前回記事の続きものです。
前回の記事を読んでいない方は読破してからどうぞ。
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さて、さて、「椅子取りゲームのような様(こうあるべきという思い)が連続している瞬間」の、この椅子に座るまでの瞬間瞬間が、殺気そのものを発しているのだと、前回は書きました。が、殺気とは何?と思われる方は、まずは
コチラ
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では改めて本題へ。殺気とは「気」ですよね。ということは、気を見分けることができる人は「殺気を認識できる」ということになります。
殺気を出す時というのは人間本来の遺伝という体の仕組み上、仕方の無いことだと思うのです。
ただ、ひとこと言うなれば、殺気に関わることを修練している者にとって、殺気を出す自体が未熟だといえるでしょう。ま、殺気を殺すも隠すも同じですね。殺すも隠すも、それらは出来ていませんということになります。しかも本題からそれていますよ…という結果論を提示されてしまいます。
何故そんな結果論を言われてしまうのでしょう…。
少なくとも私自身も殺気を修練している身なので、私なりに書かせてもらいます。殺気は自分を見ていない、周りが見えていない、状況も、相手の気配から読み取れる実力も、そういった全ての感覚が「殺気を出すこと」で、「真実の消滅」が自動的に起こります。
また、その殺気の状態とは、「相手(対象)を取り込もうとする肥大した自信(偽りで大きくなったように見える自信。つまり気のせいというヤツ)」、または、「自分が生み出した恐怖が極端に肥大し、結果、相手(対象)が巨大に聳え立つ化け物に映ってしまう」といった心理の変化により起こります。それから、殺す、消す、隠す、といった殺気に対しての取り組みは、「殺気が存在している状態」だと言えます。精神を鍛錬したから習得できるのかとなると、完璧に近い状態で殺気を殺していたり隠していたり…と、そういったケースもあったりします。
ということは、殺気に関わることを修練している者でも「殺気が無い状態」は難しいのか。という結論に達するかもしれません。ええ、その一面からの質問であれば答えはyesでしょうね。では、修練しても辿り着かないかもしれない殺気のない状態とは一体どんなものなのか…というよりも、どんな精神状態なのか。となりますよね。
もしかしたら、神に近い悟りが無いと駄目?或いは仙人みたいに水の上を歩くようじゃなきゃ駄目なの?と、あらゆる妄想をする人もいるでしょう。霊感のセミナーでもないので一般的な説明でお話しますが、答えは結構簡単だったりします。けど、簡単なだけに難しいです。
要は、殺気を消すには殺気を容認することが先決ですよ。でもって、芯に収め、在りのままの自分を解放する。……はぁ???ですよね―(笑)すみませんね、なかなかうまく言えないですが、なんというか、人間として生まれても何も出来ない自分や、もどかしい自分がいますよね。つまりは原寸大の価値のことです。
その原寸大の自分が、
たった今、殺気を放ちながら取り込もうとしている
(或いは己の恐怖に吸い込まれそうになっている)自分を、
見据えるのです。
見据えることで、殺気が無くなります。でも、殺気は無くなりますが、殺気を出していた自分は当然残留しています。この残留している殺気を出している(出していた)自分を消すとか殺すとか…そういった「隠蔽作業」をしようとするから「神とか仙人とか」美化されたイメージで感じてしまうのかもしれないですね。そう考えれば手が届かなくても自分は救われるとか…。ま、それはどうあれ、無垢な子供の方が、案外簡単にできてしまうような業かもしれないですね。
で、業のお話しが一区切りついたところで、思いっきりテーマと掛け離れていないか…。なんて思っている人も多いことでしょう(笑)
殺気についての知識を軽くお話しましたが、では、依存している瞬間、殺気が出ていると書きましたよね。じゃぁ、殺気が無くなれば依存が無くなるんじゃないの。と、私は考えたんですよ。深い理論はカットしますが、で、そのためにはどうしたら良いのか…。というのを番外編にて書いておこうと思います。ま、そのために修練のお話は必要だったのですけどね。
(またに続く)
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