良い意味で霊感があることをありがたいと思うことがあります。
ブログの記事を読んで直ぐに(私の異変を)察知してしまう人も居るし、なにも見ていなくとも感じてくれる人。そういうことが、辛い時ほど混じりの無い真心として私の胸を直撃します。そんな時ですよ、霊感があることに感謝してしまうのは。
思われただけじゃ「辛いことや苦しいこと」は何も変わらないしどうにもならない。だとしても、私のもとに念として飛んでくる真心に触れると、時として嬉しすぎて、勿体無くて涙が出そうになることがある。私はこんなに心配されて見守られて幸せだなと思うし、思われたことを無駄にしないで必ず何かの形(その人へ直接じゃなかったとしても、思ってくれている本当の意味での何か)で必ず表現しよう。そう、思い、自分への誓いをたてます。
私もただの人間なので、平常心に乱れが生じバランスが崩れてしまうことがあります。そして、そういう時でも仕事中は、全神経を集中して一切の乱れを無にしています。けれども、仕事から解放されれば当然もとのバランスに戻します。
こういう行為に対し、別段、違和感は無い。仕事だとはいえ、偉いと褒められたり慰められたりするけれども、その辺は、並々ならぬ仕事への責任とプライドが感情の割合を大きく占めているからだと、自分で納得しています。
だとしても、ふと、仕事が終わり、どうしようもなくいじけてしまうことがある。
自分の人間としての価値を疑いたくなるし、実際、疑うこともあるの。
……どうして、こういう記事を書いたのかというとね(書いた理由のひとつとしてですが)、私と接点も無い(あるひとりの)人間が、私を応援してくれている気持ちが届くからなのです。真心が届く。
自分の知り合いや友人、家族など、私の大切な人間が心配してくれたり真心を送ってくれたり(←霊感で感じる)することでさえ、とても嬉しいのに…。その人は、私にエールを送り続けてくれている。
私は、この場を借りてお礼を言いたいのです。きっと、その人は、私がいじけてしまう瞬間を察知しているのだと思う。そして、その人は、霊感を持っているだろうし、占いの仕事をしていてもおかしくはないはず。
その人から「辛いよね」と言われたような、そんな気持ちになる真心が飛んできます。私は、その真心に触れるとホッとします。だって、その辛いよねは、上辺だけを見ていった言葉じゃないもの。だからこそ、真心が腹の底まで届いていますよ…。
それとですね、私にはお姉ちゃんもお兄ちゃんもいないのだけど、お姉ちゃんに言われているような、そんな肉親的な情をその人からは感じています……。
なんだか…しんみりした記事になりすぎたかもしれない。だとしても嬉しくてありがたくて勿体無くて…。たくさんの真心を貰えたことが本当に嬉しくて書かせてもらいました。
私の大切な人たちへも、私と接点の無い誰かさんへも、そして勿論、このブログを愛読してくれている人たちへも、言葉として贈りたいと思い書きました。
ひとりではさみしくて生きていけないな。と、しみじみ思いますよ。ほんとに。
ハルカ
[0回]