ここ1ヶ月ほど男性の心理について考えさせられることが多い。というのも、実は、ここ1ヶ月ばかりお客さんの鑑定内容が酷似しているという現実がある。
私は男性じゃない。どう考えても心も体も女だ。たまに男だったら良かったのにと同性から言われたり(口説かれたり)はするものの…同性を愛せないのだから、紛れも無く女。その女の視点から男性の心理(真理)を考えるということはとても難解だよね。
でもね、そういう心理とは霊感だけが全てではないのではないか…と、数年前から考え始めている。どういうことかというと、例えば…
Aさんがどこに行ってしまったのか分かりますか?
これを霊視の本気モードで結果を出したとする。しかも全ての鑑定を断り、自分の足で歩き、警察犬のようにターゲットの気配を追う。更に完璧にするため、地図を見て地図上の気配を追い照らし合わせる。そして全体の構図を頭脳で理解し、最終的に霊視で気配のルートを追ったとする。
で、数日かかって結果がでたとするよね。その結果は本当に正しいのか? と、思うのと同じだよ。霊感が無くても普通に誰でも、本当に正しいの? と思うよね。その考え(疑問符)は正しい(或いはまともだ)と私も考えているよ。
だって、ひとりの人物を探し当てるのに、ある現実が伴わなければ結果はだせる訳が無い。
しかし、確実に間違いなく言えるとしたら
「霊視結果ではこうなりました」
ということだけなんだよ。
大体さ、現実の証拠と照らし合わせない限り、間違いなく正確だとは言えないでしょ。ごく当たり前の考えだと思うけどね。
メディアに翻弄されたままの霊能者のなんと多いことか。ただただ虚しい。
道徳心やまともな考えが僅かにでも狂うと、メディアに踊らされ翻弄されてしまうよね…。
つまりね、心身症の人間がいたとする。そして、この人物はとても肉体的な症状が出ていたとする。医者に行くには内科なのか心療内科なのか…。軽い症状であればどちらかで良いかもしれないよ。
でもね、そうはいかない症状だってあるでしょ。そうなると、総合病院とかで色んな科の先生方が話し合い、どう治療していくかということを話さないといけないよね。
内科は内科のプロがいる。精神科は精神科のプロがいる。それらプロの専攻している学問や知識に、部外者が敵うわけがないし、必然的に多方面からのネットワークが必要だということと(Aさんのことは)同じ意味だよ。
要は人を探すのに霊能者だけじゃ、正確ではないということ。仮に霊視結果が当たっていたとしても正確とは言わない。なぜなら、専門分野以外の知識を必要とするし、第1に取扱説明書の存在しない商品だという欠陥がある。たとえ、どんなに素晴らしい商品(仮に霊視だとして)だったとしても、取説が無きゃ使えないよね。ということだよ。ま、使えたとしても誠実な販売方法では無いよということ。
話を戻すけれど、そういう多方面(其々の専門分野)からのネットワークというものは、時として偉大な結果を世に生み出す事もあるのだと思う。けれど、悲しいかな、日本人は、心理学を研究している者と医者は連携しないよね。ついでに言ってしまうと、心理学を純粋に研究する者と(人間の持つ真理を研究する)霊能者も連携しづらいでしょ。本来ならば、医者と心理学者と霊能者が1体となり研究チームを作ってしまうのが、望ましいと思うんだよね。そうすれば、医学的に不明な部分・心理学的に謎な部分・霊能者が不明な部分、という其々が良い意味で向上し研究されていくはず。
そういうことで言ったらこんなこともいえる。例えばね、脳医学を専攻している人間がいる。結果は出せるが途中過程が不明、或いは疑問だったとする。で、霊能者が同等の物事を捉えたときに、脳医学を専攻している人間が疑問に思っている部分は完璧に把握している。でも、どうして、こういう結果になるのかが分からない。つまりは、両者が疑問と疑問をぶつけ合う事で、いずれ答えが出てくる可能性は大いにあるということになるよね。
日本人はすごく勿体無いことをしていると思うよ。世の中に本当の意味で貢献できるかもしれない可能性を、芽も出ないうちから腐らせてしまっている。
霊能者の多くが私と同じことを考えているかどうかは知らない。ただね、莫大な発展を遂げる可能性があるのに悔しいなと思うよ。
別に研究チームをつくってノーベル賞を取りたいとか、世界に認められたいとかそういう意味じゃないんだよ。ま、そういうチャンスが私にあったところで、そういう学者や医者達を唸らせ認めて貰えるほど私の技術と知恵が優れているとは思えない。良くても、せいぜい、研究のヒントとなる言葉を並べるくらいしかできないのだと思っているよ。
へりくだって言っているつもりも無い。本当のことを、本当の気持ちを、そのまま書いているだけ。
いやさ、なんでこんなことを書いたかというとね。いつか日本を含むアジアなりヨーロッパなり…世の役にたてればいいなと考えている。私が役にたったところで、ほんのちっぽけな力しか発することはできないのも分かっているの。それでも、それでもだよ、私なんかで良ければ使って欲しいとそう思うんだよ。
そう考えていたとしても、たったひとりでぼちぼちとやることになるかもしれない。それはそれで仕方の無いこと。それでもね、もしも、そういったプロジェクトが組めればより多くの人間が、真の生きる喜びを見出せるかもしれないでしょ。
ひとりでやることには限界があって、たくさんの力と協力がないと生かされない事が、なんと多いことだろうか。
だから私はこれからは、自分ひとりができる限界という事実がある限り、誰かを頼ることをしないといけないね。
そして、それが実現できるように自分の人間性も知識も磨く事を怠けてはいけない。
そう、考え、思う、今日この頃。
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