白月光
My thought(私の思想)|呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

あなたは本当の自分で生きてますか?

人の器

言い訳。

その顛末は嘘でしかない。

そういうつもりも、こういうつもりもなく。
事柄の全体を捉えた時に嘘となる。


世の中には、魂が黒く生まれたからこそ白へ近づく努力をする者もいる。
また、黒いままこの世の終わりを受け入れる者もいる。

そして、白く生まれ白であり続けるがための努力を怠らない者もいる。
また、白で生まれたのにも関わらず、黒と成り果てる者もいる。

更にいうのであれば

悪と生まれ善の努力をする者。
善と生まれ悪と成り果てる者。

こんな風な魂の捉え方や考え方も在る。


黒い魂が白くなるための努力。

それは並大抵のものではない。

そう思うのが、この世の常なのだと思う。


しかし、それは違うと思う。


黒と白、悪、善。何だったとしてもそれらは、生まれ持っての魂の器というもの。

だから
黒だけ。白だけなど、特定の単体は存在していないし。

ましてや
その人の中で、たまたま目立つものが

黒だったり

白だったり

善だったり

としているだけのこと。


目だっていない部分を磨き続けることは
自分を変えるという意味があり。

白を磨き続け、更なる白を開拓していくことを
地道な努力というのではないのかなと思う。

結局、器という起点に対し

人生の色を決めるのは今の繰り返しでしかなく。

どういう器の人間にも
平等に苦悩は分け与えられているもの。

仮に、あの人は苦労知らず。という人もいるかもしれないが
それは、日々の誰かに対する行ないや言動。或いは、誰も見ていない時の自分自身の生き方など。
そういった、僅かな部分の違いが運命を振り分けているだけのこと。
つまり、楽に見える裏には、積み重ねという努力の賜物が存在しているというだけのこと。


また

たとえ、とても大きな器を持って生まれてきたとしても

精神の筋力を養わなければ、自分の腕で器を使うこともできないもの。

そういうものが器だと思っています。

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予測をたてる精神状態

先日、お正月の楽しい最中に、ちょっとばかりの小競り合いがあった。

詳しい話は飛ばして、いきなりテーマへ話を繋げてしまいますが…


結果からいくと
私と、ある人が小競り合いとなりました。

原因は

その、ある人は
×と○という単体で存在している、考えなくてはいけないことがありました。

しかし、◎という行動を取りました。

つまり…
× プラス ○ イコール ◎
という式がその人の中では出来上がったから◎という行動に及んだのです。が…

私は

× プラス ○ プラス ? イコール ◎

という「?が」入らない限り、◎になることは在り得ない。そう思い、その人に、どうして◎をしたのかを尋ねました。当然、?が何で在るのかを知るためです。

その途端、小競り合いが勃発。

どうしてかというと
結末からいくと、こういうことです。

まず、その人は◎という行動を聞かれたことで、悪い意味で◎をしたんでしょ。と、私が思っているから自分に聴いた。そうでなければ◎の行動の理由など聴くはずがない。と…。

でもね、私もいいましたよ。

いいや。なんの予測もしていない。行動した理由が本気で分からないから聴いたのだと。


同じ言葉を5回以上、お互い言いましたかね…。


そして

相手が何かの瞬間に聴いてきました。


分からないから聴いたっていうことは大まかな予測が無かったらできない(聴かない)でしょ。と。


その瞬間、全てを理解しましたよ。また、自分の感覚が人と違っているということを思い出しました。

だから言ったんです。
いいや、全く何も予測などしていない。それができなければ(占いの)仕事なんかできない。しかも、こういう時に感情など微塵も存在していないと。

その後、暫しの間、その人は無言でした。当然ですよね。


確かに、予測をした場合は誰もが当たり前のように在る程度の(こうだろうなという)目安はたてるのかもしれない。

でも、仕事柄、感情ではなく思考だけを働かせなくてはいけない時が余りにも多く。

だから私にしたら当たり前のことだとしても、(仕事は別として、プライベートの場合は)相手からしたら追い込まれているように取れる場合も在る。


まあ、今のところそれが自分で悪いことだとは思えないので変えるつもりはないですが、今度からは表現方法を気をつけなくちゃと思いました。

人の感覚を時々物忘れのごとく忘却してしまうのが霊感です。が、

こういった些細な会話にも影響しているということを改めて目の当たりにすると、ほんと本気で凹みますね…。
でも、凹んだのは瞬間で。あとは不足を補うための目標へ直ぐに切り変わったので、今は大丈夫です。

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絆の世界に少しだけ入ってみた

地球を包むように大気がある。

それは必然的に発生する現象でしかないのだけど

なんとなく、そういうのって絆と一緒なのかなと思う。



この地球が何時まで存在していられるのか、そういうこは分からないけど。
それでも、地球の周りを包む大気と地球は互いの存在が在る限りは一緒なのだと思う。

息が苦しくなるほど身近で

だけれども

別々の役割があって

そして、離れているもの。


でも


ずっと一緒なんだよね。


それに、絆の深い人同士の役割って、見てて、とても気持ち良いものがある。

たとえば

地球自体が温暖化で異常をきたせば、大気は自動的に異変に反応するし、
おかいなりのバランスを保ってくれているのと同じでさ

やりたいとか

やりたくないとか

迷惑とか

迷惑じゃないとか

そういう、どうしようもなく湧き出る心とは別のもっと奥に在る熱いものが存在してて。
その熱いものが自分自身を奮い立たせてくれる。

この熱いものは、仮に迷っていたとしても、芯は迷ってなくて。心が定まり固定された精神の位置なんだと思う。

それは、母と子の絆にも似ているし。
家族愛だったり、夫婦や恋人、友愛なんかだったりもする。

人が本気で動くときとは、どうしようもなく湧き上がる不安定な心に惑わされることなく、
温度のある血によって本気の動きがでるのだろうなと、そんな風に思っています。

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手放すのではなく初めから無いもの

人は巡り巡り同じ過ちを侵し

でも、その過ちの中からちょっとだけ理解して、歩き出す。

何度も自分の影を踏み
自分自身を傷つけ
だからこそ誰かのせいにしていないと居れなかったり、
誰かや何かに縋っていないと居れなかったりする。

だけれども

初めから人は何も持たずに生まれてきて

何も持たずに死んでいくもの。



だから、地位とか、お金とか、持っていたとしても持っていなかったとしても、

そんなどうでもいいことに縛られるのはかなしいことなのかもしれないと思う。

人はたくさんのことを表現できるし
さまざまな人脈も築けるものだし
賞賛され、時には非難もされ
泣いたり笑ったりして息をしているもの。

そして
誰だって何時かは死を迎え入れるもの。

そんな時にきっと思うんじゃないかな…
たとえば
地位と名誉とそれらに伴なう人脈だけだとしたら
さびしいって、思うんじゃないかな。

地位や名誉や人脈。そしてお金。

それらは目的という初心を忘れてしまうと
激流という名の運命に呑まれてしまうもの。

そんなふうに思うのです。



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気が付いたこと

前記事で書いた、そりの合わない人についてなんだけど。

あの時の会話のポイントは、折り合いをつけるというテーマに基づき会話を進めるのは前提ですが。


感情と思考の温度が同じじゃないと、頭がまともに回転しないのかなと。


つまり
感情と思考の連動している状態とは、互いの理由(←感情側と、思考側)は異なるけれど、最終目的(←どうなれば最善なのか)の一致により車輪がよく回る(頭の回転)というような状態。それが、その状況での最高得点なのかもなと思ったんですよね。

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愛の底は何処に在るのだろう

愛情とは愛憎にもなる。
愛がもたらす威力とは犯罪への扉も戸惑うことなく踏み越えることも在る。

所詮、女は全体を把握しているようでしていなくて。
男って、何もわかってないじゃんねっていう人でも、何かの時に超越した愛の証を見せたりする。

愛の底はどんな風になっているのかなって思う。

きっと、その奥底は愛の力の進む方向性が異なることでと、やはり犯罪になるんだろうなって。

そして、別な場所にでれば、このうえなく心地よい愛なんだろうなって。
…まあ、でも。その愛を欲しているかどうかによっては、
心地好いというよりも最悪にもなると思うけどね。

なんていうのかな

女は所詮、強くないよと思う。
強さを知れば知るほどに強くないよと思うな。
そういう気弱になった時に男の人が大きく見えるもので。
実際、男は男だよ。…当たり前か(笑

でもさ
男って牡の本能が備わっていて
女は牝の本能が備わっているって思う。

その性別を超えた愛は
どんな愛なのかなって
そういう思いの神秘をここ最近は考えていました。

愛というテーマは深いですよね。
密度も濃いし……。
まあ、ゆっくりつきあっていくテーマだと思っています。

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苦味という苦悩

人は苦悩ばかりかもしれない。

もしも、苦悩に味があったとしたら苦味なのかもしれない。
だから、きっと、それらは受け止める心の場所により味が違うんじゃないのかなって思う。

子供の頃は苦いものが
渋柿を食べたのと同じくらいに不味いものだったけど

大人になると舌のミライが磨り減って美味しいと感じるもの。

そういうのと同じで受け止める場所があって
その場所を何処に定めるかにより
美味いと思うものなのかなって。
そんなふうに思う。


人が本気で生きようとすればするほど
苦味という苦悩は直面してくるもので。
だからって、適当に生きていたらいたで、本当に美味しいものを美味しいと分からない。

美味しいものは美味しいと感じたいから、結局、本気で生きているわけで。

必然的に苦味という苦悩を体感しつつ生きていくことになる。

だとしても

その苦味という苦悩を好きになれなかったとしても

苦味の魅力を探すことも大切で。

他の人が美味しいという、その美味さを体感しないままで居るのは悔しいことだし

だからこそ理解しようとするもの。

結局、苦味という苦悩の存在なくして
旨みという幸せは体感できないものなんじゃないのかなと思います。

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謙虚という武器と守りについて

前々記事で、嫉妬心について書いたのだけど…。

受け止める(心の)場所について、少しだけ補足をしておきます。

たとえば
好きな人がいて
でも、その人の側には他の異性が居たとする。
簡単にいえば、ライバルが居るということ。

そこで競争心が出る。

一瞬だとしても長期間だとしても、自覚していてもしていなくても、
人が人で在るが故に持たされた生存本能なんだと思うのね。競争心。

その競争心は時として醜態(しゅうたい)をさらすものでしょ。
無様で醜いそんな人間の闇をさらけ出してしまうもの。

でもね

闇しかなかったら

闇だとは分からない。

光しかなかったら

光だとは気が付かない。

それと同じでさ、その中に謙虚な気持ちがないかな…。
まあ……もともと無い人間もいるけどさ。
だとしても、なんだとしても、謙虚な気持ちをまずは競争心(たとえば嫉妬心)の軸に持ってくる努力をしてみるといいと思うのね。
当然、嫌な気持ちは変わんないよ。辛いのも、そういう不の感情は何もかわらない。
それだとしても、ちょっとだけがんばってやってみる。
できなかったからといって諦めるんじゃなくて、逆上がりができなくてがんばって練習する子供みたいに、何回でもチャレンジする。そういう時は、苦汁に満ちたままやるものだし、仕方ないよ。
だって、そんな時は何やったって辛いわけだしさ。

でね、

謙虚な気持ちっていうのは

たとえば

やってもらって当たり前のことなんてこの世に存在していないし、そんなもの何ひとつ無いということ。

ごめんなさいには、作り物じゃなく、本当の謝罪の気持ちを込めるとか。

まあ、そんなようなことなんだと思うの。

そこで、ひとつ大切なことなんだけど。
自分は駄目なんだとか
そういう気持ちは、自分だけ特別、と少なからず感じているわけで。

それは
どちらかというと、上から目線になっていたりするもので。

つまり

自分以外の人からしたら

おまえ何様的な意味だよね。

できないとか駄目とかじゃなくて
できなかったとしても
チャレンジしつづけることに意義が在ると思うの。

それでも、所詮は結果でしょ。

そりゃそうだよ。

世の中、結果が全てだよね。

なんていうのかな
もしも、それが事実だったとしても、こうなりたい。ただ、そのために努力し日々突き進む。それしかできないよねと思うんだけど。

だって、人は魔法使いじゃないんだし。

たとえば、そこで結果が駄目でした。
だから自分は駄目人間です。

それって、そうじゃないじゃんねと思う。

努力していないなら別として、自分の能力の範囲でがんばった事実があるのに駄目とか言うとしたら、世の中に人は存在していないんじゃないのって思う。
結果なんて、やってみなきゃわかんない。


それでも、
その結果へ向けて考えたり努力するのが人の能力の限界なんじゃないの。


だからね

自分は駄目という言葉は時として自嘲というよりも、高飛車な意味にもなるものだと。

つまり
謙虚な気持ちを心の中心に座らせておけば
人生で台風が来ても、少しは違うでしょ。
台風を捻じ曲げることは不可能だよ。
それでも、備えることはかのうだもの。

また、その謙虚という気持ちは
大切なものを守るのための武器にもなるもの。

なぜなら

人と人は言葉に密着している「心(本当の気持ち)を」感じながら生きているものだと思うんですよね。


受け止める(心の)場所――。
それは謙虚な気持ち。その部分が本当の自分でいれる位置だったりします。

なんていうか、心の整理が1番難しいなって思いますよ。

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プロフィール

HN:
軒龍卑(haruka)
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/11/06
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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