白月光 My thought(私の思想)|福島市・除霊・呪術・霊感 福島の母 占い軒龍卑 「白月光」

死について

人は生まれて直ぐに死へと歩く。
これは思うこととかじゃなくて現実。
人の最終結果は死でしかないわけで。

ということは、どう生きるかによって死を受け入れた直後の意味が変わる。

また、どういう気持ちで死にたいのかということとも関わってくる。


今ちょっと向き合っているテーマです。



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愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ (修正あり)


愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ という言葉があるけれど

ここでいうところの歴史とは、結果的には、念には念をいれてという用心深さなのかなと思う。

固定観念が先にたち思考をすすめると、この場合の経験という部類に値するのではと思う。



すなわち歴史とは本当のことでしかないし、経験から学ぶとは、思ったことという主観(またはたんなる通過したという意味)でしかなくなるのではないかと。

結局、経験は歴史という本当のことから学んでいるとは言えない。

またこの場合の経験は(本当のことを学んでいるものではないので)学ぶという事自体がはじめから違っているわけで。つまるところ同じ経験をしても血肉にもならない人と、血肉どころか筋肉にまでしてしまう人との違いのようなものだし、筋肉にまでした人間は経験から学ぶという事実など存在しないのではないかと。あるいは経験から学んだと思い込んでいるだけとか。

本当のことを学ぶということは分類と、分類の体制、各々の単体と全体の性質などを把握しない限り理解できないものだと思うのです。

そしてこれらができてはじめて、経験というナニカが活かされるチャンスがくるかもしれない!と、そうそう都合良くはならないか、と…。それもやはり歴史というツワモノの法則を理解しているからこそ、経験から生まれる勘のようなものがでてくる。
しかしこの場合の勘とは、あてにしてはいけないもの。

だって

ただ思ったこと、たんに閃いたこと、でしかないのですから。これって下手すればギャンブル的発想にも相通じるものですよね。
まあ、この辺りが経験と歴史の発想の違いになるか、と。

もしもその勘を現実と結びつけ、今を変えようというならば短絡的に実践するのではなく、現実という本当のことすなわち歴史的な(事実に基づいた)発想から も 思考しなくてはいけない。

念のために「この勘(閃き)」でいいのかどうかという慎重さや用心深さという、意味で。



最終的に物事を本当の意味で学ぶ時には、様々な分野からの視点が必要だと思う。

それはまるでベテランではなく本物といわれる刑事の、仕事への取り組み方と酷似していると思うことがあります。あるいは名医と呼ばれる医者ではなく神の手を持つといわれる外科医の、仕事への取り組み方とかですかね。


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祈る気持ちについて

宗教と依存。それはある部分と、一部の信者が共通している事実なのかも、しれない。

宗教とは
何かしらの強制があっては信仰にならないものではないかと、思う。


我が心の中で作り続けられる宗教の世界。それが信仰というものではないのだろうか…。



そして思う。



人の祈りはどこまでも純真で無くてはならないのだ、と。




祈りの会。宗教じゃなくてもあるけれど。

それはそれで素晴らしいことだと思う。


だけれども
ひとりひとりが純真に祈りを捧げる気持ちのほうがずっと神聖だと、思う。


強制のある祈りは、どこへも繋がらないもの。


強制された祈りが成果を生むとしたら
祈りが届くという意味ではなく、欲望や優越感を含んだ思念の塊と化したソノ時だろう。


自分が在った上で祈ることと、強制されてそのつもりになって祈ること――似て非なるもの。


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人の死




物の存在はあるけれど、それでも永遠の所有物など存在しないので、これが無いと困るという状態をつくらない。
それは私の経験からの考え。



また物にしても何にしても、今は自分のものだとしても、そもそも自分のものなどないのだと思う。自分のものといえるのは、自分自身の気持ちだけか?と思ったりもする。


形在るものは何れ無くなってゆくもの。


大切な相手にしても、そうだったりする。


また、人はもともと生まれたらいつかは死を迎える。居なくなる。
この場合の多くは、嘆き悲しむという意味が当てはまる、かもしれない。



死はとても自然なこと。



死を表現するための言葉で、失うという言葉を使用することがあるけれど。
大切な人を失う(死という意味で)、このことについて書きたいと思う。

人は物ばかりか、自分以外の人間を所持することはできず、ゆえにもともと持って(所持して)いないものを失うことはありえない。


仮にその人と共有したと思っている過去の出来事でさえ、現実ではない。


なぜなら現実とは今現れていることだけを現実というのだから、思っているだけのこと、過去、未来は、現実ではないわけで。

つまり思ったことと現実は違うし。

過去は事実であっても、現実ではないし。

未来など尚更、存在していないのだから現実ではないということ。

結局、大切な人を 失 っ た という感覚から発展した死に対する悲しみとは、思いから作られている自己の中の出来事(気持ち)でしかないし、 現 実 的 に 死 者 の 存 在 を 無 視 していることでもある、と。


どう転んでも、死は自然の摂理でしかない。


現実の死という自然の摂理を無視すれば、精神は、必然的に現実を逃避する。

だからといって何も感じないのが正しいとかそういう意味ではなくて。

死と心の在り方とはそもそも別々の事柄であり、ただ、心の在り方のどの部分で死を受け入れるのかということをいいたかっただけ。




心の中の思い出や記憶。現実ではないのに現実として捉えてしまうこと。そういうことは多々あるのかもしれないけれど、それでも今起きている現実を正しく捉えようとする気持ちは大切かなと、そんな風に思う。



ゆえに死を受け入れた相手を目の前にして、嘆き悲しむという自己の中の 思 い (死者への無慈悲) を現すのではなく。
目の前で起きていることがどういうことであり、死を受け入れたその相手に対し今何を思うのかが大切であり、それが現実なのかなと感じました。


また
そういう気持ちが慈愛なのか、と……。




本当の優しさとは現実を受け入れた者にしか表現できないのでは、と…。






だからこそ
大切な人を失ったという感覚からから、結果的に死者の存在を無視できてしまう人間でありたくは無いと、自分で自分へ誓います。





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人の悪口をいうことについての考え

昨日、とあることでとある相手と話しをした。

「悪口をいわない人はいないですよ」と、その相手。

そこで私は
「多くの人間が悪口をいうということではなく?」と、問い。


相手は…「悪口をいわない人間は 絶 対 に いません。」と、断言。


なので、それは間違っているし、実際に悪口をいわない人間も存在するといいました。
存在する、と私がいったにも関わらず、(相手は)それはあなたが 思 っ て い る こ と ですよね、と……。



「存在する と 思 う 」という主観ではなく、「存在する」という事実をいったのに。




まあ、その続きの話しはどうあれ



悪口に対する考えには…

■ちょっとくらいの悪口なら、関係性を保つためには必要。

■悪口をいわない人間は気持ち悪い。または偽善者。

■悪口をいっている自分が嫌いなのでいわない。

■自分が悪口をいっているのを本人が聞いたら嫌なので、いわないようにしている。またはいわない。



など、その他にもいろいろな考えや思いがあると思いますが、私自身の考えはこうです。悪口をいうということは、最悪は悪口の対象となった人間に聞こえてしまうことがあります。
なので本人を目の前にして言えないことはいいません。また事実だけを話すようにしています。

自分が思ったことという、主観ではなく。事実を。
(悪口という思っただけのことで、相手を決め付けること自体間違っていると考えているので、事実だけをいいます)

もし悪口として言わなきゃいけない状況があるとしたら、本人を目の前にしてぶちまけることでしょう。というか実際にそうしています。


なぜなら

陰 で 悪口をいう時の人の気持ちは、醜く卑しい。



それでも醜く卑しい気持ちを人間なら誰でも所持しています。


だとしても

自分が自分の中に存在した上で、世界が存在しているのか、
自分が自分の外に存在した上で、世界が存在しているのか。

自分の心がどの位置で生きているかにより、悪口を平気でいえる世界で生きるのか、悪口とは無縁の世界で生きるのかという、現実に異なりがでます。


侮蔑、差別、蔑(さげす)み、優越感。
そうした感情から悪口をいう。精神を傷つけるための、武器。
すなわち自分の中に自分が存在せず、自分の外に自分が存在しているからこそ陰湿な思いが発生する。いわゆる劣等感から、卑劣な感情が起こる。自分が無い=自信が無いなど。

それらを突き詰めていくと、たとえばどんな人でも許せる人。= 聖人であれば悪口はいわないだろうと思うかもしれない。だがそれは、ある種の宗教的観念かと。




悪口をいわない心の境地って、果たしてあるのだろうか……。




私は境地という結果論などではなく



私の場合のその人を目の前にして言えないことは、いわない、


という 自 分 の 気 持 ち でしかないと思う。






いわゆる意思となっていくであろう気持ちのこと。人間性。






相手を目の前にしていった場合を想定し、自分が後悔することはいわない。

□ 偽善的な意味ではなく、悪口を言ったのを聞いてしまったら、相手がどんなに傷つきどれだけ不信感を抱くか(そうなる覚悟はできているのか)。
□ 同時に、悪口を聞いてしまった相手を目の前にした時の自分がいかに卑劣で醜く愚かだと感じる、ソノ自分を許せるのか。




という 




実 際 に 起 こ る であろう 現 実 と 


自 己 の 中 で 起 き る であろう 事 実 を 




まずはよくよく考える。




当然、悪口をいわないとしても、思っただけも意味は一緒。私の中では思うことも、反則。ルール違反。



そして自問自答する、そんなヤツになって良いのか?と。



ゆえに、まともな自分の気持ちを選び自分の気持ちの選択を変える。気持ちを込め、自己の中の勇者を選ぶ。



それはつまり

勇者側の気持ちである自分が何処へ向かって道が流れているのかという論理にそって、醜く卑しい気持ちの自分を訂正してゆく。のちに醜く卑しい自分は敗北する。
(勇者側の気持ちである自分=以下の文章に出てくる、自分が“なにをしたいのか”という気持ちを、代返してくれる自分のこと)


また、どうせいうなら本人にいう。こそこそとうごめく下劣な人間に成り下がるくらいなら、本人を目の前にして嫌われるのを覚悟の上で言うべきだと考えている。

すなわち最悪の結果を受け入れる覚悟が無いのなら、しない。

また覚悟が無いのに、怒りが収まらないとか、悪口を心の中でいつまでも反映している場合というのは、自分の中でこじつけという矛盾点が存在しています。



(あくまでも自分自身へ対する考えです)



結局、悪口にしても、自分がなにをしたいのかという、自分の 気 持 ち が 生 き 方 を 決 め て い る わけで。

その結果、醜く卑劣な気持ちを持って平気で人の悪口をいう、下劣な人間として生きているのか、それ以外のどこかで生きているのか、という事実と現実が在るだけだと思う。




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異常への観念

私が思う、精神の異常。


それは医学的に認められた異常者といわれる者ではない。




医学でいうところの異常者に分類されてしまった人たちの中には、本来の自分を取り戻そうと本気になる人間も居る。たとえ先が分からなかったとしても、それでもどうにかしようとする。自分への本気。命の輝き。




人間性といわれる、人の気持ち。




どんな外見よりも、どんな宝よりも、なによりも大切なことだと思う。





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人の欲――要らないもの

要らないもの――結局は欲が生み出した代物をいうのだろうか。



相手のために

何かのために



そうした思いの底辺に気持ちの篭った自己愛がないと、本当の優しさは生まれないもの。



湧き出る自分の気持ちを愛せない人間が、なにを愛するというのだろうか。





欲という代物を余りにもキレイに美化しているように思う。それも宗教的に、神秘的に。ゆえに曖昧にし誤魔化しているだけ。

本当の欲を制することは、本当に大切なものを守ること。


本当の欲とは何か。その意味を何かで知り得たとしても、言葉だけの知識などなにになるのだろう。

欲を制することだけが素晴らしいとしたら、心の潤いなど存在しないもの。




自分を知らずして誰かを知ることなどできない。

それは自我を知らずして精神を鍛錬できぬことと同じだと、思う。




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考察の渦中



何かの今を完全に超えるためには

その何かの毒を喰らわなくてはいけない。




毒を喰らい体が勝つことができれば、ただの勝者となるだけのこと。




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プロフィール

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軒龍卑(haruka)
年齢:
50
性別:
女性
誕生日:
1969/11/06
職業:
占い師
趣味:
占い/絵(デジタルアートも含む)を描くこと/その他は密かに多趣味だったりします。
軒龍卑の近況:
なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践います。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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