白月光
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白月光

あなたは本当の自分で生きてますか?

人の無情の根底は我が無情だった

誰もが経験する心無き者からの裏切り。世の無情を知り、その後、自分が絶対的に落ち度が無かったとしても自分を省みる人間は、どのくらい居るのだろうか…。

人間であるが故に起こる思い込み。その思い込みをされたことで、ちょっとばかり私は凹んでいた。

一連の状況だけど、まあ、その相手をAさんとしよう。
Aさんは、私が起こした一瞬の態度によって、怒っているのだと思い込んだ。
そして、その「私が怒っている理由」をAさんは考えたというよりも、決め付けたのだ。

決め付けた結果、
Aさんの中では――、

きっと、(私、ハルカは)“Bさんと遊んだ「自分(A)」”のことが面白くないんだ。

という在りえない思考がAさんの脳内で幅を利かせ、妄想は暴走した。
しかも、その妄想の全てを全開で私への言葉として毒舌とともに吐き出した。

…つか確かに、Bを嫌いだ。
でもね、私が怒っていたのはBのところに行ったAを怒っていたんじゃない。
ハッキリ言って、Bの非常識な素行(Aを呼び出すタイミング)に腹を立てていた。

ましてや、

Aに対しそんな扱いをしているBが許せない。
Aのお人よしをなめているとしか思えない。

ほいで、そんな私の気持ちを知らず、Bのところに行ったからだというAの頓珍漢な言動で、私はいささかショックを受けた。

だって、Bがどうこうの前に、
ただ単に、
私の本音は、
さみしかっただけ。
しかも、いじけていただけなんだもの。

ちなみに、本当なら、Aと出かけるつもりで居たから。だから、ちょっとほかされて、素直にさみしかったのだ。

だけど、Aは怯むことなく、弾丸のごとく恐ろしき毒舌を吐きまくっていた。
なぜ、私(ハルカ)が、怒っていたのか。
その理由を述べよと……
執拗に食い下がった。

その勢いの前には、どんな本当の理由も受け入れられず、

唯一、Aが認めようとしていたのは、
Aさんを怒っている私(ハルカ)がいました。だから、Aさんの言う通りです。酷い態度をして、ごめんなさい。

という、行き着く末は、私からの謝罪しか在り得なくなってしまった。


結局、
いいかげんにしろよとスイッチの入ってしまった私。

いかにBが嫌いであり、
利用されているAが哀れだということと、
そういった思い込みで話をしてはいけないのだと説教した。

相手の気持ちがわからないなら、
まずは聞いてからにしなさい。

ほいでもって、

聞いて理解できないなら、
わかるまで聞きなさい。

その後でしょ。
自分の意見(←謝りなさいとか…)を述べるのは。

と、淡々と言ってしまった。

気が付くと、凹んだAがいる。

あああ、やっちゃった。
いじけたいのは、こっちなんですけど(泣)

たった、ひとこと

さみしかったのに

と、

それだけを伝えるために、ここまで言う羽目になった。
まあ、さみしかったは言ったけどさ。
ほいでもさ、Aが思い込みで突っ走るからだよ…。
その思い込みのズレ(Bのことも含めて)から話をしないと、どんなにがんばっても、「さみしい」は伝わらないから仕方なかった。


なのに……。

この世の無情というか何と言うか――、
つか悪いのは私だ…。

第一、思考と感情の違いを理解してもいない、A。
もともと理解すらしきれていないそのAが、感情優先になった時に思考と感情の区別ができるわけが無い。

Aには、
最初から私の気持ちを(態度で)理解してもらうのは無理なわけ。
だからって、私は凄いんだよねとかの自慢じゃないよ。
そういう気持ちはサラサラない。

つまり、Aに対し、
(自分がいじけているということを)態度に出す前に、

要は、
Aには言葉で言わないと分からなかったんだよ。

まあ、つまるところが、私は何時のポイントでも態度だけを出しちゃいけないわけ。
というか、余計に自分が悲しくなるから、そうするしかないのだ。

けど、やっぱり……。情けないわ。


ほいでさー、話は飛ぶんだけどね。
つい先日、私の大事な大事なCが、メールで、自分自身のことでぼやいていた。

世の無情を浮き彫りにしたのは好いけど、
上手くまわせない自分自身が情けないと……。

つまり、自分がまとめるつもりで回したのに、
回しきって理解した相手は、
激落ち凹…。

まあ、わかりやすく言えば、
100vs0でCは悪くない状況だった。
でも、その相手が掻き回すから、それらの状況をCはまとめたのよ。

本当なら、この地点で物事がスムーズに回っているはず…

だけど、

逆に相手がいじけている始末。
しかも、捻くれて…。

つか俺って何なんだよ。

ってな意味なんだよね。


話を聞いたら、登場人物と成り行きが違うだけで、ポジションも考えも、私と全部一緒だし。

はぁー。
なんだよ、C。
おまえもかよ……。

こういうのって、できない自分が悔しいし情けなくなるよね。

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勝負師と本物の勝者

人は生まれた時から死に向かうという。
それはネガティブな考えだと思う人もいる。

でも、考え方はどうあれ事実でもある。

どうせ何時かは死ぬ。
どんなことをやっても死ぬ時は死ぬ。

だから、どんな風に生きようともその人の勝手。

家庭を持っているのに家庭を省みない人もいれば、
家族ごっこをしつつ裏の顔を持つ人、
一生懸命、生きているけど、思うようにいかない人。

世の中には色んな人間が居る。
十人十色とは妙に納得する言葉だと改めて頷けるものだよね。

だけどね

子供は大人になって知識や経験や知恵を持つ。
だから、心を失くす。
でも、本当は失くすんじゃなくて、
楽を覚えるだけなんだと思う。


子供の時は、自分が無力で守ってもらわないと生きていけない。
だからこそ、
この位の年齢になったら自立するんだとか、
現実の自立じゃなかったとしても、この親を超える。あるいは、こいつ等みたいになるもんか。
なんて、考えたりもする人が居る。
そういうのって自然なことで、生きるための目印だったりもするから大事なこと。

それでもね、

そうやって、子供が大人になっていく過程で忘れてしまうことがある。

ただ闇雲に勝ち負けに拘り、実際、強くなってしまったり、
小さい時の無力な自分へ砂を掛けて山をつくり強くなったと過信すること。
そんなことをしつつ、
多くの人は、様々な方法で無力な自分とのバランスを取る。
いいや、嘘を覚える。


それって、大切な何かを忘れている。


忘れようとするあまり、辛く悲しいことよりも、楽なほうを取るんじゃないかなと思う。

そして楽を覚え、楽を続けてしまう。
自分は知識や経験や知恵がある大人だと、最もな言い訳をして楽をする。

大切な何かが忘れ去られてしまう永遠の恐怖よりも、目の前の苦悩を取り去ることを選んでしまう。

まあ、これは脳機能の正常な判断なのだけど、思考を疎かにするという意味でもある。



本当は強くなりたかったんじゃなくて、安心したかっただけなんじゃないかなって思うことがある。
安心したいから強くなる。
その意味もわかる気がする。

でも、強くなるの基本となっているずっと奥に隠れている意味は何だろうか。
単に誰にも負けない、なのか。
こういう奴らには負けない、なのか。
自分には負けない、なのか。
その負けないという思いは天文学的数字で展開され、意思という名の魂に繋がっている。

私は思うの。

負けないとか、

勝つとか、

そう言ってる時点で負けじゃんか。
つまり、自分の負けを意識しているとでも言うべきか。

だから、勝敗を決定する時って、
力を出し切ることでしかないんだよね。

本当の強さって何だろうね。

私も未だに答えを出しては消して、また、見つけては分解しているよ。

それでもね、
悲しいなら悲しい。
でも、こうしたい。

とか、

すごく頭にきてて、
自分から謝るのは嫌だし、
だから、
あんたが謝んなさいよ。

とか、

立場上、泣きごとは言えないけど、
でも、
泣きごといいながら任務を遂行する。

とか、

そんな、一見、筋の通らない強さがあってもいいんじゃないのと思う。

プライドを捨てた時に、本当のプライドが現れる。
そのプライドは勝負事で誰かがそいつに勝てたとしても、本物のプライドを折ることはできなくて、
とても強靭でしなやかなもの。
それが、プライドを捨てたプライド。

大人だから、知識や経験や知恵が邪魔になってプライドを捨てられないんじゃなくて、
知識や経験や知恵を生かそうとしないから、プライドを捨てられない。
まあ、授業中に手を上げるくらいの勇気があれば、自分の邪魔しかしないプライドを捨てられる。

人は何れ死を向かい入れる。
その瞬間は、どんな人間であったとしても誰にでも平等にある。
だからこそ、
死ぬことに目標を置くんじゃなくて、
今のこの瞬間に目標を切り替えることで、
本当の意味で恐怖心という邪魔な感情を解き放ってくれるものだと思う。

まあ、意味も無く、強がっても、その強がりが勝負の世界に合い通じるものだということ。
そして、勝ち負けに拘ると、本当の勝利はこないということ。
だからこそ、
プライドを捨てたプライドが心の目の視力を最高にあげてくれる。
…そういうものだと思うのです。

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限りある命を堪能するということ

反抗期。ずっと以前に、私にもそんな時期があった。


そういう時期に見えていた社会の風景や、きらきら輝いて見えた友達とか、友達との絆とか、
こういった偶像は、この世の最高の美のように私の目には映っていたような気がする。


生きていれば人は年を重ねるから誰しもが青春時代を何れ通過していく。

今になって思うことは、青春時代というその時代の中で生きているときって、
嫌じゃないことまで嫌悪感を覚え、
好きじゃないことに多大なる興味を抱き、
雑食の生き物のように貪欲に何かを貪る。
また、日本の四季という絶世の美を無力なままに体感するちっぽけな自分。

そんな感覚があったように思えて仕方が無い。

でも、この感覚はあくまでも私の感覚だし、他の誰かが共感していたとしても、
私の感覚は私のものでしかないのだ。

その当時は、全てが共鳴の中で生きていた。
それはまるで、私が触れ合うこの世の全ての中で、私じゃない私が生きているような。
また、
私の体内に、私が触れ合う人間が遠慮なく、どんどん侵入してくるような。

…なんというか、この世の全てへ孤立した自分の思想だけが単体で存在してて、
人や空気や建物や…そういった様々な目に映るものの全てが誰かのもの。
自分の肉体でさえ、他の誰かのもの。
その中で、取りあえず混ぜてもらっている私が居たような……

そう、全てが力に支配され無力を知り恐怖を知る。
でも、
恐怖を受け入れていたんだなってわかる。

きっと、大人みたいに知恵も知識も無かった。
軽蔑する対象だったその大人よりも、ハッキリ言って自分は無力だと劣っていると、受け止めていた。
だからこそ、冬という極寒の厳しさと、その厳しさから生まれた春は、心の何処かできれいな風景を描き随時音楽を奏でていた。


まあ、大人になって無駄に知恵も知識も増えてくると、本当のことが見えなくなっていくっていうのも、こんな風に過去を振り返ってみるとわかる気がする。
つまり、考えることで感じることをサボっている感じ。

でもね、青春時代の最中に居る子供みたいに、全身で感じるんじゃなくて、
青春を内に秘めて生きることって大事だと思うの。

だって、原寸大が世の本当と己の本当でしょ。

なんてね、思うのです。

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無意識というわからないままをわかるということ

前回の記事で書いた無意識のお話の続きね。

まず、無意識とひとことで言ってしまうのは簡単。

でも――、
本音とは

無意識が意識に上り、

「内なる内へ向ける自分の意思」を知るという行為を

「認識(判断)」ではなく、
「認知(認める)」することで

始めて成立するもの。



けれども、人は、それら無意識を認識さえもしないような「心と、思考の癖」が習慣化されやすい。
つまり、
結局、この部分は、こんな風にしていくものだから、こうやっていくのは仕方ない。

という、正しくは無くても、妥協はあっても、現実に対し「まとも」な答えを出したとするよね。

だけれども、その答えが、どれほどまともなことだったとしても、
その答えを導くために通過する「自分の気持ち」を無視している場合がある。

その無視してしまった本音が生かされないことで、苦しみや悲しみ、また、嘆きとして、自分へ帰ってきているよね。
という、そのひと言を今日は言いたかっただけなんだよね。


まあ、言葉や文章で表現してしまえば、ふうーん。そうなの。程度のお話にも聞こえる。
けど…。これって、結構、自覚せずに生きている人って多いんだよね。
このままでいいんだという人は、それはそれで構わないと思うの。けれども、自分を、今を、未来を、変えていきたいと思っている人にとって、それら無意識という名の「本音」を「認知」できないということは、かなり勿体無いことをしていると考えられる。うん。確かに勿体無い以外の何者でもないよ。

なんせ、無意識というからには、
自覚していないんだもの。
自分の意思とは無関係に感じてしまうようなポイントだし。

意思を持ち、我が運命をこの手で…
なんて熱く感じていてもさ、意思を持たなきゃという以前に、本音を今わかりうる分だけでも感じない限りは、運命に革命を起こせるほどの変化はでないでしょ。

やっぱ、こういう考えって初歩的なことかもだけど…

それでも

初歩的だから大事なんじゃないのかなぁ……。


なんてね、思うのです。

要は――、
繰り返し感じる練習。
自分が本来持っている感性をそのままに感じようとする姿勢。
そして、それらのありのままを理解するための様々な知識。
自由という我侭に思われやすい、ありのままの自分。
天と地と、これらの中に存在するちっぽけな人間と自分。

また、ある種、哲学的な考えを通過するけど、哲学を超える自然の掟。

こういった無限大に展開され、最後にはひとつの点へ帰るような…。なんというか、そういうありのままを捕らえる精神の逞しさは、一生を掛けても辿り着かないかもしれないけど、

それでも、

自分のために考えることが、誰かを守ったり、大切な人を守ることに繋がっているのだと思うの。
自分の無意識が本音であるならば、その本音を無視しているということは、

自分を裏切っているわけでしょ。
つまり、自分に嘘をついているということにもなる。
事実を言えば大切な人を騙していることになる。
だから、結局、大切な人を傷つけてしまう。

それは、自分が未熟だからだよね。

けど、やっぱり、未熟な自分が、守りたかった誰かを傷つける辛さは耐え難いもの。

だからこそ、自分が自分にどこまで正直になれるか挑めたなら、今よりは、大切な誰かを傷つけることは少なくなるでしょ。

そう考えれば、未熟を嘆くことだけに、思考が留まったりはしないと思うんだよね。


まあ、それもこれも占い師という立場からじゃなく、ただの人間としての私からの言葉です。

だから、きっと、こういったことを書いていても、

偏った捕らえ方とか、

物凄く未熟な部分とか、

そういうのが無いわけが無くて。


それでも、一生懸命、何かを感じようとしてくれる人がここに訪れてくれる。

仲間じゃないかもしれないけど、
それでも心の中で何かと何かが繋がる。

だからこそ、
人が自分らしく生きていけるその中心へ、
共通する何かを共有している人と一緒に、
迷いながらもすすんでいけたなら好いのにな…。

……なんて思っています。

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無意識が意識上に上ったことを認識するかしないかという問題について

無意識の世界とは、とても広く、それらはまるで大宇宙のように果てしなく未知の領域でもある。
けれども、その無意識とは、自分の本音であることには違いないのだ。
無意識という名のイメージは、ただ単に意識をしていない領域のようにとらわれがち。
でも、ただ単に、意識をしていないだけの領域ということじゃなくて、自分の本音が息づいている。


今日はたまたま、そういった深い部分でのお話をする機会があった。


その相手とお話した内容はこんな感じ。
まず、本人が自覚できていない無意識の領域がある。で、自覚している本人の意識の中で「無意識から浮上した“本音”」が、意識上でどんな風に自分自身が自覚しているのか。

という感じで、あるテーマに対し議論したのだ。

まあ、あるテーマとは、その本人が幼い頃から耐え続けてきた「自分」とは、どのような状態で今に至り、そして、それらの切欠となっていた「思考壁(スキーマー)」がなんであるのか。そんなことをテーマに議論をしたのだ。

様々な話を続けた結果、結論にいきついたのだけど、結局、辿り着いた結果とは「憎しみや怒りを持つ自分の抹消」だった。その感情を抑圧していくことで、これまで起こっていた悪循環が精神に多大な影響を及ぼしていたんだね。といったことになったのだけど、そのことを本人が、今までどんな風に認識してきたのか。だから、これからどんな風に認識を変えていけば良いのか。というお話まで展開は広がった。

所要時間は役2時間かな。

まあ、そのあたりのデリケートな問題は誰にでも在りそうなポイントだよね……。

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大家さんのお話 続編

家賃を払いに行った日、大家さんはだんなさんに言った。




向かいの家が高島○断で見てもらったらしいんだけど(;・д・)


池が悪いからだって言われたんだってー( ;´・ω・`)


だからね、


あんたのとこも、池があったでしょ(;´・д・`)b


あれ、池ね、埋めて良いから(。_。(゚д゚(。_。(゚д゚ )(真剣)


だんなさんは分かりましたと言って帰ってきたらしい。

で、バナナとキーウィを持って、だんなさんは帰ってきた。
いつもありがとう、大家さん。
と、感動していた私。

でも、その池のお話を聞いて余りにも想像が付きすぎて笑ってしまった。

だって、いつもいつも真っ直ぐに生きている大家さん、すごく可愛いんだもん。



そうそう、大家さんと初めて会った時、大家さんは私を捕まえ延々とお話をしてたっけ。
他愛も無いお話だったのだけど、ああ、ばあちゃんが生きていたらこんな感じかも的な気持ちになった。

なんというか、
…私、大家さんのことが大好きなんですけど。ほんとに。


いつだったか、大家さんは、大家さんちで犬の「えりちゃん」を

えりこぉー

と、怒っていた。

あああ、私もえりこなんです。


…ごめんなさい。


ついね、悪いことなんか何もしていないのに、一瞬、謝ってしまいそうになったよ。
しかも、そんな怒られ方、ここ20年程されていないし(笑)
なのに、そんな風に声を高らかにえりこーって、怒っているのを聞くと、

条件反射?

過去の染み付いた習慣?

やっぱ、ごめんなさいと思ってしまう。
不思議だよね(笑)



それにしても、年を取っても尚、優しさが滲み出ている大家さんは、
人として、とても素敵です。

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うちの猫

先日、家賃の支払いをした。
だんなさんに行ってもらったのだ。

大家さんは70代のおばあちゃん。
大家さんは独り暮らしなのだけど、とてもかわいい。

どこがかわいいのかというと…


まず、
憎めない性格。
何を言われても棘がたたず、腹も立たない。

で、霊感を持っている。けど、大家さんはその事実を知らない。

そして、
大家さんちには犬が居るのだけど、

えりちゃん

という名前だということ(笑)

で、そのかわいい大家さんが家賃を支払った時にだんなさんに言った。


あんたのとこの猫って、

白くて、

しっぽだけが黒いのかい?P1070383-001.jpg


ほいで、だんなさんがそうですと答えると、


あんたのとこの猫ね、

うちにご飯食べに来るんだよ。


と、言われたそうです。

つか最近、帰ってこなかったのは、そういうことだったのか……。
そういや、たまちゃん(猫の名前)は、1ヶ月ほど帰ってこない。

P1070745-0830.jpg
たまーに、


たまちゃんは元気だよー


と、気配をアピールしてくる。

私が心配して帰ってきなさいと異様な念を送るから、
たまちゃんは、先手を打って気配を送ってくるのだ。

……しかし、たま。
よりによって、なんで大家さんち?

ああ、たまちゃん。
おまえって……=3

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higher power

多くの人は、神の偶像をつくりあげ、神に近付き同化したと妄信する。
それらの妄信は神への挑戦でもあり、誇大妄想でもある。

人は、他の動物と何ら変わらぬ獣に過ぎない。

それ以上でも、

それ以下でもない。


故に、それぞれが生きている社会的地位による基準があっても、
それぞれの人間の価値に匹敵するものではない。

また、
神に近い天職に就く者が居ても、
それは、神ではなく、只の人間である。

神は神でしかなく、人間は人間でしかない。

故に神の子になれるものでもない。

人間は人間の子でしかない。
皆が皆、同じ人間であり、同等の価値を持ち、同等の命を持つ。



「我こそが神である」

それは、人の言葉では無い。
只の偶像に過ぎない。

この世には、様々な人間が居る。
人間の身でありながら神であると言い張る者。
また、
神を越えていると言う者。
宗教という名を借り、自己を巨大に増幅し、哀れな姿をさらす。

いつの世も何処かしらには存在する哀れな道化師たち。

どれ程の力があれば神を越えるというのだろうか……。
どれ程の力があれば人を越えるというのだろうか……。


差別する。比較する。
その行為は、

人間であるお前は私よりも劣っている。

そんな意味なのだろうが――、
人間は只の獣に過ぎないと思うのだ。

何処も違わぬ命の重さを持つ人間でしかないと、
そう思う。

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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
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1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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