潜在意識:
無意識の感情
無と同質
コントロール不能
呪の領域
統率されない感情
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潜在意識――。潜在意識とは無自覚の意識。そして、自覚の根源。時として核爆弾。
自分を追及していくことは、とても大切な事。しかし、理詰めで自己を追求していくと、触れなくても良い、精神のパンドラの箱に突き当たることがある。精神のパンドラの箱の中には、核爆弾が潜伏していることがある。核爆弾。若しくは地雷とも考えられる。
パンドラの箱とは、そもそもギリシア神話。ゼウスが渡した箱の中には、災いがたくさん詰まっていたといわれている。災いの詰まった箱は、人間の潜在意識の中に常時潜伏している。潜伏しているということは、いつ、箱が開き、爆破してもおかしくない状況ということになる。
爆破は、別に自己を追及しなくとも、状況や環境。又は特定、不特定の人物からの影響により、自分でも知らないうちにスイッチが入ってしまうことがある。そうなると、アダルトチャイルド。インナーチャイルド。はたまたトラウマといったように、ひとくくりの枠で囲まれてしまう。誰だって、好き好んで傷つく人はいないと思うの(性癖とかは別としてね)
こういう自分以外の人間から受けた傷は、とてつもなく大きい。相手に悪意があっても無くても関係なかったりもするよね。
精神の傷を癒すために、自己へ立ち向かう事。これは立派だと思うし正しいとも思うよ。それでもね、場合によっては自分で自分を破壊してしまう事に繋がる。
考え方を工夫する。楽しい事をしながらの考え方の工夫は正しいと思う。
どういうことかというとね、例えば、結果を出したい人って割と多いと思うの。結果ということは結論。つまり最終結末。結果を急ぐという事は、それだけ頑張らなくてはいけないという意味に必然的に繋がってくる。
人生においての結論や結果。仕事の業績。学生なら試験の結果。そういうのって、後々、総合的な意味で自分に還ってくるから、みんな頑張るよね。ただ、私は思うんです。本当に自分のためにやっているのかなって。家族のためだったり、将来の夢のためだったり、人其々の理由があってやっている事。
なにを言いたいのかというと、仮に、今、数人で砂崩しをやっているとするよね。棒が倒れたら終わりの、あのゲーム。砂崩しをしていて、自分の順番が一番最初だとするでしょ。で、勿論、砂を取るじゃない。その時に、結果を急いで出そうとする人生を、送っている人は、一回で砂崩しを終わらせてしまっていると思うんです。
そりゃーね。それはルールにのっとっているから正しい事だと思う。しかし、その周りの人間はどうかな?
自分が頑張るという事は、一度で砂崩しを終わらせる事と似ている。
つまりね、周りの人間が家族だったとするじゃない。で、砂崩しを、自分が一度で終わらせるということは――、
自分が頑張ればいいんだよね。と、優しさから行動を起こす。すると、周りの家族は、
「えっ!!! 砂崩しをするんじゃなかったのーーー」
と、当然言うよね。けど、頑張っている自分は優しさから言う。
「棒が倒れたんだから、ゲームは終わったでしょ。別に間違っていないよ」
そこで、砂崩しが終わり、自分以外の家族に精神的な重みを与える。確かに言っている事は正しい。何も意見などできないと思うの。
それでもさ、みんなで少しずつやるから笑いが出て、楽しいんだよね。
あっ!!! 棒が倒れそうっ( ∇ |||)
そういうドキドキも楽しかったりする。
ひとりで背負うという事は、守りたい者達。望んでいる未来。そういった全ての必要なものを奪ってしまうことになる。そして、10個の荷物があって、そんなのひとりで出来るからいいよ。と、頑張る。そうすると守りたいはずの家族(夢とか色々ね)にも、同じ分の負担が掛かる(仮に、家族が3人いたら、10×4で40の負担)
これって、条件的に連鎖していくものだと思う。
小さなことから、結果を急がず。そして、ゆっくり。そういう心がけは大切なのかもしれない。
頑張っても頑張っても、届かない何かがある人。一度、違った目線から考えてみるのも良いと思う。
だって、頑張る人ほど自分をしっかり見つめていたりする。それは正しい事だよ。だけど、パンドラの箱を開けてしまうこともある……。
それよりも大切なもの――。見落とさないで生きていって欲しいと思います。
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