人間万事塞翁(じんかんばんじさいおう)が馬とは、中国からのことわざ。
「人間」を「にんげん」と読まず、「じんかん」と読みます。
じんかんとは、「世間」のこと。
塞翁とは、城寒に住んでいる翁(老人)のことだそうです。
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占い好きの老人が、大切に大切に飼っていた馬が逃げてしまった。
逃げたことを知った村の人達が「かわいそうに」と、老人を慰めた。
けれども、そのことが幸福を呼ぶかもしれないよ。と言って平然としていた。
やがて逃げ出した馬がたくさんの馬を引き連れて戻ってきた。
村人たちは、よかったねと老人へ言った。
そして、老人は言った。
これが禍になるかもしれないよ。と。
その後、老人の息子は馬から落ちて怪我をした。
怪我をした息子は、戦争に行かずに済んだ。
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という出来事から始まったことわざだという。
つまり、目の前で起こっていることが「幸福」にみえたとしても、「禍(わざわい) 」の根源になるかもしれない。
また、「禍(わざわい)」が転じ、「幸福」になることもある。
人間の運命とは予測のつかない分からないものだ。という意味だそうです。
※文章が長めです。読みたい方は気合いで読んでください。
私は、占いの仕事をしていて、よく考えることがある。
それは、霊感で見えている出来事というのは本質を現すものです。
けれども、霊感を持たない人が、その出来事を見た時に本質の色というのがあったとしても、
その本質とは全く異なる色を想像し、頭の中で展開してしまうのだ。ということ。
ま、このことわざと被りますが、それと同じような気持ちになりますね。
占いとは、出来事というよりも、その人の本質の色(場合によっては、現在の色)を基本に判断していきます。
そして、本質からいきなり掛け離れた色の運命をアドバイスは出来ないでしょう。
どちらかと言えば同系色。だけれども、どうしても対極の色の位置にいきたいとする。
そうすると、おのずと同系色を渡り歩き、目的の位置までの道のりを案内する。
占いとは、いわゆる道先案内人ですね。
それから、こういった色をカラーチャートの表としても考えられる。
赤青黄色と、様々に原色が並ぶ。それらの原色は横の位置を示す。
また、縦は、濃度を現す。下が黒で上が白となる。
カラーチャートを移動するには「色の調合をしつつ歩いていく」。
ということは、このカラーチャートを人間が住んでいる世界という表現もできるよね。
ただし、それら人間の世界をリアルで例えているのか、或いは精神世界で捉えて表にしているのかというだけで、種類が異なっても、同じ人間を表すことができる。
だけれども、その表とは、立体ではなく、平面の表。
立体的に其々の人間が住んでいる位置というのも表現することも可能だと思う。
さて、それらの世界の中で上手くやっていくには、今居る位置の色に、自分が染まることなんじゃないかなと思います。
それは、まるでカメレオンみたいに変化していくことです。
そういうのって、八方美人? なんて思うかもしれない。
だけれども、そうではない。
だって、色が変わったとしても、カメレオンであることには変わらないもの。違って見えるのは色だけでしょ。
それを「自分が無い」とはいわないよね。
そんな風な思考を展開していくと、無駄なプライドが剥がれ落ちることもある。
また、赤色が青色の位置にいくためには、ただ闇雲に原色を渡り歩いても辿り着かない。
青の位置にいくまでの色が必要になってくる。
それが、自分を磨くとか、努力するとか、そんなような部分を示すものだと思うよ。
ま、ゲームでいったら、ゲームキャラが持っている「武器」のことだよ。
どの武器をもっていれば、青の位置に行けるか。みたいなのと一緒だ。言い換えれば、その何とかという武器が無いと青の位置には行けないと言うことにもなるよね。
そんでもって、少しだけ話は戻るけれど、何が起こるかという「予測」なんていうものよりも、「何色になりたいのか」ということだよね。
この何色というものを自分の中で決めていれば、何かトラブルがあったとしても、今居る色の同系色を渡り歩き、トラブルが静まればもとの色に戻ればよい。
要は、食事をしに、カメレオンがのこのこと歩いてきた。歩いてきた時は草の上だったので緑だった。けれども、途中で敵に会い、逃げた。逃げている場所がコンクリートだったので灰色になった。その後、敵がいなくなったので、再び草むらに戻り緑色になった。ということと一緒だよね。
カラーチャートで言えば、1マスずつしか移動はできないけど、縦横自由に動けるということだよ。
ま、なにがどうだったとしても、それまでは「色だけを中心(地位や立場や狭い視野などなど)」に拘っていたとしても、「カメレオンそのもの(この場合での“自分はカメレオンである”という事実と、現状の表皮の色)」に起点を置き、考えることもできるよね。ということ。そして、どんな武器が必要なのか、どんな(異なる、或いは同質の)仲間(渡り歩いていくために、何色が必要なのかという意味)が必要なのかってことだ。
こんな風な考え方をすると、自分が本当は赤なのに、青だと思っていたり、或いは、青の次に行くのが黄色なんだ。という誤算が消滅するはず。
この誤算は、人間の脳機能が高度なために、うっかりと騙されてしまうツボなんじゃないかと思える。
誤算を修正しただけでも何をすればいいのかハッキリするし、ハッキリするということは、自分自身が迷いも無く全力で行動できる。だからこそ、良い結果を残せたりするもの。
良い結果(色)にばかり拘り、全力を出せない自分というのは悲しいものだ。
そんな悲劇を自分で回避していくためには、「現状の確認と、確認したうえでの何をすればいいのか」ということだと思うんだよ。
それと、もっともっと自分の運命を発展させていきたいのなら、今の展開を点として捉えるということ。点は点でも「点と線が繋がった、ひとつのネットワーク」。それだとしても、そのネットワークを「点」といった形に捉えてしまうことで、おのずつと自分の世界観は広がるものだよ。
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追記
カラーチャートのお話から補足。カラーチャートを縦横に歩いていくのが人生。けれども、それらカラーチャートは、其々が異なる配色のカラーチャートを持っている。それら基盤となっているカラーチャートが自分の宿命というもの。そして、縦横に動く、それらの動きが運命。
縦横に動きながら運命を辿るけれど、辿っている途中で出会う色。その色(過去の経験)というものは、自分の運命を歩いていくためのアイティム用バッグへしまうことができる。というか、自覚が無くてもバッグへ自動的に入ってしまう。
そして、自分がアイティム用のバックを開けさえすれば、青色(過去に居た位置の色)を出し、赤の位置(今居る位置)で混ぜ合わすこともできる。
すると、必然的に紫が出来上がる。この方法は、ある一定の位置(色の位置)になり、辿り着いた色の位置で、新たな色彩を調合し、位置を移動できるという意味にもなる。
つまり、アイティム用バッグへは、たくさんの種類があった方が、その後の展開は扇状に拡大されていく。
ただし、アイティムとして保存してある色の種類が無数にあっても、分量が少量だといつしか色のバリエーションの限界がくるもの。アイティムバッグの中にある色とは、経験。経験を積むということは、それだけ持てる色の分量が増える。
それに、赤の位置で青を出し、紫をつくったとしても、別に紫の位置(例えば、地位や名誉)へ行かなくてもいい。そのままアイティムバッグに保存しておけばいいだけ。
それでもって、さて、ここでは必ず使うよ。という時のために、地道につくった色たちを展開すればいい。色の配色だから、可能性は無限大だよね。
それとね、じゃぁ、色というのが「絵の具」だったとするでしょ。別に絵の具じゃなくてもいいわけだよね。
宿命で持ってしまったカラーチャートの色は、絵の具じゃなくちゃ出せない。なんてことは無いはず。ってことは、顔料は、土でも草でも何でも良いということになる。お店で買うものだけが色の素ではないでしょ。
この部分での発想は、過去のパターンだけで前進しようとすると無理だよ。第一、過去の発想の中では絵の具しか知らないのだから、無理に決まっている。だからこそ、「何々は、こうするのが当然」みたいな凝り固まった頭脳を切り替える必要がある。ま、簡単に言ったら、自分の中での常識を覆すというだけのことだよ。だとしても、世の中に通用すればそれでいいし、自分が満足すればそれでいい。ということになるでしょ。
ちなみに、モノクロのチャートが宿命だったとしよう。それって、色の種類が無いからつまらなくも思える。
じゃぁ、モノクロだから鉛筆画を書いた。他の人みたいに色の種類を持っていないから、鉛筆でたくさん練習したとする。いつしか、一流の鉛筆画ができあがるかもしれない。
これってさ、やっぱり自分が得意なことや好きなことをやり続けて初めてできるものだよね。それにさ、このモノクロのチャートを持っていた人間は、黒という色の位置にひたすら留まったという可能性も考えられる。運命の選択肢として、それも在りだよね。
で、留まっていたということは、たくさんの黒色をストックしているということにもなる訳だ。
それに、もうひとつ言えるとしたら、宿命が36色のカラーチャートだったとしても、モノクロチャートの人間がやったような鉛筆画を書き続けることで、最後には一流にもなれるかもしれないということだよね。
36色の色を歩き回ることだけが良いことだとは言い切れない。ま、自分のカラーチャートの中でならいくらでも、何とでも(または、何度でも)、展開をしていけるものじゃないかと私は思うのだ。
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