涙がこぼれました続編になります。
実は本日お墓へ向かおうと考え場所を聞くつもりで相手へ電話を入れました。
電話で話していくうちに分かったことですがお墓が無いそうです。
お墓どころか遺骨も無くて…。
ああだから霊的にコンタクトが取りづらかったのだと感じました。
埋葬どころか遺骨も無い状態に至るまでの相手方の経緯を考えた時に
やっと理解できました。
そのことに気が付くまでは前記事にも書いた通り
不当な気持ちで連絡をよこしていないとしたら即座に霊的な攻撃を仕掛けるつもりでいました。
けれど、不当でもなんでもなく、遺骨も無いという経緯が尚更私へ連絡が出来なくなった原因なのだろうと理解できました。
連絡をよこさなかった行為に対し、単純な気持ちや感情だけで、事情が分かるまでの暫しの間攻撃態勢を温存し凍結していたわけではないんですよ。
亡くなった者がどれだけ私を思っていたのか一緒に住んでいた人たちは痛いほど知っていたのに、死んだ者の気持ちを汚した可能性を考え攻撃を温存し凍結していました。
ゆえに霊的に仕掛けるつもりはないです。
また私が流した涙は
死んでしまった事が悲しいのではなく
死ぬ前に一目会えなかったことが悲しいのでもなく
それらのどちらでもないんです。
死んでしまった事はもう触れる事が出来ないわけですから、もちろんさみしいです。
ですが亡くなった者と私は互いの霊感により霊的な交信が何度も何度もありました。
その中での会話は一緒に居たいという互いの思い以外の何物でもなくて。
自分が、死んでしまった者を思い焦がれてさみしいのではなく…
死んでしまった者が生前に渾身の念を込めて私へ送ったその気持ちを考えると
気持ちが交わった上で抱きしめられたかっただけ、ただそれだけだったんだなと。
いわゆる亡くなった者の心境をまざまざと見せられ
また、こうだったんだよというその者の思いが私の中で明確に再現され
その者の代わりに涙を流した感じです。
これまで一緒に居れない現状を互いが悔いたことはなくて
そんなことよりも一緒に居たいねという思いが両者にあったわけで。
大好きだという思いが互いにあったわけで。
なんていうかこれって私の立場上、成仏してねとなるんでしょうが…
成仏とはさせるものではないし、ましてやさせるとしたらある種強制でしかないんですよね。
自分で望みどこに居たいと願い乞う思いを私はただただ叶えるつもりでいます。
今はまだ霊界での状態になんかしらのトラブルがあるのでそのトラブルを取り除き、私の元へ連れてくるつもりです。
それから…
霊的な交信は互いの霊感で行なっていましたが
一緒に住んでいる人々に対しさみしいという気持ちが伝わってきたことがありません。
死んだ者はそんなことを一度たりとも考えなかったのでしょう。
それくらい性格がきれいでした。
私が連れ出してくれるのを何の疑いも無く待っているのが分かります。
死んだ者からの過去から続く渾身の念は、私が救い出し連れ出す約束を明確に理解してから止まりました。
私の涙も止まりました。
悲しみも無くなりました。
でも今日は雨がふっています。
きっとこれまで会いたくて会いたくて心で泣いた互いの気持ちが雨になったのでしょう。
旦那さんとも抱き合って一緒に泣きました。
子供たちも泣きました。
それでも
もうこの者の悲しみに対して泣くことは無いでしょう。
[8回]