白月光
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あなたは本当の自分で生きてますか?

信じるということ

信じる。それは、ひとことで済む言葉。
でもね、実に奥が深い。

自分にとって大切な人間ほど、本気でぶつかってしまう。
それは、私も例外ではない。気が付くと、やってしまっている。

信じるって何。
そんな風に思っていたこともあったな。
う~ん。思春期の頃でしょうか…。


つい数時間前、とても身近で大切な人間Aに、自分が大切に思っている人間Bの悪口を聞いた。しかも、悪口を言ったのはとても大切な人間Cだというのだ。そう、悪口を言ったのも、言われたのも、それらを伝えたのも、全てが私の大切な人間。ちなみにその3人と私は、其々が其々をとても深い意味で大切にしている関係。

けどね、何の疑いも無く、何の迷いも無く私は言った。
「Cは、Bのことを大切だよ」と。

けれども、Aは、「そんなことは無い。Cは昔と違ってBを嫌いなんだ」と。
Aから、Cの状況も細々と聞いた。

それだとしても、私は何の迷いも無かった。

そんなことは絶対に無い。アイツ(C)はそんなヤツじゃない。そう、再び言ったよ。

もしも、それをCが言ったとしても、その前後に何かしらの状況があって、本当のこと(事実)を言っただけだろう。そう、思ったし、本心は違う。そう思えたね。
別にAが独断と偏見で話をしたようにも感じなかったし、悪意も何も無い。それでも、Cが私に直接言わない限りは、事実じゃない。

なんというか、生きていると色々あります。
人は其々に悩んでいることはあるよね。
私もそうだよ。色んなことを抱えている。

全部放棄したくなる瞬間もあったりする。

それだとしても、どんなに辛く悲しいときでも、相手の真心を受け止められない人間にはなりたくないな。と、日々、信じるという思いへの誓いをたてています。

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長期戦になったいがみ合いからの離脱について

人と人が一度大きくいがみ合うと、出来てしまった溝は消えづらい。
そうなってしまう相手が近い存在であればあるほど、溝は深いように思える。
そんな時、きっと、さみしい気持ちや、悲しい気持ち、そして状況によっては絶望。そういった感情が怒りの奥底でうごめくんじゃないかな。

どうして、こうしてくれないのだろう。
なんで、こんなことを言ってくるのだろう。
いつもいつも、こんな態度だ。

そんな言い訳を自分にしながら、辛い自分を更に苦しめてしまう。
してもらいたいことだけじゃ駄目だよ。自分がどうしたいのかハッキリしないと。
応援する声は虚しく木霊する。

それだとしても、そんな余裕も無いくらい目一杯なんだよ……。

それらの言い訳は、自分を闇へ闇へと追いやってしまう。


余裕がなくなる時とは、自分の実力を越えようと、本気で「自分という壁」にぶつかっている時なんだと思う。
そして、どうにもならない状況では、大抵が選択肢は限られている。
この状況でさえ、受け入れたくも無いのに、限られた中から「不満足だと思える選択」などしたくも無い。
だとしても、今起きている状況は刻々と時間を刻み、今という時を重ねていく。

こんな状況で誰かに対する強烈な感情、または、心を掻き乱す人物がいる。
リセットできたら楽なのに。そう、思ったりもする。

当然、相手も楽しくなんかない。そして何よりも息詰まる感覚は同等なんだと思うよ。例え、相手の立場が有利だとしても、的を変えた急所を抱えている。長期戦になればなるほど、そんなものだと思う。
どんなに強敵だとしても、相手が鈍かったとしても、その人なりの急所がある。

急所を見破る最速最短の秘法は、自分が一瞬でも人の心になれた時に見つけられるもの。

自分が御釈迦様みたいになるという意味か。聞こえはいいけど、そんなのは堪えられない。と、思うかもしれない。

けれどもね、相手に対して媚びるという意味ではなく、相手の立場や状況を描ける想像力なんだと思うよ。
その瞬間、我が肉体に在る「人の心を開ける」もの。
人の心を無くしては、人とのいがみ合いは解消しないよ。

こういうのを悟りとは言わないね。それだとしても、「ぷち悟り」みたいなものじゃないかな。
だって、急所を知ろうと必死になったけど、結果として、人へ心を開くのだから悟りでもいいんじゃないの。と、思うよ。

いがみ合いが長期になると、自分が吐き出した悪が、いつしか「自分の中の真心」を支配して封印してしまうことがある。つまり、ただの「鬼」のような自分になる。どんなに弱々しく見えても鬼には変わりなかったりすることもある。
想像力から人の心を取り戻せれば、つくりあげた鬼から解放される。開放されれば、必ず自分が戻る。


その想像力を繰り返し続けること。

その効果は、自分を磨き大きくしてくれる。

「己の精神の器」を「相手の精神の器」よりも拡大できた時、全ての悪循環は消滅する。
まぁ、自分が壁よりもでかくなれば、今在る壁が、壁ではなくなるということだよ。


故に、相手へのみ変貌を願うのは神でさえ叶わぬもの。

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齊藤孝の児童書

以前、齊藤孝の記事を書いた時に、児童書のお話をしたけど、やっと、本日、ちびに聞きました。
関連記事 「スラムダンクな友情論」齊藤孝~文春文庫

つか、ちびは二冊持っていたんだね。しかも、地道に齊藤孝シリーズを集めようとしているらしい。うん。偉いぞ、ちび。

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(画像をクリックで拡大)






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一応、詳細を書いておきます。
画像に向かって左側にあるのが「齊藤孝のイッキによめる!名作選 小学3年生」講談社
画像に向かって右側にあるのが「齊藤孝のズバリ攻略シリーズ 国語なんてカンタンだ」PHP研究所

大人が読んでも、ふむふむと、納得させられてしまう。
なんというか、子供を子供扱いしていない。そこが素敵だよ。というか、気持ちいいし、カッコイイね。
私は、子供を子ども扱して嘘を付く人間が嫌い。うん、だいきらい。だからこそ、共感できる。
私的にはお勧めです。


最後に、「齊藤孝のズバリ攻略シリーズ 国語なんてカンタンだ」←コレさ、コミュニケーションが云々とか、人に理解してもらえる話し方とか、そういう、(ある意味、使えない)本を買う予定があるなら、これを買ってみるといいよ。
子供に言っているように見えるけど、実際は違う。誰が読んでも(幼児は別だけど)、分かりやすく本当のことが書いてある。この本を読んで、人生が変わるということもある(かもしれない)。
まぁ、ごちゃごちゃと私が書き記すよりも、読めば分かる。

ちなみに、「齊藤孝の本を古本屋に売るのは、ばかな人だけだ」と、小学四年生(ちび)が言い切っていたよ。
ちび曰く、「私は、一生、齊藤孝の本を持っているんだ~」だそうです。

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節分だね~豆まきましたか(´ω`*)

今日は節分ですね。豆まきしました?

ここ数年というもの福島では「恵方巻き」を食すのが習慣化されてきたように思います。そうそう、恵方巻きは、もともと大阪の一部の地域から広まったらしいね。なんでも福を巻くという意味があるとか。うんうん。なるほどねぇ。

でさ、恵方巻きって、もぐもぐと言葉も無く食べるじゃないですか。途中、水分が無くて、喉が詰まり、苦しくなってしまうのは、私だけだろうか…。ほいでも、言葉も無く完食するけどさ。

ところで、節分に限らず、季節の変わり目には邪気が生じるんだそうで。
ああ、なんか分かる気がするわ。
そういや、昨夜は、おかしかったもん。

でね、邪気で思い出したのだけど、邪気を掃き清める道具のひとつにホウキがある。
ホウキは邪気を追い出す道具だというのは前々から知ってはいるけど、今時、掃除機が主流だからなかなかホウキを使う機会に恵まれないかもしれないね。

けれども、玄関なんかはホウキで掃き掃除するでしょ。

玄関が汚いと確かに邪気は確実に家を蝕んでいくよ。
なんというか、汚い玄関を放置するのは、シロアリを飼っているみたいなものだね。

そう、しかも、今書いていることは、霊的な意味。だから尚更、玄関のお掃除は大切。

ちなみに、部屋も一緒で、汚いのは邪気を呼び込むよ。


ま、何だとしてもさ、その季節々の行事は大切なものが多い。
ばかにできない行事は結構あるものだよ。
忙しくても、忙しいなりの行事への参加を心掛けるのは良いことだと思う。


さてさて、うちの鬼は出て行ってくれたのでしょうか。

まぁ、「おにばば」とまでは言われていない私なので、出て行く必要も無いですね(笑)
あ、ほいでもさ、「鬼」とは言われるけど、「ばば」が追加しない分、マシかな(……つか言われているじゃんか ORL )。

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【邪気についての過去記事】

歪み

邪気の予備知識

邪気と陽気の話

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意識変換の呪術

体に棲む獣は陰
体に潜む獣は気配を消す

だとしても我が獣は月が満ちれば丘に登る

雄々しい雄叫びは地鳴りとなり草木が共鳴する

我が獣は時を待つ
世の自然と共鳴する時を待つ

月が満ち
空気は心地よい振動をし
我が獣は武者震いを始める

熟した霊気は全ての自然と共鳴することだろう
熟した獣は骨の髄から雄々しい雄叫びをあげることだろう

共鳴は共鳴を呼び
やがて混沌とした霊気に変わる
山が震え
水が振るえ
月が震える

共鳴が生んだ混沌とした霊気は
雄々しい鷹へと授けられる
全てをあるがままに
全てを捨て
全てを混じらせなければ完成はしない


故に
獣は塵と成り
獣は鷹と成り

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時は満ち幕が啓いたようだね。
手始めに、占い師もどきが消える第一の儀式というところなのだろうか。

何れにしても、時は稼働した。

それらの出来事を
静かに見つめる無数の同類の瞳を肌に感じています。

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腹一杯に笑う

あはははは

そんな風に大声で
そんな風に体を揺らし
可笑し過ぎて涙を溜めながら

――笑う


笑うことは生きている証

笑うことは魂を刺激すること

笑うことは感情を呼び覚ます


今が辛くても
腹一杯に笑いたい

今がどうだとしても
腹一杯笑ってもいい


笑いとは 魂の開放なのだ

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「腹の底からホッとしたい」そんなあなたに贈る言葉

涙はどうして流れるのだろう。

体から滲み出る涙は、魂の声。

自分が悲しいときも嬉しい時も驚いた時も、涙は出る。

女の人はよく泣くからストレスが溜まりづらい。と、どこかで耳にしたことがある。私も例外ではなく、やはり何かの拍子に涙が流れる。別に感情が高ぶっていなくても、泣くことがあって、どうしてこのタイミングで涙が流れてくるの?と、自分でも、変なの。と、感じることもある。

私が日々感じている涙とは、魂からのメッセージではないのか。と、考えている。心のわだかまりや心の矛盾を自分が自分へ訴えている、また、伝える手段。なんとなく、涙の役割とはそんな気がする。

ところで、涙を流さない人も居たりする。こういうのって、単に泣き虫か泣き虫じゃないかということなのだと思うし、それまでの環境も関連していたりもすると思っている。
それだとしても、涙が出ないというのは人間らしくない。というイメージも多くの人間が持つ思いなのかもしれない。


さて、最近、よく感じることがあるのだけど、人は感情への刺激が無いと脳が麻痺してくるのじゃないか。と、思っているんだよ。よく、楽しいのか嬉しいのか悲しいのか、自分で自分の気持ちが分からない。そういう相談をされることがある。ま、そういう悩みを抱く人間が多いのかもしれないね。
でね、これって、例えば感動するような何か(映画とか、その他色々ね)を体験したとしても、そういう状態の時は感情が受け付けなくて、感じている通りに涙がでなかったりもする。つまり、悲しくもないのにボロボロと涙が零れてくるという意味だよ。だからといって、これでもか、これでもか、と、たくさんの涙を誘う状況を取り入れたところで同じ結果になってしまうはず。

この状況になるまでほって置かれた自分がかわいそうだ。

まずは、そうなる以前に適度に気分転換でストレスを発散できれば、何よりなんだろうけど…。人は機械じゃないから、一定量のストレスが溜まったから発散しましょう。とは、いくわけがない。大抵は、落ちてしまってから、ああ、やってしまった。という感じなんじゃないかな。

私は思うのだけど、そういった状況になったら、規則正しいまともな生活をするしかないと思うのね。けれども、そこまで落ちていないのなら、感じる自分を、感じている自分を、気づいてあげる作業が必要なんじゃないかと思うんだよ。

例えばさ、漫画なんかでもいいし、ドラマとかでもいいんだけど、
「こんなこと言っているけど、本当は、こうしたいんじゃないかな…」
なんて、感じる時が無い?! 

その場面を把握しつつも、もどかしくて、
「どうしてここで言わないの~」
とかさ。そういう感覚って誰しもがあると思うの。

でね、それを自分の心の中で展開していく。この、自分の中で展開していくことこそが、「感じている、感じた、そういう自分に気づいてあげる作業」になる。
自分の中でのドラマのような、或いは、解説者のような、または、評論家でもいい。そういう役割を自分の中に僅かな時間でもいいから持つようにする。
そうやって、地道なことを続けていくことで、何れ、自分の気持ちに深みが出てくる。というか、もともとの深みのある自分を把握できると言った方が正しいかな。

簡単に言ってしまえば、そういった作業の習慣化は、自己を客観視していくという意味にも通じていく。何か動揺するようなことが起こったとしても、案外冷静に取り組めたりもするし。また、冷静すぎた人は、感情の感覚が戻ってくるから人間味が増すよね。もともとの冷静さが自分の人間性を良い意味で成長させてくれると思うよ。

感じることは誰でもできる。ただ、こんな風に感じたという認識に欠けていたりする。
それだとしても、人間の体は感じるようにつくられているものだよ。

だからこそ、感じることを本来の状態に戻してあげること。

それは、魂にとって、とても嬉しいこと。そして、生命エネルギーの強化にもイコールになる。


自己を愛し、労わること。把握という、他愛も無いことで、できてしまったりする。


自分が感じたことを把握するということは、
自分が「今よりも少しだけ楽になる」ための自分へのプレゼントだよ。

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くそばば と くそじじ の お話

本当のことを知るというのは、脳にとっての何よりもの栄養ではないか。これは、ずっと以前から感じていたこと。
本当のこととは自分が気になったことなら、何でも良いのだと思う。

自分が感じる、或いは自分が考える、ある一定の答えがあったとする。けれども、それらは「自分の中での常識」だという場合がある。自分で出した答えをこの世の本当と比較したら全く異なるという結論が出てもおかしくはない。

例えば、哲学や思想、そういったものがあるでしょ。確かにこれらは的をついているし、全てではないのかもしれないが「正しい」ことを言っていたりする。
けれどもね、「正しい」ということと「本当のこと」は全く違う。

学生時代に感じた校則への反発感。そういう気持ちって少なからず誰もが感じるんじゃないかなと思うの。ま、校則に限らず、担任の人格へ様々な反感というのもありだろうけど。でさ、学生へ強制される校則。その校則に従い先生は指導する。この指導している状態は「正しい」と言える。校則に従っての行為だから、そうなるよね。
じゃぁ、それらの行為を世の本当と言えるのか、となると、そうは言えないこともあるでしょ。
世の本当とは、そんなような意味。だけども、人間とは、人権とは、となるとそれは哲学や思想というジャンルだったりするはず。哲学や思想とは「自分がこうだと思う頂点」を示していくような考えということでしょ。やっぱり、そういうのと本当のこととは違っているからね。


今日は、脳のお話に触れる機会があって、折角だから書き残しておこうと思い記事にしました。

脳はこの「世の中の本当のこと」を理解していないと「ある特定の脳エリアの機能不全」を引き起こすようです。この状態を心身症です。とは、言いません。この状態で生きている人間が、人口の大半を占めているはずです。
本当のことを知る努力というものを怠っていくと、老後、くそばばと、くそじじになります。つまりかわいくない年寄りという意味です。若くても、脳機能の不全は現れます。10代の人間にも存在している症状です。

だけれども、最近になって気がついたのですが、こういった脳の機能不全を持つ人間を凡人というのではないか。とも感じています。本当のことを理解できるのは、天才か、天才と並ぶまでの努力をした秀才です。ということは、大まかに、それらの残りは「凡人」なのだ。と、思います。だとしても、秀才とはもともとが凡人であると言える。

つまり努力次第(←本当のことを知るという意味での努力。及び、脳の機能不全の改善という意味)では、味のある老後を謳歌できるということ。


ま、老後の人生を謳歌したいのなら、精神の鍛錬ともいえる「この世の本当」を探し続けていくことですね。
そのうち機会があれば、そういった脳機能のお話や精神力についても書こうと思います。もしかしたら、精神の探求~Search for spirit の方に書くかもしれないですが、その時は、このブログ上で告知しておきます。

そして、脳とは自分が思うよりも賢い機能だということ。それだけを最後に書いておきます。



ほいで、脳の機能不全が原因で、くそばばにはなりたくないです、私。はい。

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プロフィール

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福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
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1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
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軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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