白月光
白月光

白月光

あなたは本当の自分で生きてますか?

ねこちゃん you tube




いやいや、最後の方のシーンのあたりを見て、ひとりで笑ってしまった。
あの張り切り具合が絶妙におもしろい(*´ω`*)ふふっ

つか、やっぱ猫ってば犬よりも人間臭いと思ってしまうね。


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素敵なばあちゃんという存在の輝き

私は、占いの仕事を始めてから、脳の仕組みが気になって仕方が無い。なぜなら、うちにお客として来る人間が、追い求める果て。つまり、(その人自身が)自己の出来うる範囲の限界。この限界をアドバイスという形式で提示しようとした時に、ほぼ「思考の問題」が絡んでくる。
というか、単に、私自身が思考に拘っているのかもしれない。

だとしても、今の自分がしっかりと取り組むべき目標のひとつとして「脳内の思考」があるのだ。

簡単に、どんなふうな構図で取り組んでいるのかを説明するね。
まず、アドバイスをする段階でのお話ね。

「思考」というからには、お客さんが自覚している「意識、または考え」なんかを軽くでも伝えなくちゃいけないわけだよね。だって、「今は、こんな風にしているけど、今後は、こんなことを…」みたいな説明をしなくてはいけない場合、「自分が自覚していない内容」をベラベラと言われても…「はぁぁ?」と、ぶち切れたくなるに決まっている。そこで、流れのひとつとして、現状の説明をするの。

でね、自覚している状況を説明するということは、その人の無意識のエリアを把握しなくてはいけない。
この無意識のエリアというのは、例えば、小さい頃のことだったり、ある時期からの特定の思考だったり、そんな様々な過去の状況とも繋がっている。
そうだね、しいて言えば、血管みたいに網羅してある細かいバイパスがたくさんあって、心臓という現在の「自覚」に辿り着く。そんな感じなんだよ。
それで、その他にも色々と四方八方から見る。これは、先日ブログ記事であげた「美しく魅力ある闇~心に深い闇を抱えているあなたへ 」でも、似たようなニュアンスが書いてあるのだけど、中心を基点にして、様々な方向からサポートするんだよ。
要は、柱となる軸(1番肝心な弱点みたいなもの)に対し、支えと成る様々な範囲の事柄(一見、何の意味も無く思えるようなアドバイス)で、中心の軸を支え、完璧にしていく。
当然、それらは、本人がその目的に進むという意識を「意識しなくても」進めるような仕組みにしてアドバイスをするの。

その軸と成るのが、無意識のエリアである「脳」。これが、今の私が捉えている中心なのだ。

その脳だけど、脳の細かな部分は、見えたとしても必要が無ければ伝えない。けれどもね、私の中では時として(お客さんによっては)重要な役割を果たす部分になる。
と、ここまでが本題前の補足。

んで、ここから、話が本題になるよ。思考って、思考をさえぎる思考や、思考を挑発する思考、思考を抹消に近い状態にする思考、などなど、脳内の分泌物も含めて色んな構造で成り立っているように見えるのね。少なくとも私には、そう思えるの。
そういった、ブロックされている思考を、(目的に視点を置いた場合の)何ら障害が無く循環できる情況。それを柱の周りをサポートした状況。これを「アドバイス」として伝えている。
要は、「見えていることが表」だとしたら、「裏面の自覚している意識」に「アドバイス」を添えて伝えているということだよ。
うん。ここまでが本題。だけれども、更に奥に本題があるんで、ここまでの話を頭の片隅にでも置いて読みすすめてください。

これをどうして書いたのかというと、別に占い師の人の秘密の勉強会(ちっとも秘密じゃないだよ)のためでは無いのだ。ちなみに、占い師が、占い師の視点で見ても、「分かっている人にしか、分からない」よ。だって、その視点で書いているわけじゃないのだから、当然だし。
でね、人間は生きていたら、じいさん、ばあさん、になっていくよね。
身近に居るじいさんとばあさんが、とても素敵な人しか居ないわ。というお方なら、読んでも意味が無いかもしれないが、素敵なお年寄りばかりが存在していないのがこの世の中だよ。

年を取ると、誰かに頼りたくなくても、頼らなくちゃいけないときがある。

ねぇ……、老後とか考えたりする?

私は考えるんだよね。ま、その話がしたくて、この記事を書いたんだけどさ。

老後を考えるからといって、「年を取る恐怖から…」なんてことじゃなくて、より良い老後を過ごしたいでしょ。そう、無力に近いばあちゃんは、誰かにすがって頼るしかないんだもの。
そんなばあちゃんになった時に、おまえはかわいくないから、ひとりで生きていけ。と、言われたか無いし。
ほんでもって、楽しく暖かく(頭が?)過ごして人生の幕を閉じたいじゃない。
どうせ同じばあちゃんなら、かわいいばあちゃんが良いに決まっている。
それにさ、ばあちゃん、大~好きっ。そう言われたいし。うんうん。あ、でもね、ばあちゃんとは呼ばせないぞ。えりちゃんと呼んでもらう( -_-v)ぶぃっ

そうなの、これってば、私の夢のひとつでもあるのよ。ま、長生きができたらの話になるけどもさ。

年を取ると、脳の機能が錆び付くよね。
ぼけちゃうとか、そんなじゃなく、ゆっくりしか機能しないでしょ。当然、動作もゆっくりだよ。
ほんでもって年を取ると、脳は、若い時に培ったものだけが残る。それも、大抵が予想外のことが残る。
この予想外が、私がなりたくない「かわいくないばあちゃん」なのだ。

これはね(…この辺りからが、本日、言いたかったことだよ)、若い時に努力して、自分の精神やら性格やらを改善、または維持していったとするでしょ。
だけれども、脳というものは、頭の限界を自分が把握している以上に、出来るヤツ(脳機能)なんだよね。
つまりね、これが自分。と、思っている自分は、自分ではない場合がある。ということだ。
ほいでもって、そんな理論は何処からくるのかというと、周りのお年寄りで、素敵とは無縁の人がいない?
そういうお方たちは、なにか自分自身を過大評価してはいませんか?
物分りを良い振りしてても、そりゃー、ひどいぞ。と、言いたくなるくらい真逆の事をやっているとかさ。

結果から言ってしまうけど、あれは、「脳が壊れていくというよりは、強化され続けた思考が生き残る」という状態だと、私は思っているんだよ。
うん、これだけを今日は言いたかったんだよ(笑)
それにしても、長すぎだな。ま、そんなに簡単に物を言えるほどお利口さんじゃないんでね(言い訳)

自分で、出来るヤツ。そう思っているのが、思い込みじゃなく、本物(に、順ずる過程も含めたもの)であれば、じいちゃんになっても、あちゃんになっても、素敵な老後を送れるよ。と、思うんだよね。

だからこそ、今のこの時の連続が大切なんだと思っているの。

私はね、素敵な老後を送りたい。老後は無力だからこそ、かわいいばあちゃん(ばあちゃんとは認めないが)で、居たいと思うしさ。
そのために、今はね、自分の精神と向き合うことをしているんだよ。
人として本当のことを、ゆっくりでもいいから丁寧に知っていく。玉葱の皮みたいに奥に奥に存在している「本当のこと」。それだとしても、時間が掛かることが問題じゃないし、知りえた範囲が問題でもないと思えるんだ。
だって、玉葱は皮しかないもの。本当のこととは、玉葱の皮むきと似ているし、それ以外の表現が私には見当たらない。ということは、本当のこととは、きっと玉葱なんだと思う。皮を剥いても玉葱だし、まんまでも玉葱だ。
本当のことが生きている間に分かっても、それが本当じゃないかもしれないでしょ。
所詮、人間が考えられる事実とは片寄ってしか考えられないと思うの。専攻が違えば、同じ研究をしても、意見がかち合うのと一緒じゃないのかなって。だからこそ、楽しいし、おもしろい。

ま、私は、そうやって年を重ねていこうと思っているんだ。
自分と向き合い、本心と向き合い、泣いて笑ってばか言って。

ほいで、年を取り、その時に柱に残る精神は、
「ばあちゃん、ばかだな~」
って、腹一杯に笑って言われるような、そんな人間で居たいとそう思うよ。

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美しく魅力ある闇~心に深い闇を抱えているあなたへ

無意識の世界とは、霊感で捉えることのできる世界。そして、同様の世界を心理学、精神医学、或いは科学などなど、様々な分野から立証できる。

けれども、無意識の世界とは未だに未知の領域だ。

そして、最近、私は感じる。
霊感でどのくらいの位置まで、無意識に向かって降りていっているのだろうか…。と

また、同時に思うことがある。
無意識を知り得るということは、その範囲が科学的でも医学的だとしても、それらを発表してはいけないエリアが存在しているんじゃないかな…。と

肩こりはマッサージ師。足は足裏専門店へ。みたいな感じで、其々の専攻している分野というものがある。
それらは、おそらく、其々が同じ的に向かい研究の成果を発表したとしても、互いが互いの専門分野からしか立証ができないもの。ある意味、的の断片となっている一部分を、これが的(正解)である。と、言い合いをしているように感じるケースもあったりもする。それは専攻しているものが異なるのだから当然の結果だと思う。

無意識を知ることは大切だと、違和感のある心の闇へ適度な温度と適度な光が当たるのは大切だと、それはそれで感じてはいるけれど、果たして其れほどまでに大切で重要なことだろうか。
仮に、茎が曲がった植物があったとする。その茎を垂直に伸ばすことが、それほど重要だろうか。茎の曲がりは、この植物の価値を失うような問題となるのだろうか。

人は生まれた時から、いいや、命を宿した時から同等の天命を持った者も居ないし、肉体だとしても同じように居ない。双子だとしても、僅かながら環境によって変化していくもの。
食物で言えば素材だが、その素材の持ち味というのがある。
かぼちゃはぼこぼこしているから、かぼちゃだし。苺は赤くて甘いから苺だ。

それが、かぼちゃが苺みたいな形で売られていたら、真新しくて購入をするかもしれない。更に美味しければリピートもする。

けれども、所詮、かぼちゃはでこぼこしていて初めてかぼちゃなんだよね。

ほんでもって、形が変わったとしても、かぼちゃはかぼちゃ。

つまり、形が変わらなくてもかぼちゃだし、変わったとしてもかぼちゃだ。

それって、人間が品種改良をするから新発売のかぼちゃが誕生する。
もしも、かぼちゃが人間ならどう思うのだろうか。
隣りのかぼちゃは見事なくらい形がいい。けれども、ぼくは形が悪いから品種改良をしてもらいたい。
そう、思うかもしれない。
それはそれで、発想はかぼちゃの問題だから、なんの問題も無いことだし、発想は好きにやるべきだと思う。

じゃぁ、かぼちゃの精神状態を心理学者が分析しました。

かぼちゃは。小さい頃に鴉に突かれ、穴が開きました。そして、自分は出来の悪い野菜だと思っていました。更に精神科医が、出来の悪い野菜だと思うことで、かぼちゃの脳から麻薬成分を含んだホルモンが分泌され、それまでの恐怖感を感じなくさせていますよ。と

だから、こんな風なカウンセリングをしましょう。

そう言われたかぼちゃは、ぼくの頭はおかしくなったんだ。そう思いました。

なんて、物語があったとする。

それって、改善していく方向は正しいことだ。
けれども、この一部分だけが正しいことではないよね。
カウンセリングをかぼちゃが取り入れた。そして、規則正しい生活。軽い運動。趣味に…。と、様々な分野からのアプローチがある。けれども、どれも正解だけど、ひとつとして「単体のみで、本当に改善できることがないんじゃないか」と、考えているよ。

それにね、私は最近、特に思うのだけどさ。
人間とは生き続けている限り、好きなことを探せばいいんじゃないかな。と、思うんだよね。
好きなことって、何にも勝る「武器であり、守りなのだ」と、思うよ。
つまり、好きなこととは心の芯になる大切なこと。そして、芯を起点とし、その周りに様々な分野のアプローチがあり、やがて心身を改善していけるものだと思っている。

別に心に闇が在っても、毎日が地獄のようでも、自分なんだよ。
凄く楽しそうな人間が、自分と掛け離れているように見えたとしても、その人は、もしかしたら「本気」で生きていないかもしれないよね。好きなんだと思い込んでいることがあっても、本気で好きだと思えることが無いかもしれない。

私から言わせれば、この両者で、どっちが「貪欲なまでに、本当に好きなことを見つけることができるか」と考えた場合、楽しくない人間の方が見つける確率が高いと思うよ。
楽しくないというか、辛いと思える日々を送っている人間と言ったほうがしっくりくる。

だってさ、辛いのが好きな人っているかな。痛いのが好きとかは居そうだが…。辛いのが、となると、ほぼ居ないと思うんだよね。たまに妙な人間も居るから、それはそれで良いとして。
辛いってことは、その場に、その状況に、留まって居たくないという意味にも繋がるよね。
ということは、どうにかしたいと思っているわけだ。
ほいでもって、それでも、そこに居る。或いは居るしかない。とか、何らかの事情で動けない人間も居るはず。

現状を大きく変えることは、ひとりでは無理だ。当たり前だよね。ひとりの力なんて、たかが知れている。
だからこそ、見つければいい。
ひとりでも楽しめる「好きなこと」を。

その好きなことは、今よりも、ちょっぴりだけ楽になるくらいで丁度いい。
辛い気持ちの中で、存分に楽しむことだけが好きなことではないと思うし、辛い時は好きなことも霧がかかったように霞んで感じるものだと思うよ。

過去がどうあれ、今がどうあれ、生きているのは今のこの瞬間だ。過去の傷は確かにでかい。でかいとしても、無意識の闇を痛みをがまんしてまで、こじ開ける必要も無いよ。

好きなことをするということは、心に太陽が昇るのと同じなんだ。
痛んだ古傷を皮膚を切り裂き、わざわざ開ける必要は無いよ。体の外から太陽を当ててもいいけど、中々、闇にまで到達なんかしないもんだ。
だったら、なんでもいいから、気になる物から手をつければいい。三日坊主だとしてもいいじゃない。だって、好きなものを見つけている最中だもの、飽きるということは今の自分は、その事柄に対して魅力を感じなかったという事でしょ。本当に魅力を感じれば、忘れ去ることなんて出来やしない。男女の関係と一緒だよ。

心の中に自分だけの太陽を見つけよう。
みっつも、よっつも、たくさん太陽があってもいいのだ。
明るくて、暖かくて、気持ち良さそうだ。あ、でも、ちょっと熱いかもしれないね。

ちなみに、かぼちゃで言うなれば、形の悪いかぼちゃを一流シェフは使わないかもしれない。けれども、心まで温かくしてくれるお母さんの手料理なら、最高の料理をしてくれるだろう。たぶん。
それが、かぼちゃが太陽になった瞬間なのかもしれない。

闇は太陽があるからこそ、闇の美しさが際立つものだ。
私はそう信じて疑わないね。
太陽が照り付ければ照り付けるほどに、闇は美しく自分の魅力としてかえるものだと、そう思うよ。

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世の空気とか脳内麻薬とか麻薬とか~だらだらと書いてみた

昨夜遅く、なんとなく上空が入り乱れ、嫌な感じが一瞬していたんだよね。
それがさ、今日、起きたら「世の中の霧が晴れた」そんな状況に変化していたのよ。

ああ、だから(昨夜の)深夜の時間帯がおかしかったのか…。納得だ。

それにしても、春一番があちらこちらで吹きまくりですね。
福島は春一番が吹いたのだろうか…?
今日は朝から忙しなく、あちこち移動していたから、お天気情報もなにも知らないや。

そうそう、世の中の話とは全然違ってしまうのだけど、麻薬って脳内でつくられる。というのは多くの人間が知っていることだと思うの。
そう、快感の世界を脳内で生み出すホルモンで「ドーパミン」とかいうものがある。
これは、人間が快感に身を震わせるための大切な役割をもっているといわれている。

けれども、「麻薬」を体外から摂取すると、「脳内麻薬が肉体の中でつくられなくなってしまう」のだそうです。
そうなってしまうと、快感という感覚から離れていってしまうよね。

というか、何かひとつの感情が消滅して感じ取ることが出来ないというのは、とてもかなしい話かも…。うん。

それからね、セックスで良質の脳内麻薬ができるらしいね。
ま、多いにセックスの質が関係していると思うけどさ。

ほんでもって、麻薬を使用したセックスとは、人間らしいものと離れてしまう快感を求め続けるようになるのだろうと思うよ…。

自然に溢れない快感……か。
やっぱり、それってば、かなしいし、虚しいよ。

ま、だとしてもさ、セックス依存だっけ? そんな症状名があったと思ったけど、それはそれで困ってしまうものだと思える。バランスとは難しい。
人間が両足で立つように、上手いバランスが何に対してもとれれば良いのだろうけど、世の中そんなに甘くはないわなぁ…。うん…。

一時しのぎのつもりの麻薬が常習化されると、その他にも様々な後遺症が出るものだし、決して良いことではないよね。だからといって、他人がどうこう言ったとしても、そう簡単にやめられるものでもないらしいし。
なんでも物事はそうだけど、やっぱり、最後には自分の意思なんだよね。

何につけても、自分の意志が試される世の中。

これって、より良い環境だといえるのかな。人が人らしくない世の中になればなるほど、
「最後は自分の意思」
これを強制的に試されているように思えてしまうよ。

まるで、熱した鉄板の上でこの世の人間が踊らされ、誰かの上によじ登り、自分だけは助かりたいと本能を剥き出しにする。そして、たくさんの人を犠牲にして、その上に立っている人間は、お前らは自己中だと非難する。結局、みんなして好き勝手だよ。なんて、思ったりもする。きっと、そんな中にも、倒れた人を抱き起こし続ける人間もいるのだろう。

何の為にも成らないようなこの世の空気は儚く虚しいと感じることがあるよ。
マイナスはマイナスと寄り添い、巨大化する。巨大な壊れた思想は心の弱った者、意志の弱い者、たくさんの人間を巻き込み、やがては、渦の中に飲み込もうとする。その様は、指揮者の居ない音楽会だ。

だからこそ「自分の意思」。

それなのに、そういう本当のことが砂を噛んだような味になる。
本当のことを伝えようと思えば思うほどに、人間とは、生きているということは、それらは一体何なのだと…考えてしまうね。

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他人の不幸は蜜の味―脳の働き

嫉妬心の強い人は、この世にたくさんいるよね。
嫉妬を別の言葉で表現すると妬み。

放射線医学総合研究所、東京医科歯科大、日本医科大、慶応大、の共同研究により発表された。
「他人の不幸は蜜の味だ」というのを科学的に証明したというのだ。ちなみに、13日付の米科学誌「サイエンス」に発表したということだ。
頭のいい人は凄い研究をするなと感心してしまうよ。

このお方たちが何を研究したのかというと、被験者に主人公になってもらうシナリオを渡し、脳の反応を調べたのだ。
シナリオの内容は、自分が所持できないような物を持っている第三者を登場させる。などといった中身。

こういった状況で、被験者が妬む気持ちを感じるとか感じないとかそういうものを書かされ、同時に脳の反応を調べたという。

この研究で判明したのが、葛藤や身体の痛みに関わる脳の部位で「前部帯状回」が活発になったというのだ。
つまりは、「体の痛み」=「妬み(嫉妬)」という感覚だということだよね。なるほどね…。

それから、被験者に渡されたシナリオの中には「前回のシナリオに登場した“妬みを感じた人間”が事故を起こす」内容もあったそうだ。
その部分の研究で判明したのが、報酬を受け取った時の反応を示す「線条体(脳部位)」が強く反応したという。ほんでもって、「前部帯状回」の活動が高い人間ほど「線条体」の活動が強いのだ。そして、この反応は、「とても美味しいものを食べた」時と全く同じ反応だという……。
…げっ。

まさに「他人の不幸は蜜の味」←まんまだよね。

参考までに、線条帯とはドーパミン需要帯が集中している部位らしい。この辺りの詳しいお話が出来るほど、私の頭は丈夫ではない。そう、今日の私は、たまたま脳が風邪引いているのだ。しかも、この「たまたま…」は、永遠に果てしなく続くのだった。

それにしても、旨いものを食べた時と同じって、なんか凄まじいよねぇ。


そういや、この記事を書いていて思い出したけど――、
「妬みを感じた人間が不幸な目に合う…」って、前文で書いたけど、これって、私が呪術(というか、体だから施術になるか)をしていて、時々感じていた部分と関連しているのかな…。

というのもね、仮にお客さんの要望が「悪い性格をどうにかしたい」だったとするでしょ。んで、実際に霊感で見てみたら「(選択した言葉は悪いかもしれないが…)悪い性格」だったとするよね。

でね、その場合、霊的なエリア以外に身体の中も細々と見るのだけど、見ている途中で「不幸を喜ぶ習慣」みたいなのがある人って、脳から麻薬みたいな成分が放出されているんだよ。

どんな感じかというと、全身麻酔みたいなものとは違い、部分麻酔をされているような状態になっていて、特定の「自分に都合の悪い、自分の感情」という(脳)エリアを麻痺させている。
ほんでもって、結果的に「自己の正当化」が脳内で確定している。そんな状態になるという人たちを今まで見てきた。

なんとなく、この記事を見て、「アレ?もしかしたら今までリンク先が分からずに単発で抱えていた立証の一部分たちが、この記事とリンクすることで繋がるものもでてくるかもしれないなぁ…」と、そんな風に思ったよ。

これが頭の中でリンクしたら別ブログの精神の探求~Search for spirit の方へ記事が追加できるかもね。
一旦、今まで積み上げたものを全てを星のように散らしておいたから、リンクした時は納得がいくような惑星をつくりあげていこうと思うよ。そう、探求の成果の自己満足だ。つか、それってばどんな惑星なんだか…。

脳科学者。それは巨大なタワービルの集合体になったセンターに無限に近い資料が存在していて、そのセンターの中には管轄別に脳科学者がせわしなく頭脳を働かせ、凡人には分からぬような速さで頭を回転している。それらの研究が進み、資料が追加されると、巨大タワーが並々と増設されていく――。
それが私からみた脳科学者のイメージだよ(いやいや、そりゃ妄想だ)

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ちょっと一息ね

ちょっと一息入れよう―(you tube)



笑う回数が少ないと笑いづらい筋肉になってしまうらしい…。
しかも、そうなってしまうと、笑った時に不自然な笑いになるとか……。
それは、だめだ。

ということで、笑えるかな?

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目標地点まで移動するためにはどんな発想があるのか~その一部を紹介

人間万事塞翁(じんかんばんじさいおう)が馬とは、中国からのことわざ。

「人間」を「にんげん」と読まず、「じんかん」と読みます。
じんかんとは、「世間」のこと。
塞翁とは、城寒に住んでいる翁(老人)のことだそうです。

+゚・。+☆+。・゚・。+☆+。・゚++゚・。+☆+。・゚・。+☆+。・゚+

占い好きの老人が、大切に大切に飼っていた馬が逃げてしまった。
逃げたことを知った村の人達が「かわいそうに」と、老人を慰めた。

けれども、そのことが幸福を呼ぶかもしれないよ。と言って平然としていた。
やがて逃げ出した馬がたくさんの馬を引き連れて戻ってきた。

村人たちは、よかったねと老人へ言った。
そして、老人は言った。
これが禍になるかもしれないよ。と。

その後、老人の息子は馬から落ちて怪我をした。

怪我をした息子は、戦争に行かずに済んだ。

+゚・。+☆+。・゚・。+☆+。・゚++゚・。+☆+。・゚・。+☆+。・゚+

という出来事から始まったことわざだという。

つまり、目の前で起こっていることが「幸福」にみえたとしても、「禍(わざわい) 」の根源になるかもしれない。
また、「禍(わざわい)」が転じ、「幸福」になることもある。
人間の運命とは予測のつかない分からないものだ。という意味だそうです。

※文章が長めです。読みたい方は気合いで読んでください。


私は、占いの仕事をしていて、よく考えることがある。
それは、霊感で見えている出来事というのは本質を現すものです。
けれども、霊感を持たない人が、その出来事を見た時に本質の色というのがあったとしても、
その本質とは全く異なる色を想像し、頭の中で展開してしまうのだ。ということ。
ま、このことわざと被りますが、それと同じような気持ちになりますね。

占いとは、出来事というよりも、その人の本質の色(場合によっては、現在の色)を基本に判断していきます。
そして、本質からいきなり掛け離れた色の運命をアドバイスは出来ないでしょう。
どちらかと言えば同系色。だけれども、どうしても対極の色の位置にいきたいとする。
そうすると、おのずと同系色を渡り歩き、目的の位置までの道のりを案内する。
占いとは、いわゆる道先案内人ですね。


それから、こういった色をカラーチャートの表としても考えられる。
赤青黄色と、様々に原色が並ぶ。それらの原色は横の位置を示す。
また、縦は、濃度を現す。下が黒で上が白となる。
カラーチャートを移動するには「色の調合をしつつ歩いていく」。
ということは、このカラーチャートを人間が住んでいる世界という表現もできるよね。
ただし、それら人間の世界をリアルで例えているのか、或いは精神世界で捉えて表にしているのかというだけで、種類が異なっても、同じ人間を表すことができる。
だけれども、その表とは、立体ではなく、平面の表。
立体的に其々の人間が住んでいる位置というのも表現することも可能だと思う。

さて、それらの世界の中で上手くやっていくには、今居る位置の色に、自分が染まることなんじゃないかなと思います。
それは、まるでカメレオンみたいに変化していくことです。
そういうのって、八方美人? なんて思うかもしれない。
だけれども、そうではない。
だって、色が変わったとしても、カメレオンであることには変わらないもの。違って見えるのは色だけでしょ。

それを「自分が無い」とはいわないよね。
そんな風な思考を展開していくと、無駄なプライドが剥がれ落ちることもある。

また、赤色が青色の位置にいくためには、ただ闇雲に原色を渡り歩いても辿り着かない。
青の位置にいくまでの色が必要になってくる。
それが、自分を磨くとか、努力するとか、そんなような部分を示すものだと思うよ。

ま、ゲームでいったら、ゲームキャラが持っている「武器」のことだよ。
どの武器をもっていれば、青の位置に行けるか。みたいなのと一緒だ。言い換えれば、その何とかという武器が無いと青の位置には行けないと言うことにもなるよね。

そんでもって、少しだけ話は戻るけれど、何が起こるかという「予測」なんていうものよりも、「何色になりたいのか」ということだよね。
この何色というものを自分の中で決めていれば、何かトラブルがあったとしても、今居る色の同系色を渡り歩き、トラブルが静まればもとの色に戻ればよい。

要は、食事をしに、カメレオンがのこのこと歩いてきた。歩いてきた時は草の上だったので緑だった。けれども、途中で敵に会い、逃げた。逃げている場所がコンクリートだったので灰色になった。その後、敵がいなくなったので、再び草むらに戻り緑色になった。ということと一緒だよね。

カラーチャートで言えば、1マスずつしか移動はできないけど、縦横自由に動けるということだよ。

ま、なにがどうだったとしても、それまでは「色だけを中心(地位や立場や狭い視野などなど)」に拘っていたとしても、「カメレオンそのもの(この場合での“自分はカメレオンである”という事実と、現状の表皮の色)」に起点を置き、考えることもできるよね。ということ。そして、どんな武器が必要なのか、どんな(異なる、或いは同質の)仲間(渡り歩いていくために、何色が必要なのかという意味)が必要なのかってことだ。
こんな風な考え方をすると、自分が本当は赤なのに、青だと思っていたり、或いは、青の次に行くのが黄色なんだ。という誤算が消滅するはず。
この誤算は、人間の脳機能が高度なために、うっかりと騙されてしまうツボなんじゃないかと思える。

誤算を修正しただけでも何をすればいいのかハッキリするし、ハッキリするということは、自分自身が迷いも無く全力で行動できる。だからこそ、良い結果を残せたりするもの。
良い結果(色)にばかり拘り、全力を出せない自分というのは悲しいものだ。
そんな悲劇を自分で回避していくためには、「現状の確認と、確認したうえでの何をすればいいのか」ということだと思うんだよ。

それと、もっともっと自分の運命を発展させていきたいのなら、今の展開を点として捉えるということ。点は点でも「点と線が繋がった、ひとつのネットワーク」。それだとしても、そのネットワークを「点」といった形に捉えてしまうことで、おのずつと自分の世界観は広がるものだよ。

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ミニバスケを始めたちび助

つい先日、うちのちび(小4)がミニバスケに入りたいと言い始め、入団した。
生まれて始めてのバスケ。
バスケに対し何の知識も持っちゃいない。
それでも、練習試合で自分も出されるからと、バスケが得意な我が叔父に聞きに行くのだと、メモを持って出かける始末。ほんでもって、小一時間ほど話を聞き、満足して試合に望んだ。が、思ったように心と体がかまず、ぽたぽたと走るちび助の姿あり(まぁ、楽しめればいいさ)。
数回、短時間ずつ試合にでていたよ。

試合が終り、当番になっていない我が家は、ちびにVサインをギャラリーから送り、先に車をだした。

ほいでさ、なにがどうしたのか(予測はつくけど)良く分からないが、半泣きしているよ。しゅぅーんと静まり返って、只今、ヒーターの前でいじけて座り込んでいる…(。. .。)ぐすぅっ
子供でもさ、やっぱ、ひとりで考える時間も大事だよね。いじけるだけいじけると、そのあと、いじけるネタが無くなることがある。
そのタイミングを待つしかないな(。・ω・。)うん。

私は中学の時にバスケをやっていた。とは言っても、一年の途中までだ。
私の通っていたバスケのコーチは、鬼コーチだったよ。女だったけどね。
もとバスケの国体の選手だったとかで、激しいしごき(いいや、拷問かも)だったよ。しかも、私が中学の頃は特に部活のしごきも、先生の暴力も、当たり前のような日常だったからね。
それで、上下関係というか、横関係というか…。遊び盛りというか…。様々な理由から退部したの。

一年間もバスケを続けられなかった私が言う言葉じゃないかもしれないけど、スポーツって、基本、そのスポーツが好きじゃないと続かないと思うんだよね。好きなだけでも続かないけど、それだとしても、やってて楽しくなきゃつまらないんじゃないかな、なんて思うよ。

技術優先とか、勝敗優先とか、そういうのじゃなくてさ、こうさ、今よりも、もっと、もっと、バスケを楽しみたいから努力するみたいな感覚というか…。だからこそ、がんばれるという気持ちが湧く、そんな感じかな。
ほいでもって、結果的に技術のアップと成り、勝負へ挑む精神が向上したりするものなんじやないかと思うんだよね。

この感覚って、大人になってからも心の中で生き続けていくじゃない。例えば仕事とかさ。
こういうのって年齢に関係無く、大切な学びなんじゃないかなと、思うんだよね。

ちびは、ミニバスケを始めて、まだほんの僅かしかたっていないけど、楽しむ気持ちを忘れずにね。と、そう願う母心で見守っていければなと思っているよ。

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占い軒龍卑のBlog




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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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