白月光
My thought(私の思想)|呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

あなたは本当の自分で生きてますか?

生きている位置を決めるのは気持ち

社会の波、うねり、そして流行。

そうした瞬間が積み重なって歴史となり、人の時代が刻まれていく。


うねりの原動力、歴史の核、それらを支配している者たち。

それは、波の上層部で踊っている者たちとは違っている。


波に対しどう思うかは別として、本当のことを見据えたものだけが原動力や核となりこの世の波を支配している。


仮に支配している者に財力があれば、確実に波は大きくうねる。


そして波の大小だけを見つめて一喜一憂している多くの人間たちが、踊り踊らされていく。


またその踊りは、使えなくなったら不必要なものとして処分される。


能力があっても

才能があっても

使えなくなった者は、要らない物でしかない。
それが核に存在している人間であったとしても、だ。


そして本物の眼力だけが本当のことを知っている。


本物の眼力の持ち主は、核に位置し存在している人間。それも富を抱え込んだ、ある一部の人間たち。


それは破壊的な思想の持ち主かもしれない


金銭主義者かもしれない


ありとあらゆる思想を持った人間がその位置には存在しているだろうと感じる。




と同時に、その位置に永遠が無いことを日々恐れている者もいるだろうし、覚悟している者もいるだろう。

どうだったとしても並みの神経ではその位置には居られるはずがないと痛切に感じている。




時代の波は今を象徴しているように感じるけれど、私はそうは思わない。

過去の渦が、過去の波が、ただ止まらなくなってしまった結果が現在なのだと。過去の結果でしかないのだと。


ただ波の核には支配している者たちが存在している。


地位、名誉、力、財力、様々な富を手にした者たちが存在している。





ゆえに本当を知り、また、自分を見て思う……。




醜い大人として生きるつもりは無いと、ただそれだけを思う。

拍手[1回]

地位 名誉 金 物 知識 技術 そして生き様

社会的な地位や名誉。そんなものは自分のものではない。

地位や名誉があったところで全てを失くした場合、自分には何が残るか。


ちっぽけで何の役に立ちそうも無い自分、所詮そんなところ。またそれも真実。


地位や名誉、金、物。そんなシャボン玉を後生大事に抱えたところで、なにになるというのだろう。


もし人に価値が在るとしたら、人の価値はその人の生き様なんじゃないかと思う。


命に対する真剣さ。

生に対する真剣さ。

自分に対する本気さ。

そういう、一見青臭くてばかみたいに思えるものが、自分の核であり、それだけが自分。


知識だって

技術だって

そういうのも一緒。


知識も技術も生きていくのに必要なパーツ、道具でしかない。


それはただの道具であって、決して自分自身にはなれない。


だが、知識も技術も鍛錬という経過を辿れば血肉にはなる。

血肉にはなるかもしれないが、それでもそれは自分ではない。

自分のものではあるが、自分ではない。そういうもの。



金に対する執着心。その気持ちを感じ、ひどく憐れに感じた。

堕落していく過去の知り合い。



そして割り切る自分自身と、割り切れてしまう自分自身。





人は何に向かって命を燃やしていくのか。





どう生きるかは、個人の自由ではあるけれど


それでも過去に繋がりのあった人間が、欲に溺れ、欲にまみれた、そのひどく憐れな姿はあまり見たく無いと心の底から思う。

拍手[2回]

扉の内側に在る世界


akuma-jyou_001.JPG

時として現実が嘘で、嘘が現実のような気がすることが在る。


それは錯覚という意味でのことではなく。



嘘が虚言癖のような意味でもなく。


あなたの中の現実が、あなたの中で現実で在る限り
その事実のほうが現実のように感じることがある。



それは

虚しさとも違う

さみしさのようなもの。悲しみの一種。

拍手[0回]

見えない津波

気持ちの篭らない人間は今の力関係を失った瞬間、防波堤を越えてなだれこむ津波の威力をひとりで受けるしかなくなる。

しかしそれは、これまで分かろうとしなかった結果論がそうさせている。

たとえその姿が弱々しく誰から見てもひよわだったとしても
1度始った津波は止められない。


本当のことを言えば力という防波堤で、それまでは止めて置けただけのこと。

力という防波堤を失くせば必然的に我が身へと襲い掛かる。




そんなしょぼい人生は送りたくないと心に誓う私です。


拍手[1回]

ありのままの姿で生きるということについて


要らないもの

無駄なもの

必要のないもの


ふるいから零れた不要な何かは消えていく。



すると、目に見えて変化していくもの。




誰かの中の無駄な心も

私の中の無駄な心も


雪が手の平の体温で水へと変化するように、ありのままの素材だけが残されていく。


それらの過程で、時が緩く過ぎ去るのを理解し

1秒間が長く安らかな時の経過を、生き抜き

それぞれがとても不思議な感覚だとしか表現のしようがない状況を体感する。


また、そういう状況下であれば、守りの強さを肌全体で感じ、故に感謝の思いを祈りとして捧げていることだろう。






人はひとりで生きているわけじゃない。




見えない糸と見えない思念が複雑に絡み合い、魂たちが交差する中で生かされている。



生死に関わらず念は存在しているし、宇宙と地球、そして人間は同時に呼吸をかわしあっている。



当たり前のことを当たり前に受け入れたら、意味なき柵(しがらみ)は消えうせるもの。



それ故、心の公式は要らず。

わかりやすく言えば、こうすべきというものは存在していないという意味。


結局、研ぎ澄まされ磨かれた精神そのものが、人間本来の公式。



精神とは、思う気持ち。



思う気持ちだけが精神を変えることができる。



精神を研ぎ澄ますことも、磨くことも、思う気持ちだけが変えることができるもの。



精神が満たされ浄化されれば

宇宙の中の地球に存在する人間。その公式が自動的に成立する。




結果的に




ありのままの自分。



本当の自分。



そういう最終結果が成されていく。





空を飛べる気がするのは




なぜかこんな時なんだと思う。



拍手[2回]

形無きもの

違う人間同士、どうしようもできない1枚の壁。

薄いけど超えることはできない、壁。

それはたぶん、血の繋がり以外の人と人の間に聳え立つ壁なのかもしれない。



自然の掟とか。



大自然が残した地形とか。


そんな感じのことと、その壁は似ている気がします。



壁を見た瞬間とは

自然の猛威の最中に出会った、険しい山のような
そんな表情をしているように思う。




だからといって、さびしいとかじゃなく。






私は私。


あなたはあなた。


当たり前のことを当たり前に受け止めるというだけのこと。


たったそれだけのこと。



拍手[0回]

妖怪と人間、それも人間

砂の城は偽りの結晶。

嘘と謙虚の喪失で作り上げた、化け物屋敷みたいなもの。妖怪の巣窟。

砂の城は、重圧に耐えられないほどの圧力が掛かればアッサリと崩れていく。

形だけではなく何もかもを奪い去る。


目をつぶって争いを避けていれば、争いが起き。

相手のためにと優しくしていれば、仇で返される。


そんなものは最終的に気持ちや気分を優先したことで

曖昧で欺瞞に満ちた目的がひとり歩きし、

最悪の結末が目的になっているのだから

当然の結果。


なのだけど…


しかし、人はそれを突如として湧き出た泉のように取り違えてしまうことが在る。

幻であったらどんなに善いかと祈りを乞う。


けどそれらは自分が丹精込めて作り上げた、砂の城であって。

本物の家にはくもの巣がはっていたりする。案外、本気で化け物屋敷だったりすることもある。


それでも気付かず、砂の城を再建する行為は見ててとても悲しかったりする。


砂の城を作り続けていると、何れ自分も化け物か妖怪になる。
まるで何かが取り憑いたように人が変わる。

いいや、実際そうなっていてもなんら不思議ではない。


誰かから見たその人は

眩しく見えることも在るし

みすぼらしく見えることもある。

こういうことは、見えている事柄(社会での地位や名誉など)となんの関連も無いもの。




砂の城で――、


ニセモノの食事を咀嚼し飲み込み


ニセモノの家族ごっこをして、ニセモノの幸せを噛み締め


ニセモノのぎらつく芳香を放ち、ニセモノのゆるい時を過ごす。


本物よりも本物に見える、ニセモノばかりの空間。


魔法がとけたら


全てが砂だったという悲しい物語となる。


そんな結末には、化け物よりも化け物くさくなった人間の隣で本当の妖怪が微笑んでいるだろう。


昔話はそんな悲しい本当の物語からも、できているんじゃないかなと思う。


眞の幸せの中で生き抜きたいのなら、本当のことを探求する姿勢が何よりも大切。
また謙虚な気持ち失くしてそれらは成立しないものだと、心の底から思います。


拍手[1回]

本当のことを見ることは心の潤いでも在る



目に映るソレはナンなのだろう…

ソレは本当のことなのだろうか。


別の空間から見たソレは
ソレとは異なる世界が見えるかもしれない。



たとえば
不幸だと思い生きている人からしたら

不幸だと思っていない人間は
自分よりもずっと幸せに見える。

しかし

幸せな人間からしたら……
両者共に幸せではない。



そう感じることが在る。



そんな状況とよく似ているのが
空間の中に存在する、異なる空間。


この空間は気付きがないと見えなくて。

心の目を開けないと見えないもの。



本物に見えるまやかし

本物に見える偽り

本物に見える幻想


そんなのが当たり前に渦巻いている、この世界。



偽りの渦は
何時でも現実と隣り合わせで存在しているもの。

それはまるで、同じものだと言っているかのような錯覚にさえ囚われることも在る。



些細なことにでも拘ること。

些細なことだとしても考えること。

それは、ほんの僅かな行動。

時間にしたらたかが数分程度のこと。

たったそれだけの行動を継続することで、本当のことが見えてくることも在るもの。




境遇がどんなであれ、人にとっての心の潤いは大切だと思います。


また、心の潤いを強く求めながら生きているのも人間です。


こういうのは、生きていく上で全ての基盤だと思っています。


※ 関連記事「鏡の世界と魔力


拍手[1回]

占い軒龍卑のBlog




CM(コメント)のパスワードについて

パスワードを
あらかじめ入れた状態で投稿しておく事で

コメントを送信完了後でも
パスワードを入れれば
編集ができるシステムになっています。

またパスワードが無くても投稿はできます。

気軽にコメントお願いしまーす(^_^)/

プロフィール

HN:
軒龍卑(haruka)
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/11/06
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

記事一覧

軒龍卑より

占い軒龍卑の最新情報




ハルカのぼやき






you tube

Healing Graphic arts

by: 軒龍卑













最新TB

ブログ内の記事検索



kaiseki‐test

アクセス解析

リンク集

リンク希望の方はURLを明記して、メールフォームからどうぞ。(リンクフリーではありません)

((([\/]  軒龍卑にメールをする

(1)印の部分は必須です。未記入だとメールが私宛に届きません。(2)記号や( )、特殊文字等を入れると文字化けしてしまうので、ご注意を。

最新CM

コメントを残していきなさい(笑)って冗談です。気軽にどうぞ。



[04/18 うに]
[11/15 うに]
[12/26 うに]
[10/19 うに]
[02/01 うに]
[01/24 うに]
[11/10 うに]
[09/27 アイカネ]



※当たり前のことですが、悪戯を目的とした書き込みや荒し行為は禁止です。