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ストレスについて考えてみた
最近、自分のペースを掴んできた。年末から様々な環境と状況の著しい変化に直面し、約1カ月。やっと、なんとか自分のポジションが明確になったよ。
それが掴めるまでの私は四苦八苦。自分の行動と考えのアンバランスが情けなくて、自分自身に腹が立ち、自分への怒りで、そりゃぁ~大変だったの。
だけれども、そういう怒りを、誰かのせいにしてしまう自分の醜い姿に、はたと気がつき……。反省。
その時の私ときたら、別に怒るほどのことじゃないのに、コイツがこうしないからこうなったんだ。みたいな思考にハマリ。で、結末といえば、相手を指摘している我が姿があった。
怒りが静まり、ふと、冷静になった瞬間。あああぁ、また、やったよ( ̄_ ̄||)と、自己嫌悪。
これじゃぁ、ただの害虫だよ。私。
だからさ、その怒り狂った原因を確かめたのね。そう、考えてみたのよ。
そうしたらさ、自分が新しい状況を把握できていなくて、何をすればいいのか、何なら手を抜いてもいいのかが、分からなくなっていたの。私が実際にやっていた行動は、全てを黙々と実行していたのよ。そりゃ、容量オーバーで当然のごとく壊れるわ。
手を何処で抜いて、抜いた部分に妥協が伴わないと、これがまたストレスとして災いする。
妥協を覚えてからの私は快活だったね。だとしてもいきなり(手抜きと妥協が)実行できた訳じゃないんだよ。まずは、頭の中にそういった(手抜きと妥協の)構図を描いて、気がついたら状況を反復して理解をする。そんなことをやっていた。で、この反復を繰り返された構図は、いつの間にか理解という状況に脳で変換されたようで、納得したんだろうね。ある時からわだかまりが消えたよ。
それまで、わだかまりがあったなんて思いもしなかったのに、ストレスが消えると同時に、ありゃぁ、わだかまりだったのか、って思えたのだ。
なんだかさ、こうして自分を振り返ると、私って口ばっかり達者で、全然、何にも分かっていないし、精神的にも甘いよな。と、思うよ。ほいでも、まぁ、それがお前のかわいいところだよと、自分で自分を誤魔化しておくけど(笑)
ま、一個ずつ事を進めていく時の過程ってさ、なんというか、その前にいた位置よりも、更に、前に戻ってから先に進んでいるように思えるんだよね。
お裁縫で言ったら「半返し縫い」っての。アレ。
これって、こういうことって、他の人も同じなのかどうかは判らない。けれども、私は毎回そんな感じだよ。
こういう風に自分の精神面を見つめなおしてみると、人生とは捨てたものじゃない。そう感じる。
答え探しをして、答えがみつかる。
だけれども、それが答えの最終じゃないんだよね。
また更に奥へ奥へと答えは連なるように続いている。
連なる答えを全体として考えた場合、きっと、本当のことって極々ありふれた単純なことなんじゃないのかなと思うよ。生きているうちに理解できるかどうかなんては分からないけどね。
自分の限界を知らないのに、限界を創りたくない。
日々の私の思いだね。
だって、限界を創ったら、それ以上は無いんだもの。詰まらないよ。
限界を超えて、新たな筋肉が活動する。人生とは、スポーツで鍛える「筋肉」と同じなのではとも思えてしまう。
ほいで……、私に八つ当たりされた皆々様。ほんとごめんなさい。大きな愛で(←調子良すぎ)私を受け止めてくれたこと、感謝しています。だいたい、私は自分でも思うけど、なんて我侭なのだ。と思う。それを暖かい気持ちで、信じてくれていたんだと(事が過ぎ去ってから)理解する。感謝してます。心から。
人は、やっぱり、ひとりじゃ生きていけない。
色んな意味で支えられていると実感しています。
だからこそ、命が尽きるその時まで、感じることを大切にしたいと思うよ。
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