白月光
My thought(私の思想)|白月光

白月光

あなたは本当の自分で生きてますか?

慌てずに・・・けれども日々鍛錬し

見えないところに真実があり

真実を知ろうという気持ちが、見えないところに潜んでいた真実の姿を目撃し、

その結果、真実を掴んだつもりになると幻想が現れ・・・。


人はそんなことの繰り返しでも


それでも少しずつ真実へ近づいていくもので。


真実、つまりこの世の何かしらの本当を理解するというのは

死を受け入れるまでに
どれだけ真実を理解できるのだろうというぐらいの
そういう気持ちで良いんじゃないかなと思う。




人ひとりが生きていくということは


勝ち負けじゃなく


評価でもなく


どれだけ実の詰まった人生なのかということのほうが大切なわけで。





ゆえに実が詰まるというソレは、日々の繰り返しの結果であり、また、生きている中で、全ての物事において初めから終わりまでのとても重要なポイントでもあるのかな、と。



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心にとって良くない事ってあるよね

人の心って見えないものですよね。


口で言っている事と心で思っている事の温度差。

そういうのって生きていく上で必要な事なのかもしれないし、人の道理として正しい事かもしれない。



・・・でもね、正しい事だけが正しいわけじゃないし、正しくても時に間違っている事もあるわけで。



だからといって、心の中の罵詈雑言(ばりぞうごん)を思いのままに口から出していいのかとなると、

そこは人間性なんだよねと思う。




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うーん。ここまで書いてて、なんか矛盾した事を書いているなと・・・。




たぶん説明に対し言葉が足りないのだと思う。




要は、腹黒さがあるかどうかなのかな。


そして思いやりが欠落してないか?とか。



簡単に言ったらそんな事を言いたかっただけ。




真っ黒い気持ちで、真っ白の言葉を吐かれたら、瞬間的に痛いなと思う。


それはいわゆる霊感があるから余計わかるのだけど、しかし霊感で見なくても分かってしまうわけで。



それと思いやりについて言うと、

言われている言葉自体は道理に適っているとしても

「手前勝手な都合で」自分中心の事を言い募られたら、

やっぱりそこは間違っているよね・・・?と思うし。




まあ、人の心模様は様々ですが、

だとしても「心にとって良くない事を」心が容認してしまうのは、

「心が汚れてしまうよねと」思うのですが、いかがなものでしょう。




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除霊・呪術・霊感 占い軒龍卑 「自分の外にあるもの~自分探しの旅・続編 旅の終わりとは?」

http://lovepeaceworld.blog.shinobi.jp/Entry/2170/
(関連記事)

まずは上記記事を先に読んじゃってください。



旅の終わりはいつなのか?という質問からの回答です。



本当の自分は自分の中へ存在しているのだ。

という事を理解した瞬間に心の旅は終了します。


すなわち自分の中に本当の自分が在るという事を理解したという事は、それ以上、探す事は無いわけです。

外に居ないはずなのに居ると思い、探したけど、ここに居たわけなので、ここに居るという事は探していたものが見つかったという事ですよね。


なので旅の終わりは、気が付いた時という事になります。


ちなみに旅が終わると何があるのか?というと、自分磨きへと移行していきます。


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除霊・呪術・霊感 占い軒龍卑 「自分の外にあるもの~自分探しの旅」

自分を必要としてくれるナニカや誰かが「自分の心を求める」気持ち、あるいは自分の心が満たされるナニカ。

それが得られれば、きっと今の辛さや苦しみから逃れられると考える。




ナニカとは、きっと自分自身を完成させてくれる「完璧なナニカ」なわけだから




だから結局、ナニカを求めるには

誰かと常に心と心を触れ合っていたいと感じる。

お金が欲しいと思う。

良い親で居たいと拘る。

良い人で居ようとする。

たとえばそんな事をしていたとする。



そんな事を考えていたり、していたりすると・・・



自分の中で「探し求めているナニカだ」と思える「ナニカと」出会えば

たちまち「ナニカへ心が固着して」しまう。(固着=いわゆる依存とかも良い例かと)



それは永遠にも思えるナニカであり

宝物でもあり

自分が自分で居れる唯一無二のものだと考える。



けれども永遠は何かの拍子に色褪せてゆき、いつしか意味を無くす。


ああ、そうか・・・。


このナニカは、求めていたものではなかったのか・・。


と心の中で悲しみと共に理解をする。



そして再びナニカを求め「心はこの世界を」探求する。



ピタリとハマるパズルのようなナニカを探す旅。心の旅。



果たしてこの世に自分を必要としてくれる人は居るのだろうか。



いいや、居るはずがない。



心の旅に疲れ、心は闇の森を増やしていく。



人は裏切るもの。

誰も信じられない。

誰もが自分を傷つける敵のように思えてしまう。



この世に神は居るのだろうかと思う。

こんな不公平な「心の闇という森を」持つ自分など、生きている価値もないと考える。



いつになったら「自分は自分に」なれるのだろう。本当の自分で生きていきたい。

自分が自分で居れるのはどこなのだろう。

何をすれば、誰と居れば、自分が自分で居れるのだろうか。


自分は何のために生まれてきたのだろうと、そんな風に考える。



恋をしても


恋愛をしても


生きていても


この波のように押し寄せる悲しみの声を上げた闇は止む事は無く

ただただ「自分を更なる闇へと」突き落すかのように、この世の無常を突き付けてくる。


それは体に付けられた焼印のようであり、自分が汚いものとしての証拠であり証しでしかない。

一体、自分に「どれだけの価値があるのだろうかと」心が悲痛な叫びをあげる。






これは心の旅を続けているであろう人々の心を思いながら書いてみた文章です。

心の旅を続ける人々は「自分を安心させてくれる心の平和。つまり自分が自分で居れる場所」は、「きっと世界のどこかにあると」信じています。

その「ナニカがあると信じている世界の“どこか”は」人それぞれでしょう。

たとえば、お金、仕事、恋人、居場所、安らぎ、安心感など。様々な物事があげられるはずだと思います。



ですが、こうした心の旅をいくらしたとしても、たとえパズルのピースがハマるような「これ(または、この人)しかいない!!!」というナニカを見つけようとも、永遠に心の旅は続きます。



なぜなら、人の心の中に善と悪の心があり、「悪の自分を消し去るようなナニカを」求めているわけですから、見つかるはずがありません。


つまり、悪の自分に対して善のナニカという代償を「自分以外のところで見つけようとしているわけで」すよね。
それは、結局のところ「自分以外のところに、そのナニカが存在しているのだと」考えているわけです。

「自分の中に善悪の心が」あるのに、「悪を善へ替えるナニカが」あるのでしょうか?
答えは「無い」です。


要するに自分の中に存在している悪とは、「自分の中で善と悪を統合」しなくてはいけないのです。

統合しなくてはいけないと書くと難しいと思うので簡単に説明しますが、



探しているナニカを発掘するには「自分の心に自分で求めなくてはいけない」というだけの事です。
ゆえに「自分の外には求める“ナニカは存在していない”」ということなのです。


人は自分と自分の対話が成立してそして初めて自分を信頼し、自分への誓いをたてる事が出来るもので。


自分探しとは自分が、今ここに居るわけですから、自分以外の世界へナニカを探しても見つからないものです。




自分らしく。とても簡単でとても難しい事だと感じます。



また、こうした複雑な心の中や見えないナニカを理解するためには
学生時代に培ったあるいは大人になってからだとしても「勉強での、思考回路が」ある程度無いと本当の意味で理解はできないものだと、そんな事も思います。







そのうち機会があれば、自分探しの事について記事を上げたいと思います。




この記事についてのご意見、ご感想があるようでしたら、(PCからになりますが)メールフォームより送信してください。内容によっては記事として取り上げようかとも思います。


※ ( )等を付けたり特殊記号または絵文字及び顔文字は、文字化けを起こすため使用しないでください。

※ ※印の部分の記入漏れにご注意ください。メールが届きません。


また、個人的な返信は控えさせて頂きますので、ご了承願います。


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除霊・呪術・霊感 占い軒龍卑 「自分の外にあるもの」



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絵の中の左側に描かれているブタクサのナニカを知ろうとした場合



ブタクサへと近づくと思う。




近づけばブタクサはよく見えると思う。


そしてブタクサを知ろうとする。




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知ろうとして手に触れそして眺めているうちにブタクサを少しずつ知っていく。


いずれ、ブタクサの事をよく分かったと思える瞬間がくる。


ゆえにブタクサを理解したと考える。




しかし、そうして近付き過ぎて見たブタクサは・・・

全体が見えない中でのブタクサであり。



実際は空があり雲があり月があるわけで。それがブタクサが置かれている環境なわけだから、つまりは現実がそうなっているという事になると思う。


それゆえ近づいてまで知りたい事とは、離れたところから知る体制を取らないと本当の意味で知る事は出来ないのだと思う。



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除霊・呪術・霊感 占い軒龍卑 「太陽を見る者・精神」

心の中で格闘する見えない事と見えない事の、その様。

それはいつでも手探りで濃霧(作り上げた現実=非現実=逃避)の中をさまようかのように前へと進む。

前へ進んでいるように思えても実際は前ではないのかもしれない。


何もかもが見えないまま
霧が晴れるとか晴れないとかの問題に関係なく手探りは続き

やがてナニカ(本心)を掴み

何者かも分からないナニカへ何度も触れ

そして点と点が合わさる時、そのナニカは姿を現す。




一寸先も見えない濃霧は心が作り上げるもの。




本当は濃霧などどこにも無かったりする。





霧の正体は

太陽(現実)に逆らう心。そして感じているものとは別に、闇へと進む心。




人の体にもともと備わった負の感情。
(性善説、性悪説の議論は別として)

それは獰猛(どうもう)な生き物であり、理性を知らぬ生き物。



その生き物を放置する事は未発達な文化を示し

飼いならす事は文明を示す。



また

放置する事は身の破滅を示し

飼いならす事は平和を示す。



悟りとかそういう難しい事をしなくても

心が太陽を見続ける事が出来たら

自ずと飼いならすという事実へと結びつくものだと感じています。



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ハルカが霊感で思う事~反論や意見のつもりでいても・・・


現実の中で目的を達成しようとする事は
なんのためにという明確な中身が無いと目的へは進まないもので。


たとえば・・・


誰かに何かを反論しようとする、あるいは意見をしようとする。

そんな時に、何が起こっているのかという状況の把握が無いと、

反論や意見は、嫌がらせや足の引っ張りへと変わってしまうもの。



なぜなら、何が起きているのか分からない状態なのに、その分からない事に対して、何を反論し意見すると言うのだろう。


もし反論や意見をする場合は、状況の把握をした上で行なうもので。

そうじゃないと、反論にも意見にもならない。

下手をすれば、ただただ感情の丸投げとなり。
いうなれば自分の中の現実で、本当の現実を歪めて見ている?という事になると思う。


すなわち、把握無き状況からの反論や意見は、話しをするという段階になっていなくて。

話し以前の段階というわけで。

いわゆる、お話しになりませんという表現になるでしょうね。





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思うことと本当のことはもともと異なるもの

自分の価値観がどうであれ間違った思考内で生活していくと、精神は崩壊するもの。

たとえひとつひとつの行動が途轍もなくまともだったとしても、まともという事実に関係なく根底での崩壊は確実に進行していく。

だからこそ何に対しても本当のことという事実(真実)を知ることは、生きていく上での見えない舵となるわけで。


なんていうか、見た目だけの完成とは醜汚に塗れているものだと心の底から感じています。



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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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