白月光
My thought(私の思想)|呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

あなたは本当の自分で生きてますか?

本当のことは表現した瞬間に本当じゃなくなるから…

たとえば、自分が感じる達成感と本当のことは違ってて

あなたを見ている誰かが

あなたよりもあなたのことを良く知っているもので。


それは、たぶん、誰かに隠し撮りされたあなたの写真みたいに、

誰かが見ている、あなたでしかないように。


そんな風に本当のことは違っていたりするもの。


そんな中で何を基準に、そして心の支えにしていけばいいのかなって考えたりした。


結局、結果論でもある


あなたはこういう人。


という評価なんてどうでもいいんだよね。



だって、自分が心の中で思い描き生きている様は

誰かから見たら全然異色のものに映るわけだし。



だから

結局は

気分じゃなくて、自分の思いを大事にしていくしかないんだよなって。


なんか、そんなことを思いました。

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猿真似に見えるけど我が心の鏡だったりとか…

鏡――、

それは、手を伸ばしたら触れられそうで

その中に踏み込もうとしたら迷い込んでしまいそうで

そんな存在だからこそ、太古から大切に扱われてきた。


また


鏡には魔力が在り


霊も宿る代物。



この世には鏡と酷似したものがあって

私的には人の心だと思っている。


その心の模様は顔に現れるもので

たとえ、どんなに美しく整形をしても

染みのように広がっていくもの。


仮に人工的に手を加えていなかったとしても

キレイに見せる仮面は剥がれていく。


それでも

本当の美が欲しくて


人は追い求め


この手へと美を掴もうとする。


だからこそ思うのは

完璧な美が果たして美なのだろうかということで。


現時点の完璧こそ、次の瞬間から壊れていくものはなくて。


それでも、もしも揺るぎ無き美がこの世に在るとしたら…


醜さも、

醜さ故の美しさも、


そういう在りのままを大切にした時から

本当の美の基盤ができるのかなって思う。


更にいうなれば


そうして手に入れた美とは

誰にもマネのできないもの。



表面だけをマネようと躍起になっても、全然だめで。


それだから、そういうマネようとした人間を見ても

どってことなくて。


第一、その気持ちに到達した人は

日々、心を磨いているから。

だから、競争する路線からとっくに降りているんだよね………。




だって……



心の美を手に入れるというよりも

それは結果論でしかなく。



手の中に入るということは、

同時に、自信という不動の美が心の芯に宿るのだから。

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何時もひとつの気持ちで生きていたい



思い出って大事。

思い出の品なんかも大事。

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でも


所詮、過去のことで。あるいは物は物で。


物だったら尚更

壊れてしまうでしょ……。




そういうのでいったら


拘りを持つことは善いことだけど


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何を起点に考えていたのかという、


その中心を何処かで間違えると


ただの頑固とか偏屈になってしまう。



そして、思い出に拘り、


何が大切かということを履き違えてしまったら


今を生きれなくなることも在る。



だから、私は何時も思い出になっていくであろう、今を


心の中に刻みながら生きている。



アルバムが無くなったとしても

記念の品物が無くなったとしても

それよりも、大切な人が目の前に居ることのありがたさ。

そして心の中で力強く生きている数々の時。



それだけを信じて………。

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純真だけが辿り着く達成という聖域


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巡るめく季節があり


人は忙しなく、それらの四季を駆けてゆく。



何時になったらこの脚を停止したらいいのだろう。



どのタイミングで休んだらいいのだろう。


そんな風に思いながら過ごしていくと100308_1224~01.jpg

何時の間にか季節が変わってしまうことがある。


変わりゆく季節の中で


今度こそはこうするんだ。

同じように失敗はしないぞ。


なんて、目的をたててみたり。

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でも、そんな中、
不思議だなと思うことがあって。


人が自分の限界を超えて努力しようとした時

それまでの目的とかが、目的じゃなくなり、

ほんの僅かな途中過程でしかなくなることがあったりする。


なあんだ簡単なことだったんだとか、ケラケラと笑いながら、
そんな風に軽々と超えてしまう自分を在る意味、尊敬してみたりする。


そして、そういう現実に、
人間の底無しのパワーを感じるし、同時に神秘なのだと思ったりもする。
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人は誰だって、可能性がある。



でも、その可能性を信じて突き進むことをするか、

或いは

そんなの無理に決まっているよって諦めるか、

たった、そのくらいの気分で、

未来を左右していることも在る。

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まあ、ありきたりの言葉過ぎて
なんだよ。とか思うかもだけど…。

それでもね、ありきたりの言葉ほど本当のことだなって思えるものは、それ以外には無いと思うのね。

だから、子供は純真なんていわれるのもそうだよね。



それを大人が、子供だから難しいことは分からないんだとか、
そういう理屈や屁理屈を繋ぎ合せて、
結局は、高いところから見ている恥ずかしい人になってしまう(ことが多い)。


大人だって


子供だって


同じ人間で。


ただ、見てきたものの密度や範囲が大きく違ってて。


たった、それだけのことで、何もかもを知ったように思うのもどうかと思う。


なんていうか……


人が人として生きていい上で

大切な気持ちを忘れてしまったら

大切なものには手が届かないよって思うんですよね。

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死を受け止めるとはどういうことなのかと

死というものは

何時でも突然であっけないくらいに素早く命を奪うもの。


自然に受け入れる死であっても

意図的に受け入れる死であっても

殺害という受け入れ方であっても


死とは命の鼓動を止めてしまうものでしかない。


死は誰でも通過するものだし
どんな思いを抱いていたとしても、受け入れなくてはいけないものだし。
誰も悲しまなかったとしても、たくさんの生きた命が悲しんだとしても、迎い入れてしまうものでしかない。


たとえば、人工的に抹消されてしまう命だとしても、自然死だとしても、なんだったとしても…
死とは、死以外の何者でもなくて。

それを悲しむのはエゴだといわれていたりもするけれど

実際は、どんな風に受け止めたらいいのだろうと思ったりする。


大切な命を失い、その死を悲しむのは当然だとは思わない。
寧ろ、悲しみではなくて、大好きなままでいれる人間もいたりする。


私は、自分と関わる命の鼓動が止まった時、
大切な命を大好きなままで思い続ける人間でありたいと思ったりしている。

そう、できたら良いのにと思う。

でも、現実的に、誰かが突然とか、予期した通りにとか、そんな風に居なくなってしまったら
自分はどんな風に受け止めるのだろうと思ったりもする。


だからこそ、生きている時に、大好きなんだと態度にしても気持ちにしても
そう伝えておくことは大事だったりするのかもしれない。


自分が大好きだと思う気持ちを信じる自分。


そう在りたいと思うんです。

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リスクの重要性

人は、誓いをたてた過去があり。

でも
その誓いを破棄していることもある。



誓いとは、それらの意味を成さなくなったとしても
意味があり…

つまり、その意味が異なり歪曲してしいるとか

誓いに意味は無いけれど、一方的に誓いに忠実に徹しているとか

たとえば、そんな感じで過去から引き継いだ歪曲した誓いが在る。


でもね思うのだけど
それは誓いを破ったことにはかわりが無くて。
仮に相手から破棄してきたとしても、自分が誓いを破ったことにはかわりが無い。


誓いとは半端な気持ちでたてれるものでも無いし。
月日と共に重みを増していくのが、誓いというもの。


それだとしても

誓いをたてる時にはリスクが必ず存在している。

そして
何時しかリスクが膨れ上がったとしても
潰れないだけの信念という精神の体力が必要だということはいうまでもない。

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信念の強さは期待の薄さでも在り

在るがままの姿ではなく、相手の心を信じる気持ちでしかないのだと思う。


また、場合によっては、

誓いを続行したまま

自らの手で制裁を降すことも在るもの。


だからこそ
誰が見てても、見ていなくても、恥ずかしくない人生を歩かなきゃって思ったりします。

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晴れでも雨でもなくて

泥のように混濁した、気持ち。

そういう気持ちの時って何もかもが曖昧で
白とか黒の気持ちも無くて

ただ、ただ、曇り空が頭上一面に広がり

泥水が流れていくみたいに

自分自身の意思が垂れ流れていく。


だから

やる気とか

自信とか

そういうのも、何処か違和感を感じ

自分のことなのに
とても鈍くて…

麻酔のかかった体の何処かを
刃物でえぐられているのに

それでも

他人事だったりして。


なんか

そういうのって

走りすぎたあとに起こる感情なのかな、なんて思う。


本気で走って
本気で疲れて

それだから
毎日の時を刻むその瞬間に
自分を溶け込ませ

そして
居るのに
居ない。

そんな状態をあえてつくって

これ以上の気持ちの高ぶりとか
今以上に考えないようにとか

なんていうか

そんな風に

自分の体が自分を庇ってくれて守ってくれているんじゃないのって思う。


だからね

曖昧な時や

どうしようもなくやる気の無い時

そういう瞬間瞬間があっても

少しくらいゆっくりしても善いんじゃないのって。


こういう時に無理してがんばることも無くて

地味に好きなことしてみたら善いよって

そんな風に思うんです。

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主演者である自分と生きているステージ

人が生まれてから死ぬまで踊り続けているその舞台には

命の終わるその時まで

心の目という“自分が創り出した 観客 たにんのめ が”居る。



http://www.youtube.com/watch?v=NC04qhjvwNI


観客の声援も

罵声も

静観も

感動やひんしゅくなど…。


そういった観客の反応とは
主演者である自分の人格を起点にし、


捻じ曲がり、自分へ返ってくる。

 

悪の思いは、悪の歓声として。
善の思いは、善の歓声として。


しかし、それらは、たかが自分の固定観念であるし、ただの主観でも在る。
そして、自分自身が創りあげた偽者の観客――、つまり架空の存在としての他人の目でしかない。



本当のことは


真実の声は


心の目から見ていたら捉えることは至難であり


だからこそ
主演者である自分自身が、その舞台の上で燃焼し。

また

本気で役割をこなしていくことが
自分というもの。


そして、最後に舞台の幕が閉じる、その瞬間に
本当の声が聞こえてくるものなのだと。


結局、知りたいはずのそれらの声は
幕が閉じるその瞬間だけで充分じゃないのと思うのです。

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プロフィール

HN:
軒龍卑(haruka)
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/11/06
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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