいっぱいいますよね。
人として尊敬できる人が、私にはたくさんいすぎかもしれないですけど(苦笑)
まあ、私の場合、年齢に関係なく様々なジャンルで、この人のここが凄い!というのは日常茶飯事なんで。
結構、その辺は単純ですよ。私。

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u^)ノオハヨウゴザイマス

今日の福島市はお天気です
昨日までの雨模様が嘘のように晴々とした朝です。

朝の空気は澄んでいて気持ちいいですねぇ(。-∀-)

そういや九州は既に入梅したそうで…

東北の入梅はまだまだ先のようです。

梅雨になって毎日々雨が続くと体まで湿気を含んでいるように感じるのは私だけでしょうか(笑)

…え
そりゃ、湿気じゃなく水太りだろって?
ほっといてください(笑)

というか、梅雨に備えてホームセンターに行って湿気取りを買ってこないといけない。
草むしりもしておかないとだし…。

あああ、いやだ。

…やりたくない。

なんというか、いろいろやることが多すぎですよね(泣)

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異なりは温度から

時を全速力で駆け上がり
肺が潰れてしまいそうなほど苦しいのに

どうして そこまでがんばれるのか

なぜ そうまでして我武者羅に走るのか

走りこむ姿は毅然とし
入り込む余地もなく

厳しく打ち込むその様は
あなたと私の距離を隔てるもの



だが ひとつだけ見えたものがある



それは
あなたは走っていたのではないということ

我が怠慢を棚に上げ
あなたを巨大に仕立て上げていたのは
我が思考

何が正しくて
何が間違っているとかじゃなく
あるがままにのべても
あなたはひたすら歩いていただけだろう

そして

たまに疲れたら休んでいた

ただ

それだけのことだろう

そんなことも分からぬほど
何を見て
何を感じて
生きてきたのだろうか…



たったそれだけのことなのに

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何処にも存在しないもの

過去でも未来でもない
現実から解放された時空へ魂を抱き
時の狭間に心は浮遊する

生きることも

死を迎えることも

拒み


何を求め
何を考え
何のために

時を繰り返すのだろうか

現実に居ながら
映像機材のように今を眺め
心の中の熱いものをひた隠し
醒めた蝋人形の仮面の下で声を漏らす

声は今を駆け巡るのに…

声と声は共鳴し

今を駆け巡る

心の穴を埋めないのは
自分でそうしているだけだと
誰もが辿り着く答え

故に
時の狭間を維持していくのは
それらの世界観を吐き出せる正としての場が
自分の行動範囲内に存在していないからだと

そう

思うのです。

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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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