白月光
My thought(私の思想)|呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

あなたは本当の自分で生きてますか?

大いなる力--富士山

今朝、富士山を見ました。


富士山は、何時見ても地鳴りのするような波動を持ち合わせています。


弱っているつもりもないのに、その大きな力で包まれると自分の弱っていた力を思い知らされる。


それは

自分自身への無理であり

気負いなのだと思う。
 

そうした自分の気と富士山の大いなる力が共鳴した瞬間とは
己自身の小ささを知り、だからこそ本当の姿を自覚する。


ちっぽけな人間であると共に

木偶のように見えない力に動かされている、そんな自分を自覚する。


その自覚は、決して悪い意味ではなくて。



これしかないのだから

これでやろう。



という、本当の勇気が生まれてくる。


何も持たず

在るのは初心のみで。

そんな自分が心静かに存在していたりするもの。


初心とは

本当の気持ちでもあり。

初心とは

心の軸でもあるのだと、富士山から言葉無き言葉により教わった気がします。
 

拍手[5回]

苦悩の合間に表れる未来は幸せを感じる感覚と似ている

人は悩むから人間なのだと思う。

それだとしても


その悩みの存在が巨大であったり


まるで湿気が纏わり付くかのような、継続して起こる何かだったりすると、


精神が磨り減り


正常な判断から遠ざかることが在る。



それは人の脳機能から起こる自然現象であるし、防衛本能なのだと思う。




だとしても


苦悩の合間に


埃が風に舞う時のように
誰もが気にも留めないような速さで


心の真に在る未来が舞い降りることが在る。


余りにも有り触れた感じてやってくるから
とても注意していないと気が付かないのだけど。


でも


それは


どんな状況だったとしても


ささやかな幸せを共感する感覚と同じなんじゃないのと思う。



だから子供は幸せを見つける天才だったりする。


こんなことは当たり前だよねって、そう思うことが少ないから。

だから

ほんと、ちっぽけかもしれないけど

そけだとしても、

何時の間にか
1等賞の幸せを見つけてしまうんだなって思う。

拍手[5回]

夢を見るということ

人は夢を見る。

夢を見なくなると心は壊死していくのだと思う。


人が見る夢は


希望であり


目標でもあり


自分を導く光でも在る。


光はその先に存在する夢を

まるでジクソーパズルを作っている時のように

細切れで、夢の断片を見せてくれる。


夢のために進めていく現実は
パズルを少しずつ合わせていくことと同じ。

絵にならない、絵が、何時の間にか1枚の絵になっていく。

だから
夢に手が届く、少し手前までは、全貌が見えなくて。

少しだけもどかしくて。

ちょっとだけいらいらして。


それでも

パズルが完成した瞬間は

高揚感と

達成感が在る。


それは

きっと
がんばった分だけ貰える、自分の心へのご褒美なのかもしれない。


だからこそ

夢を見なくなってしまったら

未完成のパズルを片付けてしまうかのように

跡形も無く消えてしまう。

そんな幻なのかもしれないと思う。


それゆえに

どんな夢だったとしても

夢は生きている間は見続けていたいなとも思うのです。

拍手[4回]

手から零れる心――水

手で心の水をすくうと

指の間から

水が零(こぼ)れていく。



水は

止まることも

一時的に留まることも出来ぬまま


次々と零れていく。



零れた雫(しずく)は






また水になって戻ってくるのだろうか




それとも



今度は何処へ向かうのだろうか。




人の心はまるで水のようで


水という形が在るから形が無くて。



だから



結局



零れないように必死でしがみ付こうとしても

その言葉も

それへの態度も

ちょっと苦手とか不器用な人とかが居て。



それで最後は

手の隙間から

零れてしまったりもするんだよね。



でもね






水でいる必要も無かったんだよね。






安心して、水は零れ。

蒸発し。





そして




人の心という空気になったらいいんだって、最近は思うんだよね。

拍手[7回]

自分の中の本当と世の本当

自分の中の本当。

それがあるから個性であり、唯一無二の自分の存在でもある。



その自分の中の本当。

その本当は、常に保留という言葉が存在していないと

世の中に破壊され蝕まれていくだけとなる。




自分の本当と

世の本当は



矛盾したままで、こじつけという結果を強要される。



だから

人は悩むのだろうけど



それだとしても


世の本当という川の流れの中で生きている限り


川の中で生きていかなくちゃいけない。



川の中で生きながら

自分の中の本当で在り続けること。

それは川の流れ(世の中など)を変えることでも

自分の中の本当(思想や考えなど)を抑圧することでも無い。


それは

きっと

無駄な思考と

無駄に行動すること。

そんな身近なことが

人生を難しくしているのかもしれないと思う。



自分の中の本当と

世の本当は

もともとひとつだし

もともと繋がっているものだと

霊的にも現実的にも、そう考えています。

拍手[3回]

自分だけの世界

心の中の世界は果てしなく

何処までも続いていて

終わりなんてなくて。


だから


その世界の中でたくさんの情報が飽和して

塵(ちり)のように飛び交い

思考を混乱させてしまうことが在る。




自分の中で入り混じる考えは


何を言いたいのか


何をしたいのか


そんなことも分からなくなることもある。



そして


自分の中の本当のことから、遥か彼方に遠ざけられてしまう。




結局、それら自分の中の世界とは

幾万通りもの顔を持っている。


その結果、どんな現状があったとしても
思想は、自分だけのものとして生きていけるのだと思う。



それだとしても



本当のことはひとつしかなくて。





画家が思ったことを思った通りに描けなくて
生涯を掛けるように。

自分のキャンバスに

本当のことという思いを

生きている間、描き続けていくことが人生なのかなと思う。



結果的に本当のことが描けたとか描けないとか

そんなことじゃなくて。

描いている時が人生だよねと。




だから


描きながら


こうじゃない


ああじゃない、なんて。


そんなんで善いんじゃないのと思うのです。



心の中の世界。

それは自分次第で如何様にも変化する。







ままならない現実をどうにかすることが人生なんじゃなくて、




ままならない現実の中でどう生きていくかが人生なんだと思うのです。

拍手[3回]

拘りしがみつく意識

何かひとつのことに対し、拘りを持つのはとても良いことだと思う。

そういった拘りは、自分の中の決め事やケジメにもなることもある。

だからといって、その拘りが拘りではなく。たとえばしがみつくような意識になったとする。
すると、たちまち拘りが執着になってしまったりもするもの。


仮に自分の中で、何かに執着していたとする。

その感情は自分にとって、とても良くない不の作用があるものだとする。
それだとしても頭(考え)と感情(気持ち)は相反することがよくあって、
だから結局、気持ちが何時の間にか執着している物事へと意識が向いたりもする。

この不の感情は車輪のように良く回り、しかも、終わりというゴールなどないかのように回転したりもする。


でもね


なんとなく思ったのは…


執着がいけないんじゃなくて


執着することに執着する意識がいけないのかもしれないと。
そんな風に思いましたよ。


本当は、心の何処かで

もういいよ。たくさんだ。なんて、何がたくさんなんだか分かんないけど、それでも、もうたくさんとか思っていたりする。

だったら

その感情に、自分自身の心の焦点を当ててみたら変わるかもしれない。
たとえばね、こんなのに拘っても仕方ないよねって。どうでもいいやって。

もしくは
行動していないから執着するのだとしたら、やってみたら変わるかもしれない。
案外、動かないでいる自分が原因だったりすることもあるし。


つまり

こんなこともうたくさん。という意識は自分が作り出す拘り、または執着でしかないのだと…。

だからこそ
更なる上空から起きている物事を眺めてみないと、本当のことは分からないと思う。


要は

現実は

実際は

そこまで縛られていないことのほうが多かったりもする。


まあ、だとしても

結局は自分がどう感じて、どう動くか。
ただそれだけなんだと思います。

拍手[1回]

愛という生き物

聞こえてくる言霊は縋りつくように愛に飢えた獣のよう。

愛は奪うことで

愛を分け与える心の余裕ができるもの。

だけれども
縋りつく言霊から零れる紅い涙は

あまりにも痛々しく。

だから
それを受け取る私の魂の芯までが激しく震動する。

いつも

最後は

飢えを貪られただけで骨と皮だけに成り果てる。


愛は

与えるだけでも

貪るだけでも

どちらか片方だけだと満たされることは無くて。


そういう場合
何時しか歩くことさえも困難になってくるもの。


結局

愛という最終地点に在るものは

自分の欲求を満たすことになるものなんじゃないのかと
そんな風に感じたりもする。

だとしても

もしも

それが本当のことで在るならば

受け入れなくては…

生きてはいけないかもしれない。


ただ

ただ

愛を吸い上げられたことに悲観するのではなくて

満たして欲しいという行為も自分には足りなかったりするのかもしれない。


だから

悲しいという心と繋がっている、その発信源がさびしさだとしたら

もう少し自分が素直になれればそれでいいのかもしれないと。

なにもふつうに甘えればいいだけだよと。

そんなことを思ったりもしました。

拍手[7回]

占い軒龍卑のBlog




CM(コメント)のパスワードについて

パスワードを
あらかじめ入れた状態で投稿しておく事で

コメントを送信完了後でも
パスワードを入れれば
編集ができるシステムになっています。

またパスワードが無くても投稿はできます。

気軽にコメントお願いしまーす(^_^)/

プロフィール

HN:
軒龍卑(haruka)
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/11/06
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

記事一覧

軒龍卑より

占い軒龍卑の最新情報




ハルカのぼやき






you tube

Healing Graphic arts

by: 軒龍卑













最新TB

ブログ内の記事検索



kaiseki‐test

アクセス解析

リンク集

リンク希望の方はURLを明記して、メールフォームからどうぞ。(リンクフリーではありません)

((([\/]  軒龍卑にメールをする

(1)印の部分は必須です。未記入だとメールが私宛に届きません。(2)記号や( )、特殊文字等を入れると文字化けしてしまうので、ご注意を。

最新CM

コメントを残していきなさい(笑)って冗談です。気軽にどうぞ。



[04/18 うに]
[11/15 うに]
[12/26 うに]
[10/19 うに]
[02/01 うに]
[01/24 うに]
[11/10 うに]
[09/27 アイカネ]



※当たり前のことですが、悪戯を目的とした書き込みや荒し行為は禁止です。