反抗期。ずっと以前に、私にもそんな時期があった。
そういう時期に見えていた社会の風景や、きらきら輝いて見えた友達とか、友達との絆とか、
こういった偶像は、この世の最高の美のように私の目には映っていたような気がする。
生きていれば人は年を重ねるから誰しもが青春時代を何れ通過していく。
今になって思うことは、青春時代というその時代の中で生きているときって、
嫌じゃないことまで嫌悪感を覚え、
好きじゃないことに多大なる興味を抱き、
雑食の生き物のように貪欲に何かを貪る。
また、日本の四季という絶世の美を無力なままに体感するちっぽけな自分。
そんな感覚があったように思えて仕方が無い。
でも、この感覚はあくまでも私の感覚だし、他の誰かが共感していたとしても、
私の感覚は私のものでしかないのだ。
その当時は、全てが共鳴の中で生きていた。
それはまるで、私が触れ合うこの世の全ての中で、私じゃない私が生きているような。
また、
私の体内に、私が触れ合う人間が遠慮なく、どんどん侵入してくるような。
…なんというか、この世の全てへ孤立した自分の思想だけが単体で存在してて、
人や空気や建物や…そういった様々な目に映るものの全てが誰かのもの。
自分の肉体でさえ、他の誰かのもの。
その中で、取りあえず混ぜてもらっている私が居たような……
そう、全てが力に支配され無力を知り恐怖を知る。
でも、
恐怖を受け入れていたんだなってわかる。
きっと、大人みたいに知恵も知識も無かった。
軽蔑する対象だったその大人よりも、ハッキリ言って自分は無力だと劣っていると、受け止めていた。
だからこそ、冬という極寒の厳しさと、その厳しさから生まれた春は、心の何処かできれいな風景を描き随時音楽を奏でていた。
まあ、大人になって無駄に知恵も知識も増えてくると、本当のことが見えなくなっていくっていうのも、こんな風に過去を振り返ってみるとわかる気がする。
つまり、考えることで感じることをサボっている感じ。
でもね、青春時代の最中に居る子供みたいに、全身で感じるんじゃなくて、
青春を内に秘めて生きることって大事だと思うの。
だって、原寸大が世の本当と己の本当でしょ。
なんてね、思うのです。
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