白月光
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あなたは本当の自分で生きてますか?

小学校低学年で決定するいじめ~ベテラン担任から受ける悲劇

小学校低学年。赤ちゃんみたいだった我が子が肩幅よりも大きなランドセルを背負い通学していく後姿。なんとも微笑ましい光景だと思います。どこの家庭でも子供が居れば大事に大事に育てますよね。当然、笑顔だけが年中という訳にもいかないですけど(苦笑)

さて、小学校に入ると幼稚園や保育所とは違い、(児童に)あらゆる面で行動の機敏さを嫌でも強要されます。
すると、授業態度、給食、そうじ、休み時間の使い方、宿題などなど様々な面で着いていける子着いていけない子その中間に位置する子と、大まかに分類されてきます。
夏休みが明け2学期が開始すると、着いてこれない子は誰々ちゃんと誰々君というような、見えないシールを子供同士で貼り付けていくようです。

福島市内の低学年を受け持つ担任の傾向はベテランの先生が就く確率が高いのですが、他県はどうか分からないですけれど、この低学年を受け持つベテランの先生。私はこのベテランというのが曲者だと常々考えています。

※ 勿論、全ての教職の方がこれから書かんとしている事柄に当てはまるという意味ではないので、教職の方もそうではない方も、そういう考えをハルカはしているのかという意味で読み進めていってくださいね。ただし、ご意見があるようならどうぞ書き込んでください。無論真剣にレスさせていただきます。

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子供の世界は実に残虐です。だけれども、その残虐性を正義の剣を使い後ろから煽るのがベテランのラベルを付けた担任の先生。

(担任) 「はい、またA君は忘れ物をしてきました~」
(クラス児童)  A君以外の児童爆笑

↑担任の発する“また”と“A君”という言葉は呪いの呪文。
クラスを盛り上げていくために。或いは忘れ物をして怒ってA君を酷く傷つけないために。それなりの理由はあるのかも知れないけど、この担任の発想と行為。浅はか以外の何者でもない。なぜならば、終始、A君を公然と注意することでA君の心の中では、

自分は皆にばかにされている。
皆と同じようにできない。
また忘れたから皆の前で言われる。

こういった感情が連続し、いつしか、

僕はどうせできないんだ。
僕は駄目な子なんだ。
皆、僕の事が(できないから)嫌いなんだ。

という連結した感情の変化を見せます。
大抵は一学年を受け持てば自動的に二学年も持ち上がりですよね。すると、二年生半ばから後半に掛けて、身体に症状が出ます。

下痢と便秘を繰り返す。
話が止まらない。
話している意味が分からない。
落ち着いて物事を考えられない。
などなど。

こういう目に見える症状に変化していきます。
この傾向は、子供の「ウツ」だと私は確信していますが、なんせ医者じゃないので断言はできません。というよりも断言ができるのは医者のみです。

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幼稚園までは先生がぶつぶつと文句を言いながらも、目立っているようでなんとか目立ちません。
でも小学校は違います。集団行動は、学校とは、という規則から始まるものです。

だからといってベテランの先生が特定の子を的に掛けている。そしてその的となった子供は、学生時代という人生の中で最高に長い時間をいじめという代償に代えられ、苦しみ続けなくてはいけない。
そんなのがベテランだからと威張れることだろうか。
先生として当たり前の事をしています。とは、言い逃れ。
だって、それが切欠で(児童が)苛め抜かれているという事実を私は無数に見てきたもの。

一歩間違えば生涯いじめ抜かれ、死ぬより酷い思いをする子供が居ると自覚できないのだろうか。
本当にこの状況は、ベテランと言える年齢の先生に多いのだ。

低学年の子供を持つ人がいるのなら、今一度、我が子とよくよく話すといいよ。
大抵ね、「コイツは遅いんだ」っていうレッテルを子供同士で貼られるから、話をしていても何から話していいのか分からなくなるんだよ。つまり、話すことまで遅いし訳が分からないということを常に学校内で言われている可能性が高い。まさに、正義の仮面の下で行なわれている生贄の儀式だね。

だから、きっとやっちゃっている人は多いと思うけど――、
子供の話を異常に簡潔に整理して、子供のしどろもどろの話を聞かずに強制終了しちゃっている。
そういうことって多いと思うんだよね。
まだ間に合うならちゃんと話し合ってみよう。

担任に直談判できる状況なら強気で発言してさ。で、もし間に合うなら子供としっかり向き合おう。
それでも状況は変わらないかもしれないけど、生きる希望を子ども自身は持てるようになる。それは大きな変化だしどんな変化なんかよりも最高の変化だから。まずは話し合いから、ね。
 

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「学校(職場)のいじめの根底にある社会情勢と真理」心の空洞化現象が起きているのは脳内破壊された人間なのだ~no2

非凡な存在が平凡を維持する為には必要であり、故に、それらの行為は脳の指令から成り立っているということを軽くですがお話しましたよね。

では現実的な事例をあげ、「非凡な存在が平凡を維持する為には必要」だという感情に至るまでには、実際どんな風な工程を通過しているのかを今回は書いていきましょう。

一応、言っておきますが、今から書いていくことは霊視により現在まで培ってきた事柄です。なので正式な名称等を知らず大まかに捉えていますがご勘弁を。

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【例】 
 
家族構成→父親、母親、小学生の子供、幼稚園の子供。
家庭内の状況→父親(サラリーマン)、母親(専業主婦)、
子供1(小学2年生♀)、子供2(幼稚園年長組♂)。
基本の視点となる人物→母親
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母親は、我が子が社会現象になっているいじめに巻き込まれて欲しくないと考えているし、それなりに(いじめを受けない為の)情報や知識を知る努力もしている。

勿論、子供が仲良くしている子供の親と親密な関係を結び、自分自身も親同士の親友作りに励んでいる。

時には無理をしてお茶に付き合い、何とも思えない出来事や自慢話を興味のあるフリをしつつ賞賛することもある。

なぜならば自分が親同士の親密な関係から外れてしまった時は同時に我が子のいじめが自動的に始まるという意識が常に脳裏へ張り付いているので、なんとも思わなくても賞賛する習慣がついている。

だが、そういった付き合いの後には肉体的にも精神的にも非常に疲れを感じ無気力あるいは強いストレスのどちらかを感じることが多い。

が、しかし、母親自身は親同士の仲間と、それらの子供と我が子の仲は円満であり、上手くいっているという満足感がある。

【注意事項】
ここまでの事例に書かれている状況は、医学的な視点から見た場合、心理的な抑圧及び抑圧された身体症状と関連はしていますが、おそらく心身症等のエリアへ属さずにそこへ向かうライン上の状態或いは症状として考えられると思います。

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ま、これが母親の簡単な現状説明です。こんなことは良くあるよねと思う人間。或いは私は参加しない、若しくはそんな状況など我が家(地域)には無いなどなど読んでいる立場から見ても其々の環境があるでしょう。

まず例であげた母親の心境を私は以下のように分析しました。
常時、いじめという状況を連想していることに慣れてしまい、(いじめの連想が)根底に存在しているという事実に対し、気の重さを感じなくなっている。
↑これは過剰なストレスの現れであるという事実がある。脳の処理が追いつかないので感情を麻痺するホルモンの分泌を、脳の的確な役目の上から行なう。ホルモンの分泌を施された人間の自覚できる部分での意識はとても楽になる。
しかし、その楽と言うのは親同士の仲間とそれら子供及び我が子に対する「いじめ」の問題のみであり、それ以外は楽を感じることができない。
脳は脳の立場で的確な処理をしているのだが、この処理は脳機能の維持を守るために行なったもの。つまり、感情麻痺を施したものの、本来は強くストレスを感じているのだという事実は確実に残ります。
そのため、感情麻痺したエリア以外は「理由が分からないが何かイライラする、或いは無気力になってしまう」という現象が起こります。ちなみに感情が麻痺しているのはいじめに関わった一組の思考だけなのか? となると、これは違います。特にその部分へは感情を麻痺する分泌物が多量に流れていくというだけで、その他の感情を支配するエリアへも当然流れていきますよ。ただ、量の違いがあるということです。

こういった肉体的な異変が連続することで、感情麻痺は一時的から常時行なわれるようになります。
通常、人間はストレスを感じると何とかしてストレスを解消したいという欲求が、無意識から意識上へと上ってきます。その衝動により「怒り・道楽・食・衝動買い・酒・ドライブや旅行・声を出すことによる発散」などなど様々な解消をし、脳(正式には脳内分泌物)と精神のバランスを取ります。しかし、ストレスの解消の方法が分からないばかりにこういった異変を軽く考え見逃してしまうこともあります。
故に、ストレス発散は大切な心の儀式だと言えるでしょう。

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【補足】
脳の思考回路は電波ですが、こういった思考回路であっても、いつもの思考回路を辿り考えをまとめていくことが不可能ないしは難しくなります。故に、体内における電気系統の異常が発生します。すると電気系統から二次的に悪化する内臓疾患や神経系統の異変などの症状を呼ぶこともあります。



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ま、このお話は氷山の一角というよりは、氷山の中にある針の先程度の点にしか過ぎません。
仮に同じ症状や病名の人間が10人存在したとしても、同じ状態の人間など存在していないのですから。

それにこういった事態は家庭を持つ者だけが陥る心境や状態でもないはずです。

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マニュアル化した霊気と本来の人体浄化(霊気)を見つめてみる

霊気(れいき)。多くの人間が知識のひとつとして把握している単語になっていますよね。

霊気には様々な系統があり、第三者へ施すための(民間の)資格だったり自分がよりよい運命を切り開く術としてであったりと、多種多様の考えから霊気の門を潜った人間はここ数年で急増したのではないでしょうか。

私は霊気のマニュアル化について以前から疑問に思っていました。それは誰がやってもできる。というキャチフレーズがはびこっていますが、正直疑問に思います。曼荼羅らしきものを用い習得していく技、それが霊気ですよね。最終的には宇宙意識とリンクしなんたらかんたら…と、意味があるようです。

では、霊気の最終地点は霊気でなくては辿り着けない境地なのでしょうか。人間本来の最高の様を求め上げているという意識で活動しているのは知っています。その門を潜り技を体得すればそれほど人生が激変するのでしょうか…。

私の個人的な、そして独創的な意見ですが、霊気を体得し施せるものはもともと霊的な能力、或いは気を操ることができそれら操った気の技を鍛錬した者。その両者以外は不可能だと考えます。
つまりは、その両者以外の人間には無理だと断言できますよ。だからといって、この両者が特別であり素晴らしいとかそんなことは微塵も考えていないし、皆同等の人間だと言うだけです。

それに、マニュアル化しているという事実がありますよね。あれって、霊気って、どのような部分から立ち入ったとしても誰かに教わり習得するものでは無いと私は考えます。なぜなら、そういった能力(霊力か気の力)を持っていて尚且つそれなりの実力があれば、習わずとも習得するものだからです。ただしその場合でも努力に努力を重ねるのは言うまでもないですけど。

霊気にマニュアルという事態、私からすれば、子供の育て方の法律があるようなものだと思います。

門を潜った人間を否定したくて書いたのではありません。技術を商品にし使えない業を提供しているものへ対して意見を言いたいと思い書きました。
気を悪くしてしまった方がいたらごめんなさい。でも、こういうことを思っている、或いは考えているのは私だけじゃないと思いたいですね。

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「学校(職場)のいじめの根底にある社会情勢と真理」心の空洞化現象が起きているのは脳内破壊された人間なのだ~no1

心が空洞のように淡々と冷たく冷え切っているのに仮面だけが微笑する人間。いじめが蔓延しその水面下では多くの子供の脳内が異変をきしている。だけど、子供の脳内異変は子供達だけに責任があるのだろうか――。
完全否定はできないが、子供が小さいうちの出来事は親が悪い。理屈的に当然辿り着く結果。

親が悪い。
これは脳内破壊の進んだ子供を対象に親の立場を捉えた言葉。

しかし、この状態を親という立場ではなくひとりの人間として考えてみる。すると親自身も脳内破壊の犠牲者であると言える。

私が感じる脳内破壊の様は、感情の麻痺。
その感情の麻痺は何から来るのか、どうして感情が麻痺するのか。

それは
「キャラを演じ続けいつしか本当の自分を忘れ去ってしまった人間になったから」
だと言える。

基本的に誰とでも仲良く波風をたてないことは現実的に状況を平凡に維持していく。
だが、その平凡とは状況だけであって、自分の気持ちが平和なままか? となると、それは違うのだ。

そんな状況を維持していきたい本当の理由は、嫌われたくない、平和に暮らしたい、争って無駄に時を過ごしたくない。など、そういった様々な意志があるのだとは思う。

だから上辺だけの平和を維持しよう、上辺だけの平凡を維持しようとする。
平凡を維持していくには非凡な存在が身近にあることで「平凡の保障」というものが成立する。ということは、そういった存在を、無意識的、意識的に関わらず探し出さなくてはいけない。それは脳の指令により必然的に稼働する行為だと私は思う。

そうやって自分の精神のバランスを取るために非凡な存在を必要とする行為。
この現象は状況が違えど誰にでも経験はあると思う。

しかし問題はこの先にある。こういう非凡な存在が常時定着していないと生きていくこと、つまりは生命の危機を感じることさえある人間がいる。
それが脳内破壊の進んでしまった人間なのだということ。が、しかし、これはある側面から見た事柄であって、これが全てだとは言えない。

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いじめという名の心の空洞化現象は今の時代だからなのか?

人と人の繋がりは会う機会ばかりを示しはしない。心の絆が人と人との繋がりを確定し広がりや展開をあらわすこともある。

頻繁に顔を合わせる仲間がいても、絆が薄ければ何れ離れて行く存在となる。

絆は目に見えない強い結びつきがある。だからなのか、現実に見えるものじゃないから軽視する人間も多くなっているようにも思える。そんな見えない何かに囚われ煩わされるくらいなら自分の時間を充実させた方がいいよね。とでも言う意味なのかわからないけれど、或いはそういう淡々とした人間関係を好む時代なのかもしれない。

だとしたら、そういった考えのまま家族の和の中に溶け込んでいたらどうなってしまうのだろう。私は娘のいじめの件で幾人かの生徒と接触し、長時間に渡り直接はなしをした。その時にこの今書いている時代的な象徴であろう考えの持ち主達とも接触している。
その思うがままを私は生徒へストレートに話をした。当然、校長や数名の先生方の前。勿論、その生徒の親もいる前で、私は意見を述べた。

きっと虚しいであろう。
そして既に感覚が麻痺して味覚が異常になり味がわからない。
ましてや、自分が何が好きで何をしたいのかさえも分からず延々とキャラを演じているのだろ。

そういったことを長々ととある生徒へ本気で言ったのだ。

が、しかし、その生徒の親は初耳のような顔をしたのだ。だけれども、親が初耳の心境でなければいじめなどは無かった可能性が高いと言える。
いじめをした我子がいじめを受けている子供と同等の精神的虐待、或いは心の傷を親ないしは友達から受けているという事実を浅はかな意味でしか考えられなかったようだ。辛うじて、その生徒の親もいけなかったのだという反省はあった。つまり、辛うじて反省したその反省こそが浅はかなのだ。要は知ったつもり。分かったつもりでいても所詮肝心な部分が飲み込めていないのだから、何も理解していないとも言えるのだ。
その上、世間体が先に立ち、羞恥心が大半を占め正常に物事を判断できない状態なのであろうと私には思えた。それは返ってきた言葉や、ちょっとした仕草でも見て取れたものだった。

そんなものを判断するのに霊感で見たとかじゃない。
単に静かな気持ちで相手の様子や素行を伺い、更に随時新たな展開を整理し感情ではなく状況を理解する処理能力を働かせれば、誰だとしても見抜ける範囲のこと。

だからと言って、そこまでの話を(そんなことも気が付かないのかということを)私がしてしまうのもどうかと思うし、私がそこまでしてやる必要も無い。恨みはあれどそのような義理など微塵も無い。


第一、親自身が一切が子供のためではなく、己のためだけに改心する気持ちが無ければ子供は永遠に救われる訳が無い。故に、その事実に子供自身も気が付くべきだし、大宇宙の中に存在する心の掟を自ら気が付いてよい年齢なのだ(娘もその生徒も中3です)。いいや、知っていて当然の年齢だと言えよう。

ま、また機会があればこの話しに纏わる事柄は書きたいと思っているので、興味のある人は気長に待っていてくださいね。

いろいろ私なりに感じている事、理解している事があるし、もしかしたら、私からのこの情報が必要な立場の人間も居るかも知れないし。何にせよ今日はここまで。

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福島市の活性化のお話と再会

今日はとある人物と数年ぶりに再会し、福島市の社会情勢の話をしてきました。福島はどんな環境なのか、その環境はどうやって改善していくべきなのか。そんなことを話しました。
自分自身が立ち上がらずして何も前進しない。そういう意見を持った某人物のAさん(仮名)。

そういや以前に某団体の記事をこのブログ内でも取り上げましたが、そいつは何やらまたまたろくでもないことを街中の活性化と称し活動しているらしいね。ほんとにどうしようもないヤツだよ。
なんせFMポコ(ローカルラジオ)を巻き込んでいるのは知っていたけど、どこまで善人を騙し続ければ気が済むのだろうね。FMポコの人間は私も一部だけだけど接点があります。そしてポコのSさんはとても人情的で熱い人です。私は何年たってもいつも変わらず接してくれるSさんが大好きなんですよ。
それをよりによって……。妄想竹。奴等の暴走により被害が拡大しようとしている。

あ、そんなヤツの話はどうでも良いのだけど、ついつい腹が立って熱くなってしまいましたね。ごめんなさい。

その今日お会いした福島市を盛りあげていきたいと熱い志しを持っているAさんですが、私は常々Aさんを尊敬しているし、何より私はAさんが大好きです。なぜなら良いことも悪いことも両方を大事に考え、その上で人生を真剣に見据え、そして優しく諭してくれるからです。あ、Aさんは人生の大先輩なんですよ。そのAさんが福島市を盛り上げていくのであれば、私も出来る限り力になろう!!! そんな気持ちで今日は再会の幕を閉じました。

本気で立ち上がろうという勇士を持つAさん。

いつの世も悪がでかい顔をして世の中を堂々と歩く。善人が褒め称えられることは少なく世に羽ばたくことも中々できなかったりもする。それでも、何があったとしても、私はいつまでもAさんの見方でいようと素直に思う。


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霊の世界と人間の共存

霊と人間は共存し互いに存在している。
霊ももともとは生きていた。

生きていた――。
そう、過去形にしかならないそれが、霊。

だけれども生を証明する肉体は既に無く、残る霊体のみが存在の証しとなっている。


霊には霊の縄張りがある。それらを侵害し侵入するものを敵視する。
当然のことなのかもしれない。
縄張りを荒らす者の中には人間がいる。
つまり霊を封印する術を持つ人間。
そういった人間はことごとく霊から狙われている。
封印する、或いは消滅、?、そういった術を身に付けた人間へは容赦なく攻撃をしてくる。
これは防ぎようの無い事実。

それでも手を抜くわけにはいかない。
終わり無きいたちごっこ。
だからこそ技を丁寧に丁寧に磨き粒子を研ぎ澄ます。



我が死を迎えても尚、続くであろう共存という名のあくなき空間達。

***************************

ここ最近、除霊が続いています。
なにか妙な電波が流れているせいか、霊にとっては悪の威力が増殖しやすい空間になっていて住み心地がとっても良いのかもしれません。

それに私の身の回りも霊現象が多発していますよ。
このままで地球は大丈夫なのでしょうか…。

より良い未来を前に、チャンスを目の前に、そんな状態でもチャンスは過ぎ去る事もあります。
除霊後もそんな状態だといえます。
確かに、除霊とは霊を取るだけの事。
でも、必ず良くなるという言葉は送れませんが、何をしていけば運を、今を、切り開いていけるのか。
それを伝えることも私の仕事だと思っています。

言葉は思いを伝える大切な手段です。けれど、とても難しいですね。伝えるのと、伝わるのは、違いますからね。本当に難しいですよ。

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肉まんを作ったのはいいのだけど…

ハッキリ言って、でかすぎた。
お腹すいているから食べれると思ったのだけど甘かったよ(辛うじて完食したけどね)

夕ご飯前にスーパーへ買い物に行くと買いすぎてしまう←この心理と同じかも。


あ、でも美味しかったけどね。
パンダの次に肉まん好きだから美味しいのは当然だし(笑)

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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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