いざこざ……。
家庭内でちょっとばかり丸くない状態でいざこざがあった。
テーマは「友だちのこと」。その話をしていて、その根源に向け互いに意見をしているうちに、
決裂……。
あああ、やっちゃった。と思ったけど、時既に遅し……。
つい、心配しすぎる余り要らぬことまでいってしまったわ。
本気で言い合うことは大事なんだけど――、
うん…。タイミングを見送るべきでした。
励ますつもりが…
……泣かせちゃったし。
ああ、ごめんなさい。反省。
意地を張っていたわけじゃないのだけど、言葉の変換をしないで、私の中の言葉をダイレクトに言い過ぎた。
それって、歯に衣を着せない訳で、ちっとも優しくない物言いなのだ。
簡単に言えば、思いやりの無い言葉で襲撃してしまった以外の何ものでもない。
襲撃を受けた本人は悩んでいたのにも関わらず……
なのに私ときたら…
はぁ…。情けない。
やっぱ、言葉は大事だよ。
それ以前に心の余裕も必要。というか重要。
真剣になりすぎた自分に反省。例え、本気になるような自分の中のツボだったとしても、あれは善くない。うん。
心配しすぎは、相手を信用していないことにも時としてなってしまう。
信じるって、難しいよね。
けど、信じることがちゃんとできた上で、どうしようとかこうしようとか言い合えた時は、事の流れが思った以上にうまくいったりするでしょ。
人間同士の関係も熱すぎてはいけない。風呂の温度と一緒なんだよね。適温。
その適温の中で微動だにしない信頼関係を築いていく。
だけれども、築き上げるまでには、築き上げたものを破壊しながら建築する。
何度も壊して、
自分で築き上げた折角のものを壊して、
泣きながら壊して…。
そして新たに建築(もしくは増築)していく。
急げば早く完成はするのだけど、でもそれは粗が目だって長持ちしない。
じっくり建てていても、材料がダメになってしまうんじゃないかとも思う。寸法が狂ってしまったり?
だから人は確実を狙う。
慎重に確実を狙う。
でも、記事を書いているうちに思いついた。
吹っ切れたわけじゃないけど、私が狙ったのは、相手の心のあんじょうを願った。
私という嵐によって、心の中にあるあんじょうが見出されるならいいかな。
本当は春の木漏れ日のように包んであげたかったのだけど、本気になりすぎて嵐になった。
嵐だとしても木漏れ日だとしても……
相手の中に届く私の思いがひとつであることに違いは無いのだ。
今更だけど――、
私を信じてくれている相手を信じよう。
そんな風に気持ちが動きました。
自分の思いって、言葉にしていかないとわからないものだね。
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