白月光
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あなたは本当の自分で生きてますか?

依存と共鳴する殺気についてのお話(後編)

前回記事の続きものです。前回の記事を読んでいない方は読破してからどうぞ。

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さて、さて、「椅子取りゲームのような様(こうあるべきという思い)が連続している瞬間」の、この椅子に座るまでの瞬間瞬間が、殺気そのものを発しているのだと、前回は書きました。が、殺気とは何?と思われる方は、まずはコチラ

関連記事はコチラ↓↓(ちなみに関連記事は最近のものばかりですよ)

鏡の中の住人
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「人間という存在」
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人生の暗転に気がついた時は既に遅し
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「依存」と「欲望」の愛欲の光合成
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「渡り鳥と帰る場所」
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「依存について」
http://lovepeaceworld.blog.shinobi.jp/Entry/477/

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では改めて本題へ。殺気とは「気」ですよね。ということは、気を見分けることができる人は「殺気を認識できる」ということになります。
殺気を出す時というのは人間本来の遺伝という体の仕組み上、仕方の無いことだと思うのです。
ただ、ひとこと言うなれば、殺気に関わることを修練している者にとって、殺気を出す自体が未熟だといえるでしょう。ま、殺気を殺すも隠すも同じですね。殺すも隠すも、それらは出来ていませんということになります。しかも本題からそれていますよ…という結果論を提示されてしまいます。

何故そんな結果論を言われてしまうのでしょう…。

少なくとも私自身も殺気を修練している身なので、私なりに書かせてもらいます。殺気は自分を見ていない、周りが見えていない、状況も、相手の気配から読み取れる実力も、そういった全ての感覚が「殺気を出すこと」で、「真実の消滅」が自動的に起こります。
また、その殺気の状態とは、「相手(対象)を取り込もうとする肥大した自信(偽りで大きくなったように見える自信。つまり気のせいというヤツ)」、または、「自分が生み出した恐怖が極端に肥大し、結果、相手(対象)が巨大に聳え立つ化け物に映ってしまう」といった心理の変化により起こります。それから、殺す、消す、隠す、といった殺気に対しての取り組みは、「殺気が存在している状態」だと言えます。精神を鍛錬したから習得できるのかとなると、完璧に近い状態で殺気を殺していたり隠していたり…と、そういったケースもあったりします。

ということは、殺気に関わることを修練している者でも「殺気が無い状態」は難しいのか。という結論に達するかもしれません。ええ、その一面からの質問であれば答えはyesでしょうね。では、修練しても辿り着かないかもしれない殺気のない状態とは一体どんなものなのか…というよりも、どんな精神状態なのか。となりますよね。
もしかしたら、神に近い悟りが無いと駄目?或いは仙人みたいに水の上を歩くようじゃなきゃ駄目なの?と、あらゆる妄想をする人もいるでしょう。霊感のセミナーでもないので一般的な説明でお話しますが、答えは結構簡単だったりします。けど、簡単なだけに難しいです。
要は、殺気を消すには殺気を容認することが先決ですよ。でもって、芯に収め、在りのままの自分を解放する。……はぁ???ですよね―(笑)すみませんね、なかなかうまく言えないですが、なんというか、人間として生まれても何も出来ない自分や、もどかしい自分がいますよね。つまりは原寸大の価値のことです。

その原寸大の自分が、

たった今、殺気を放ちながら取り込もうとしている
(或いは己の恐怖に吸い込まれそうになっている)自分を、

見据えるのです。

見据えることで、殺気が無くなります。でも、殺気は無くなりますが、殺気を出していた自分は当然残留しています。この残留している殺気を出している(出していた)自分を消すとか殺すとか…そういった「隠蔽作業」をしようとするから「神とか仙人とか」美化されたイメージで感じてしまうのかもしれないですね。そう考えれば手が届かなくても自分は救われるとか…。ま、それはどうあれ、無垢な子供の方が、案外簡単にできてしまうような業かもしれないですね。

で、業のお話しが一区切りついたところで、思いっきりテーマと掛け離れていないか…。なんて思っている人も多いことでしょう(笑)
殺気についての知識を軽くお話しましたが、では、依存している瞬間、殺気が出ていると書きましたよね。じゃぁ、殺気が無くなれば依存が無くなるんじゃないの。と、私は考えたんですよ。深い理論はカットしますが、で、そのためにはどうしたら良いのか…。というのを番外編にて書いておこうと思います。ま、そのために修練のお話は必要だったのですけどね。
(またに続く)

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依存と共鳴する殺気についてのお話(前編)

依存と殺気? なんの関連性が? と、感じると思います。
私自身、それを見つけた瞬間でさえ、自分の思考を疑いましたよ。

とうとう壊れたのか……と本気で考えてしまい、で、次の瞬間、理解した分だけノートに書いてみました。

…そこでやっと壊れていないという確信は持てました。当然、壊れていないという保障は私の脳が判断したものです。けれども、あくまでも、私の考えだということをテーマにして、読みたい方は読んでくださいね。

さて、依存する瞬間というのは「こうあるべき」という思考が自覚しているしていないに関わらず連発します。前回の記事であげた「王の椅子」と「家来の椅子」のやりとりが続きます。この状態は、これでもか。というほど高速回転で用意されている椅子でしょう。当然、「こうあるべき」と考えている時点で、既に現実を見ていない心境にはなりますよね。もし、現実を見ていたら「こういう展開にならないかな」とか、なんとなく希望らしき思いが僅かながらも入ります。
じゃぁ、どうして、現実を逃避するのかとなると、「大魔王の椅子」に組み込まれた「大魔王の掟を実行するため」なのです。この大魔王の椅子に座れるのは、(大魔王の掟に従い)王か家来のどちらかが先に座り、「それを見届けた上で満足した自分が座る必要性」があるのです。
この大魔王の椅子の大まかな掟の意味は「プライドがつくった別の(偽りの)自分」を守るためです。が、この状態をまともにとらえたら歪んでいますよね…。

では何ゆえ歪んでしまうのかを説明します。だとしても、例え(というよりも、よく多いパターンのようなものですが)としてのお話なので、これが全ての原因であるとは考えないで下さいね。ちなみに心理学の講義でもないです。普段、私の中で見えているお話です。
母性愛の量というのは、その人個人個人での受け皿があります。母性愛を受け入れる皿を100%として、その受け皿に100%未満の母性愛しか満たされなかった場合(母性愛の割合が0%というのも有り得ます)、代理となる母性愛(代理とは言っても、様々なパターンがありますが)を自動的に満たそうとします。これは、バランスが完璧に崩れてしまうのを代理を用いることで、安定する精神のバランスを取ろうとするためです。また、異質なものが母性愛の受け皿に入るので、終始脳からは「これは違いますよ」という「警報(感情を誤認したり、無視したり、そういった様々な心の嘘が脳内で発覚すると、脳は警告ともいえる電波のようなものを警報として脳内で鳴らします)」を鳴らすのです。
それによって、愛情は不安定なものという仕組みが発生します。つまり、(自覚しているしていないに関わらず)肉体と精神がそわそわしたような状態です。例えでいえば、自分が赤ちゃんだとしますよね。で、さみしくて恋しくてわんわん泣いているのに、毎回々乱暴にお母さんが抱っこしたら、かなしいし切ない…。でもって、案外、絶望する。簡単に言ったら、そんな感覚が終始流れているような状態ですよね。で、それって、とてつもなく不安になるでしょ。だからこそ、「バランスを取るための代理の保障」が要求される。そう、お母さんに嫌われていないのだという保障が必要になる。

で、ここで、ちょっとストップ。読解力のある人は、「そう、お母さんに嫌われていない……保障が必要になる」という部分で気がついたかもしれないけど、その保障事態が現実を逃避している根源だよね。

この根源から広がった状態ですが、まず、根源の誕生によって、大魔王の椅子と王と家来の椅子が誕生します。更に、そこに座る「必要性の理由」という「大魔王の椅子の掟」が出来ます。掟の存在価値を維持するにはは、感情のつじつまを合わせるために「こじつけ」という理由が必要になります。こじつけという行為を行なわないと、自分が守ろうとしている(隠すことを守り続けようとしている)なにかが破壊されてしまうのです。ま、これが根源から広がった何となくの状態ですね。

で、その大魔王の椅子に座るまでの椅子取りゲームのような様(こうあるべきという思い)が連続している瞬間を依存と言います。でもって、これをしている間というのは、(個人差で量の違いが有りますが)脳内で思考をブロックする電波が飛び交います。要は前文で説明した「警報」です。その警報の矛先は、「不安定な感情の根源」へも出ますが、「自覚(認知)に辿り着くまでの不都合な感情」を激しく麻痺させる作用もあります(本当は頭が痛いはずなのに、頭痛薬で痛くないという認知に変換されているような感じですね)。(で、その成分は? …すいません。勉強不足でございます)
麻痺した感情の意図は、当然、大魔王の椅子を最後まで確保しておくこと。そして、同時に「○○な自分を受け入れたら、○○になってしまう」という自己防護の成せる業でしょうね。これが転じて対極になった場合、「○○でなくてはいけない」、「○○であるべき」、となります。

だからといって、ああ、私はこじつけだけで生きているのねとか思わないで下さいね…。

ここまでの文章がおおまかに依存に関わることです。が、かなり略して表現しています。知っていることをそのままを書こうと思えば書けるけど、難しくしか書けません。なぜなら、専門用語と、自己知識(←霊感で見えている事柄)が連動していないので(単に勉強不足なんですが)、どうしても読みづらい内容になってしまってます。ご勘弁を。
 
で、殺気のお話をしますが、ま、簡単に言ってしまえば、前文で書いた「椅子取りゲームのような様(こうあるべきという思い)が連続している瞬間」の、この椅子に座るまでの瞬間瞬間が、殺気そのものを発しているのです。
(またに続く…)

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依存について

依存とは「こうあるべき」という自分なりの意図があった上で「王の椅子」が脳の(思考癖の)プログラムにより自動的に準備してある。
王の椅子に座れるものは、「こうあるべき」という条件を満たしたものだけ。
依存症やウツの症状を持つ人や、単に依存気味の人は、終始王の椅子と連結した思考回路で生活をしているのではないだろうか。

例えば、近所の奥さんと朝のごあいさつをする。いつもの奥さんはニコニコ笑いながら豪快に「あらー、おはようございます」と全身を揺らしながら答えてくる……「はず」なのだ。なのに、目の奥が笑っていないと、アレ?おかしいとなる。その時、無意識内で、奥さんは、王の椅子に座るべく条件を失効する。そして、無意識内で、更なる椅子を用意する。それは、家来の椅子。家来の椅子は柔軟性があり、「それならば、こうなら、こうあるべきで通るわよね」と、決断し家来の椅子を用意する。

そして、奥さんへ言う「なんだかお疲れですか…」と気遣いの言葉を発するのだ。

奥さんが自分を嫌っているのではなく、「単に疲れているのなら其れでも良い」という(家来に格落ちしたとしても、自己満足に変わりは無い)それでも椅子は椅子なのだ。

そこで、奥さんが同意とも取れる答えや行為をすれば、椅子は埋まり、自分は満足する。

だけれども、同意ではないことをされた場合、「奥さんが私に笑顔で挨拶しないわけが無い」という疑念が次々と家来の椅子を用意してしまう。

家来の椅子に奥さんが梃子でも座らなくなった場合は、別の王の椅子を準備する。

その準備は、気持ちの切り替えである。

そして、自分は「奥さんは旦那さんとうまくいっていないんだ。そうそう、子どもが問題を起こしているんだわ…なんてかわいそうなのかしら。それに比べたら、私はマシね」

と、思い込む。切り替えというよりも、どっちかといえば思い込みの連鎖であると思える。

そして、王の上に鎮座する大魔王の椅子に座るべく条件が満たされ、「できる人であるべき自分(←ただの例えです)」が完成し、やがて満足する。要は、王と家来の椅子の其々は、「自分以外の何物かが座る椅子」、そして、それらが満たされると、最終的に「大魔王の椅子へ自分が座る」ということ。この大魔王の椅子に自分が鎮座するまでは、エンドレスで「王or家来」といった回路をぐるぐる回っているだけなのだ。

こういった連鎖は、殺気の原理だと考えている。つまり、依存の瞬間とは殺気の連打であると、そう思うのだ。

ま、そのうち、機会をみて、詳しく書こうと思います。では今日はここまで。

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精神の世界に棲息する愛の姿

フランス人形が広いお部屋にたくさん存在していた。壁には所狭しと並んだ様々な表情をした人形が、居場所を確保するかのように競り合いぎゅうぎゅう詰めにして座っている。
窓は封鎖され、全てがフランス人形のために作られた部屋。

壁にズラリと並ぶ無数の人形たちの視線は、部屋の中心に在る「人間の等身大ほどのフランス人形」を見据えていた。不思議なことに等身大の人形と、壁に並ぶ人形は、全てが同じ顔をしていた。

いつものタイミングで、部屋の主が鉄の大きな扉から入ってきた。鉄特有のきしみをそこら中に響かせながら、期待と興奮が入り混じる思いを殺気により歪ませて、異様な気配と共に部屋の中心へと進んできた。


等身大の人形を抱きすくめ、男は呟いた。

「キミは、ずっとぼくのものだよ」

長い月日を掛けて男に愛された人形は、意志を持っていた。そして多少の言葉と、多少の仕草の表現ができた。人形は男の抱擁に抱擁で答えた。そして、男から最初に教わった言葉を発した。

「アイシテル」

男はその言葉を聞き、更に腕に力を込め抱きすくめた。人形は頬に熱を感じ、自分の頬が紅く染まったような気がした。

人形は生きた女の身代わりだった。
人形は人形の部屋で魔術を施されていた。

愛は決して美しいものばかりではない。酔いしれる愛の空間は酸素が薄く緊迫した何かが息づいている。
脈打つような緊迫は大魔王という名の幻想により、シナリオ通りに愛が運ばれて逝く。

完璧で強靭な部屋の作りは、男が人形のために手塩にかけ、丁寧に丹念に作られた城だ。
完璧な結界は隙が在り、すぐさま崩壊する。

脈を打つ大魔王が完璧で強靭な部屋を破壊するのはいつだろう。

己が掛けた己への呪縛により悶絶し、悶絶は歪みと成り、やがて悶絶が意識に昇る頃には都合良く変換されてしまうのだろう。

我が精神から命を分け与えた大魔王が、哀れな男の首に手を掛けるのはいつのことだろう……。


我が魔物に己が食われるその様は、誰しもが所持する人間の感情なだけに――、
人は儚く、そして、儚さを取り込んだ者の愛は、より美しい。

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王と村人の国

ひとつの国がここに在った。その国には村人の他に、やり手のスペシャリストである王へ忠実な指揮官と、王がいた。
規律を守らない村人を王は厳しく対処した。村は乱れ、貧困のために殺人を犯す者さえあった。しかし、指揮官は、何もしなかった。なぜなら、王から指令が出るまでただただ沈黙を貫いたのだ。

幾ら統一しても、村人は殺人や窃盗をやめず、次第に酷くなるばかり…。そこで、王は規則を守れた者に褒美を授けた。名誉という形を評してみたのだ。
しかし、褒美の価値も分からぬ村人は、意味も無く「自由」が欲しいとのたまったのだ。
そこで国の使いでひとりの男が村人達から詳しく話を聞くこととなった。だけれども、その「自由の矛先」は、誰もが曖昧でピントがぼやけていたのだ。仕方なく、王の使いは城に戻り、事実を王に伝えた。
王は、王という地位を維持したままで、村人をどう統一させれば良いのかを思案した。

ある時、沈黙を頑なに守ってきたやり手のスペシャリストである指揮官が王に言った。

「城を出て、村人として暮らしましょう」

王は、怒りをあらわにし、怒り任せにその場で指揮官を即刻死刑にした。

王を支えるスペシャリストの存在が消え、王は孤独と国の財政の管理と王の任務という気負いを背負った。
気負いは、年々重みを増し、王の精神へと食い込んでいった。
そして、村人たちは王を尊敬する人間など誰一人存在せず、王への侮蔑さえ感じていたのだ。

王は、1番認めたくない侮蔑を感じた。感じる他に術が無いほど国は荒れていたのだ。王の心の中で葛藤が激しく在った。
王を慕えない愚かな村人たちよ…。と、村人への哀れみと下衆を見下す感情が溢れた自分と、何もかもを捨て王の座から逃げ出したいという自分の感情が、葛藤という名の乱戦を精神内で起こしたのだ。

心身共に疲れ果てていた王の精神は、何もかもが意味の無いものに感じ、逃げることを選んだ。そして、目的を見失った王は乞食へと堕落していった。

ある日、夢の中に神が現れた。

「お前がしたいことと出来ることは違うのだ」
「初めから何のために統一しなくてはいけないのかを明確にしていないから目的がずれるのだ」

神は、そう王へと言い残し夢から消えていった。


私は思うのだ、人間の心とは、ひとつの国なのかもしれない。そして、その国には王という気負いを充分に背負った存在を置くことで、本当の自分を巨大化し、ありのままの現実を極端に小さくしてみたり巨大な何かにしてみたりと、そんなことを無意識にしてしまっているのではないだろうか。
国があるなら、王が必要かもしれない。だとしても、自己を統一させるということは王が必要以上の鎧を身に纏う結果となる。ならば、王である自分は、村に棲息し自己の生き方を極めるべきなのだ。所詮、どのような素晴らしい人間がいても、全ての人間の心を統一させることは不可能なのだ。だからこそ、王は村人として村に住み、職人として生きて行けばいい。
その王の存在を助けるのが、努力を重ね精神の智を蓄えた指揮官という名の思考なのだと思う。

気負いは破滅を呼び、また、地位への執着は、現実を歪ませ幻想を見せる魔の境界なのかもしれない…。

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精神が存在する「∞の世界」と「拘束の無い精神の自由」

人は考える生き物だよね。考えていないように見える人が居ても、生きている限り、感情と感情を処理する脳が稼働しているもの。
なぜ人間は形というシルエットに拘るのだろうか…。ありのままを受け入れることが大抵が困難だったりする。

例えば宗教なんかでもそう、我らの神に誠心誠意を込め祈りを捧げ、悪い気持ちや欲を持たずに暮らしていれば神があなたを救ってくれます。と、いったことが本当だとしたら、或いは、自分なりに信じることが出来たとしてたら、入信することでしょう。

また、好きな人がいて、どこの占い師に見てもらっても、彼はあなたを嫌いですよ。と、いわれ続け、たまたまあたった占い師に、彼はあなたを大好きよ。と、いわれたら、その占い師を信じることでしょう。

或いは、スピリチュアルのヒーラーに、あなたは神に選ばれた人間よ。と、いわれたら、喜びに満ち溢れてしまうかもしれない。

だけれどもね、今、あげた例の全ては「形があるように見えて、言葉としての区切り」でしかないのです。それだとしても、仮に宗教の教えがどうであれ、こうすることで極楽へ逝けると思える自分が居るから信者でいれるというのなら、それはそれで充分な理由だと思えるし、その意志は大切なこと。

また、占い師が「彼はあなたを大好きよ」といった言葉が大嘘であり、単に、一時しのぎであれ慰みとして言って欲しい存在が在ることが重要ならば、その占い師の存在は、その人にとって重要。

或いは、ヒーラーに神だと言われ、自分の存在価値を見出すことが出来、自分自身が気力が満ちた中に居ることを願うのであれば、嘘だとしても、自分とっては意味のある言葉になる。

そういった、其々の願う意識の空間に引き寄せられ棲息するのが人間の意識。そういった空間を私は否定はしない。生きる上で必要ならば、それが、その人にとっての(少なくとも、その瞬間、または、一定時間、或いは永続的に)本当の道なのだと思う。

人間は環境や社会という拘束は外せない。地位や名誉による悲しい拘束もある。

だけれども、人間が抱く精神世界は、無限大なのだと、そして、その精神の位置は自由なのだと、そう思います。
 

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渡り鳥と帰る場所

d68b4de7.jpgどこに向かい
どこへ行くのか

戻る場所があり
戻る場所でもなく

本能に従い移動する



鳥は鳥だから美しく
ツバメはツバメだから美しい

戻る場所があるということは 隷属でもある
捕らえ方の問題だが 無条件の拘束なのかもれない
支配は隷属を生み続け依存心を刺激する
依存に苦しむこともあれば 依存することに陶酔する者もいる
孤独を覆い隠す支配と 孤独を覆い隠す依存は 渡り鳥のようだ

戻る場所があり
戻る場所でもなく
固定した安堵は 孤独への恐怖とリンクし
故に 不安定なバランスを望むのだろう

鳥が鳥でいるから美しく
ツバメはツバメだから美しい

行動により制御された感情は 渡り鳥のように 永住の地を無くす
孤独と言う名の恐怖を気負う者は 渡り鳥のように 戻る場所でもなくなる

不安定の安定を渇望するさまは 人間の構造の証しなのであろうか

腹の底から渇望された殺気立った気持ちは 其々が 渡り鳥なのかもしれない

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「依存」と「欲望」の愛欲の光合成

的を射抜くように狙いを定め、確実に捕獲しようと物陰から見据えるけものの視線。
天敵と獲物は混じり合うことは無く、互いが独自の世界に陶酔する。
其々が気負う世界は単独であり、孤立を示す。

何故、それらが混じり合うのか…。
何故、闇と光が異様な雑じりあいをし、混じり合わない雑じりを示すのか…。

唯一無二であり、支配と隷属、肉食と草食――、
雑じりが無いから、混じり合う。

其々の頂点を辿れば、互いが、遥か彼方に位置するもの。
ひとつの球根から這い出た根底の裏表には、そこで生き抜く物たちが出会うべくして出会う。

大いなるひとつに取り込まれていく、唯一無二の世界。

故にふたつはひとつ成り。
ひとつはふたつなり。

よって、自然の厳しさから生まれ出る一瞬の美に永続は無い。
一瞬の美が延命され、また、その世界を維持し、陶酔された美しい世界を繰り広げるのが大いなる世界がもたらす異世界である。

異世界は時空の狭間を潜り抜け無限の時をこの世で共有するけもの成り。

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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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