犯罪者の心理。専門科が専攻する分野で研究をした成果が世に生み出され、生み出された多くの専門知識は様々な人間の目に留まる。
ここ数ヶ月の事件で、もとレースクイーンをしていた女性が内縁の夫を刺殺(疑惑?)という出来事がありました。
同情される内容が記事には連なりわからないでもないね。と、そう思ったけど。世の中には、同情を含む殺人だけがあるわけじゃない。
大分以前に女子高生コンクリート詰め殺人事件があったよね。あの事件は凄惨だ。言葉も出ない。表現のしようがないんだよね、ただ、ひどい。その言葉しか出なかった。
人を殺す時の心理って、冷静だったり、興奮していたりするんだろうと思う。仮に冷静だと思っていたとしても、精神分析の結果では過剰な興奮状態だとかもあるだろうけど。
人はなぜに犯罪に手を染めるのだろう。
それをして家族が身近な愛する人が悲しむ。或いは、被害者に申し訳ないと思わないのだろうか。思ったとしたら、その度合いはどの程度なのだろうか。
が、しかし、私は思う。道徳とは人間が後々に取り付けた決まりごとだと。人をなぜ殺してはいけないのかという明確な言葉を大人は言えない。言えたとしても、道徳にのっとった言葉しかいえない。勿論、私自身もその本当の理由が見当たらない。
正しいと信じることをすすめようとした時、未来に想定する行動が大きければ大きいほど、細かなことを綿密に思案する。当たり前だと思っていても、なにが当たり前なのか理由が分からないことが多くある。
そうして考えていくと、この世に当たり前のことなどなくて、正しいことも、間違いも、存在していないのだと思う。
ただ在るのは何かが現実で動いたことで、自分自身の身の上に起こる出来事というものが在るというだけ。
そして、その出来事がこの世の不幸を凝縮して降りかかってくるか、或いは、とても幸せだと思える出来事なのか。というだけ。
本当の不幸というものがこの世に在ったとしたら、それを自分の考えで回避できるものではないのかなと思う。
人間の肉体には心と思考が共存しているように思える。だからこそ、脳の思考に、本当の心が支配される。支配を受けるとそれが自分の思いだと感情だと心が錯覚する。(だがそれを不幸であると自覚せず、全てが上手くいっていると誤認していることもある)
支配という事実が自分の中で革命を起こし、それらを人は「性格」だと呼ぶ。あなたはきっとこういう人よねと、誰かから枠を指定される。枠を指定する人間が家族であったりすると、脳は変容する。
変容に気がつかぬまま家族ごっこを繰り返し生きているのかもしれない…。
なにが犯罪者をつくり、何が犯罪へと駆り立てるのか。それは私には計り知れないものがある。
そしてこの世で罪を犯し刑に償う者も少なくは無い。
何が悪かったとしても、原因が自分以外にあったとしても、それらを抜け出すには自分の考え方なのだと思う。
本当のことは、今の私にはまだまだ巨大な壁と成り、分からないことが多すぎる。それだとしても、自分が変われば生き地獄という己の思考から抜け出せるものだと考える。例え、この世の何もが変わらなくとも、自分自身の肉体の中で革命が起こればそれもひとつの道だと、そう思う。
きっと誰もが素晴らしい道なんて無いのではないかと考える。
道は、今よりも少しだけマシな顔をして存在しているものだと思うよ。
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