白月光
白月光

白月光

あなたは本当の自分で生きてますか?

離れてみて感じる気持ち

素直に笑える
素直に文句を言える
時として煩いときもある

だけれども、離れると分かる
そんな存在の奴が私にはいる

いつもいつもひた向きに努力し ただ ただ 必死に生き抜き
振り向くと 大泣きしていたり ばか笑いしていたりする

いつもいつも百面相をしている大切な仲間
何だかんだ言っても 私は奴が好きだ

たまに一方的に怒りをぶつけるのは 私の方
それでも 奴は ごめんねをしてくれる

ばあちゃんになっても仲良くしよう
ずっとずっとこのまま仲良しでいたい

そう思うよ

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人生の暗転に気がついた時は既に遅し

今、この瞬間の世界、その現状がぼやけて見える。
そして、自己を取り巻く環境が毛細血管のように網羅されている。


自分が心から信頼できる仲間。
自分が生きていくために選択した事柄。

果たして、それらの全ては、本当に真実なのだろうか。

利用され祭りたてられる、者。
生きるための選択は犯罪。もしくは、犯罪すれすれ…。

それらは無垢で穢れの無い何者かに音も無く近付いてくる。
それらは穢れ多き者から選ばれし王。

儚く空虚な結末は今を知らぬ我が身に返る。
儚く乾いた血液は今を見ぬ我が身の代償。
砂漠の砂のように、風に舞う、人間の尊厳は何処にあるのだろうか…。
理由が理由で通らず、法に罰せられ、人間は紙切れのように扱われたりもするものだ。
たかが、紙切れの方が人間よりも価値があると言い張る者もいる。


故に、このくらいなら大丈夫。

人生を終わらすつもりが無いのなら、
取り返しのつかない状況になりたくないのなら、
その甘えが人生の終止符とならぬよう…。

今のこの時を、己の五感を、ただ、ただ、在るがままに感ずること。

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人間という存在

人は生まれながら、もともと自由だ。

たとえ、どうしようもない親に精神を拘束されたとしても、それでも自由なのだ。

防ぎようの無い人生の天災は、精神を脅かし、落雷と共に燃え盛る。

この時代でなければ、精神を病まずにすんだ者もいる。
この時代でなければ、輝けなかった者もいる。

其々が其々の道を自由に歩いていける。
暗い夜道を選ぶのも、太陽が照りつける大道を選ぶのも、己の意思。

日の当たる大道を大手を振って歩いているのは、飾りの無い百姓。

飾りを纏い、悠々と冷暖房を効かせ鉄の塊で通り過ぎる、貴婦人。

人とは、知識、名誉、地位、金。それらの飾り物に目を奪われ、現実の華やかさで目が眩む。
怪しい輝きは邪悪を呼び、何れ陶酔していく。
どんな銘酒よりも人間の心を酔わすもの――、
欲望。

欲の渦巻く世界に嗚咽し絶望する者もいる。
かつての自分もそうだった。

だが、今と成り感じることは、全ての人間は自由なのだということ。
悩みひとつにしても、好き好んで悩む。
好き好んで苦労をする。
好き好んで邪悪になっていく。
笑いたいから笑うのだ。

ただ、ただ、天により告げられ、見つめた先には自由があった。

誰もが自由なのだと。
見つめた先には精神の自由があるのだと。

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殺気について

とあることが切欠で「殺気」についての記事をプライベートのブログで書いたのだ。
そのブログ内で、殺気というものを私がどう捉えてるのか、という内容を記事にしたの。

殺気というからには「殺してやる」というような「気持ち」。あるいは、その人間を取り巻く「気」なのか?
と、思ってしまう人も居るだろう。

けれども、殺気とは「○○を○○にしたい」という欲求が在り、また、その欲求を果たすために「対象となる何かを取り込もうとする願望」が、殺気を生み出しているのだと思うのだ。

例え、取り込みたい何かが、自分よりも器が大きかったとしても、「対象となる何かを取り込もうとする願望」がある限りは、その対象(取り込みたい何か)の本当の姿は見えないものだよね。
だって、本当のことを無視して、取り込んでやると思っている時点で「負けている」のだから、負けを認めないうちは同じ土俵に上がれない。ま、仮に、上がれたとしても、勝ち負けなんて最後の最後まで分からないものだよ。

ところで、殺気は、以前記事としてあげた「鏡の中の住人」のお話しがあるけど、そのお話とも共通している。
ま、共通ついでに言ってしまうと、人間は気づかないで殺気を放ちまくっている人が結構いるということだよ。


ある森に木がいました。その木が年月を掛けて滲みだした毒がありました。同じ種類の木々は毒なんか滲みだしていないのに、自分だけ毒が出ていたのです。

滲んだ毒が回って、その毒を出している木だけが中毒を起こした。

で、他の木々は、毒なんか回っていないし、いつも通りに生きている。楽しそうな笑い声が森に木霊している。

だけれども、毒が回って中毒を起こした木は、中毒を起こした状態からしか物事を見れなくなっていた。他の木々が笑いながら自分を見ている気さえしたのだ。
また、毒が回った木は、こうも思いました。毒が回った自分をキモイと思い笑うのだと、とても心を痛めました。

ある日の昼下がり、樹木のドクターが森の診察に来ました。勿論、毒が回った木も診察されました。
そこで木は、毒が回って中毒になりました。と、ドクターに嘆きました。

そして、ドクターは言いました。
「それは、毒ではなく、樹液ですよ」


自分が放つ殺気を何処からでも見出せてしまうということとは、そんな錯覚と似ている気がするよ。
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小説VS漫画

たまに気持ちを切り替える時に読んでいる書籍がある。
例えば、なにかひとつの事柄が頭から離れないような時。そんな時に、現実とは異なる「現実の世界」に浸りたくなることがある。

そういう私のはけ口を用意してくれるのが粱石日(ヤン・ソギル)なのだ。
この作者は闇の子どもたちを書いた人。

今、読んでいる(とはいっても、少しずつなんで私的には結構な期間を読んでいますが)のが、「異邦人の夜 下(幻冬舎文庫)」。上下2巻で出版されている。

今は考えても仕方ないことや、意味の無い考え、或いは、中心じゃないことばかりが浮かんでくるような時。そういった、ろくでもない思考が泡のように浮かんできて、私を翻弄させる。
で、すかさず、「異邦人の…」を手に取り、5分とか10分とかの短時間だけの読書をしたりする。僅か数行で、すっと入り込める何かがこの作者にはある。感謝。感謝。
ま、だとしても、「異邦人の…」は、そんな時しか読まないかもしれない。

他には、そんな時にしか読まない漫画もある。けれども、漫画はもともと好きなので、読みすぎて、全巻を読みきるまで熊のように動かない私が居たりもする…。

「漫画を読み出すと止まらないよな。…おまえの考えはよく知っている。だから“異邦人の…”にしておきなさいっ( ̄_ ̄||) 」と――、
心の中で、鬼のような私に威嚇され、

はい。そうします……( ;-_-)ちっ

と、私(笑)
ほいで、出来るだけ小説を読むようにしているよ。

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鏡の中の住人

無意識の世界という表現をすると、文章が硬くなる気がする。うん、今から書こうと考えていることがうまく伝わらなくなる。そんな気がするから、無意識の世界という言葉じゃなく、心の鏡と表現しよう。ま、ちなみに、方向を変えれば脳機能と認知といったお話もできてしまうような、そんな内容。
何はともあれ、読んでみてください。

心の鏡、それは心理学の影とかシャドーとかそういった小面倒臭いことを言いたいわけじゃない。

あの人は、俺をばかにする。
あの人は、俺を見下す。
とても冷たい目をしたアイツの目つき。
ずっと、ずっと、子供の頃から耐え抜いた母の目。
どうしたら、あんな仕打ちができるのか。
どんなに好きでいたいと思っても、冷血な母には届かぬ、俺の気持ち。

相手が母じゃなくとも、こんな風に、かなしく切ない思いを経験したことはないだろうか。
冷血な態度に打ちのめされ、自分の心が萎縮していく。大人になり、変わりたいなら自分で変えるしかないと、そう決心して変わろうとする。
だけれども、人間の心は、いとも簡単に決心を鈍らせ、やる気を奪うのだ。

なぜだ。自分が甘いからか…。ならば、その精神が崩れないように強化する必要がある。
そう思い、知識に貪りつく。
けれども、心の芯から欲した知識ではないから、頭の肥やしになり果てた。
つまり、知識は心と連動せず、単独の知識として活かされたのだ。
本当の知とは心と知識が連動するものだと思うのだ。

人は、苦悩する。しかし、その苦悩とは何者なのだろう。

我が心が生み出すものではないのだろうか…。

仮に母が冷血だったとしても、例えようの無い仕打ちをしたとしても、それは自分の心がそう思い込んだだけではないのだろうか。いいや、そんなことはない。そう思ったとしても、完璧に見解は正しいのだと言えるのだろうか。
こういう状態を「思い込み」。うん。そうとも言う。
でもね、自分の心の姿を母に映しているだけとか? そんなことは無いかな。
心で育てた、心の歪んだ自分が、世の中を歪めて見ていない……?

自分が小学校だった頃。その当時に戻れたとする。で、戻ったとして、今の自分を見る。

がっかりさせんなよ……。

って、子供の時の自分が、今の自分を見て、かなしむかもしれない。

そして、子供の自分は、こうも言うかもしれない。今の俺は、できるか、できないか、なんて考えちゃいない。ただ、できないから頑張ってサッカーのドリブルをやっているんだ。それなのに、今のお前はなんだ。こんなに一生懸命にやってきた俺を見捨てるのか。
と、言うかもしれない……。

心を何かに囚われる。囚われすぎると他が何も見えなくなる。小さなものまで、巨大な壁として捉えているのかもしれない。それらは、我が心が生み出す意識。この意識とは、自分の思い込みだったりもする。
故に、この自分は、鏡の世界に住み着いてしまう。意識の世界は現実と混合し、自分の視野の終りには鏡で仕切りを作る。

醜くなった心は自分なのに、アイツが醜いと、鏡を眺めながら言う。
それらの感覚は虚像。作られたイメージだったりもする。
だからこそ、大人になった自分が、ガキのころの自分をかなしませちゃいけないのかもしれない。

人間が人間として生きていくことは難しいものだと思う。

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人間と天と地と


17e932a6.jpg25.jpg自然が起こす現象は、この地球だけに留まらない。宇宙という空間も、其々の惑星も、全てが呼吸をし、エネルギーを放っている。

人間が同じ人間へ放つ思い、それはなんなのだろうか。



それらの思いは、皆が同じように持つ心の顔。
良い、悪い、じゃなく、同じ人間の思いなのだ。
この地球で息をし、大気を浴び、生きている。その同じ人間同士の様々な思い。ただそれだけなのだと思う。
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日本には四季があり、東北は厳しい冬が巡ってくる。
寒さは、人間の心の柔軟性を時として奪うものではないか。そんな風に感じることもある。

だけれども、厳しい冬が過ぎ去る頃、冬は爪痕を残して去りはしない。春という命を産み落とし過ぎ去っていく。
命は儚くも、逞しい底力がある。厳しさを全身で受け止めた、その誇りがそうさせるのだろうか。

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誰もが自分が生み出す冬を嫌うのだろうか。
自然な厳しさを受け止められず、忌み嫌うのはなぜなのだろう。
故に、辛く悲しいことは、本当に辛く悲しいことなのだろうか…。

21.jpg 何を信じて、何を疑うべきか。

そういう疑念の全てが己の生み出す冬に還りつく。18.jpg

時は今を繰り返す。

人間の根底に善も悪も無く、無意識の世界は、皆が皆、世界共通なのだと感じている。
人はなぜ、こういった善悪や様々な型に拘るのだろうか。
この型の全てが、己の中の己への呪縛であるというのに。
この世には、こうでなくてはいけない、そんな言葉は存在しない。
在るとしたら、その型に拘る己自信。
拘りは重りと成り、何れ、自分自身の目を盲目にしていくもの。
見える目が在っても、必要の無い、意味の無い、そんな目になっていく。

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厳しい冬と相通ずる心。そこには型など無くて、在るのは本当のことのみ。

13-.jpg 本当に大切なことは、今抱えているものなのか。

それらは、ただの呪縛という名の型ではないのか……。
それは本当に価値のあるものなのだろうか。
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だけれども、全ては、どれもが本当。

型に価値を見出すのも本当だと言える。

この世には、こうじゃなくてはいけないものなど存在しないのだから。



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たい焼きのお話なのだ

福島市八島田(やしまだ)のいちい(福島市内に幾つかあるスーパーです)の駐車場内にある、たい焼き屋「たい夢」
薄皮の旗があがっているから、いつか食べようと思っていたのだ。だって、薄皮のたい焼きが流行っているんだもの食べてみたいよね(うふっ)

で、たまたま、いちい近辺に行く機会があったから息子と私はカスタードのたい焼きを買ったのだ。
だんなさんは、十勝なんとか(?)というあんこのたい焼きを買った。

0a4cd8da.jpg
お店の中には、たい焼きの皮の余りものが、容器に入っておいてある(大抵は捨てられてしまう、ぱきぱきのアレ)。

おっ、ちょっと頂きぃ(。・〇・。)あーん
……んっ? んん?

不味くはないし、おいしいけど……、私的には好みのたい焼きじゃないかも…?
98ec30e2.jpg
んで、お待ちかねのたい焼きさん。
試食した時に感じた予想は的中だったな。
甘みを全体的に抑えた、そんなヘルシーなお味。うーん、ちっともヘルシーじゃなくていいんだけどなぁ……。
ま、お味はおいしい方だと思うよ。

だけれども、なんというか、コマレオの豆乳たい焼きが恋しくなってしまった。あの、ちっともヘルシーくさくない、豆乳(のクリームが入った)たい焼き。

…そのうち、コマレオまで行ってこよう(。・・。)(。. .。)ぅん。うん。

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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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