白月光
My thought(私の思想)|呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

あなたは本当の自分で生きてますか?

大切に暖めてきた思い

ずっと大切に暖めていた思い。

それは誰かへ向けた思いだったとして。

「その思いを、その誰かに伝えることと」と、

「今まで大切にしていた気持ちを維持していくこと」

このふたつは混合されやすいけど全く異なるものだと思う。


なんでも言葉にしてしまえば
それなりに思いは伝わるかもしれない。


けれども真意は伝わりきれないもの。


相手は人間であるのだから、多くの人間は自分の主観で物事を捉えやすいもの。


だから
うまく伝わりきれて無いことが多かったりする。


また


案外、自分で自分の気持ちも誤解していたりもする。


そういうのが
人間同士の繋がりなんだけど

こういう感覚って

さみしいとか

もどかしいとか

そんなふうに感じていた時期もあって……


だけれども


それだとしても思うことがある。


大切な思いを自分ができることで伝えることは
自分が自分自身の価値を知る意味でも大切なんだって。

それは、もしかしたら一生懸命な自分に対して、ささやかな優しさで戻るかもしれない。

あるいは、悪意が戻るかもしれない。


でもね、どれだけの人が本心を理解して生きているのだろう。


悪意は本当に悪意なのだろうか。
単に相手側のプライドの問題とかだったりしないだろうか…。


それだから、思うこと――。


それは


伝わるとか


伝わらないとか


そんな外観的な幸せじゃなくて。


大切に暖めてきた思いは
何があっても守らなきゃいけないよねって、そう思うのです。

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自分を受け入れ、誰かを受け入れることはひとつを選ぶことから始る

自分の心を受け入れてもらいたいのだとしたら

北風と太陽の、太陽でいたらいい。


北風のように、勇気がなくても

北風のように、まるで欠点なんて無いんじゃないかってくらい凄くなくても

北風のように、風を起こす力を持っていなくても


それでも


太陽みたいに

自分ができることを只管やってみたらいい。


熱いだけかもしれないけど、それだけでいい。

いいや、それができるだけで満点だよと思う。

得意技がそれしかないなら、それだけをやったらいい。


だって、旅人が服を脱いだのは、北風じゃなくて、太陽の時なのだから。


人と人も同じ。

強がらないで

ありのままで

笑われてもいいから

それでも、これだけはできるんだよって

大切な誰かに
自分ができることをやったらいい。


自分が先に本当に心を開いてみなきゃ、相手も本当に心を開いてはくれない。


そのままでいい。



自分の弱さ

衰え



そんなものは



太陽みたいに

これしかできないんだって

出してみたらいいのだと思う。


人が何かに対して本気になった時
実力以上の功績を残すもの。

本気になるのに
理由なんて、ひとつあればいい。

大切なものを大切なままでいつづけるために。
たったそれだけの理由があれば十分だから。


だから

今のあなたの今の実力で。

北風の自分じゃなく、太陽の自分で。大切な何かと真剣に接触したらいいのだと思います。

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何時もと違うエリアで考える時間が増えたかな


風邪をひいたから、普段は時間が無くて考えることもできないことを考えてみたりするのだけど、、

いざ、頭の中で考え始めると

いやいや

思考がストップしてしまう。

風邪をひくと頭の中がもやもやしちゃって
なんかスッキリしないじゃないですか。

まあ、そういうのも止めて体を休めてよ、という体側からのサインなんでしょうけど。
当たり前ですよね。


でも、

走りすぎて

急ぎすぎて

そういう時には

感じなかったり、感じていたとしても気が付かないような、

なんか、そういう気持ちを幾つか気が付きましたよ。


たとえば

いつも人に誤解されやすい人を
気が付かないうちにばかにしているんだなとか。

ばかにするというのは、あくまでも結果論だけど。


早い話が

誤解されやすい人が家族に居たとして

その人に朝の挨拶をしたとする。

でも、その家族は、どういうわけかおもむろに不機嫌な顔をし、
口ごもったように「おはよう」といった。

、、感じ悪いよねと、軽く思ったとする。


そして、そんな些細な小競り合いの事実が積み重なる。


ある日、その家族に困ったことが起きる。

家族だから

親身になって聴く
親身になって答える


でもそれってさ、、、、

仮にだよ
その家族以外に、明朗快活の家族が居たとする、
その家族が困った時も確かに親身になると思う。

でも、前者と後者とを比較すると、自分のリアクションが確実に違う。

そりゃ、相手が違えば答える言葉を代えないと伝わらないから代えるわけだけど。
それだけじゃなくて、
ああ、気付かないうちにばかにしてんだなって思ったの。

こう、気遣いがどこかいい加減になってしまうというか、

いい加減な態度にいい加減で返すみたいなね。

ふと、ほんと些細なことなんだけど、人の愚かさを垣間見てしまった。

やはり、人は謙虚な気持ちを忘れてはいけないよね。
気付きは大切だなと思います。

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道化師ではなく真心という言霊

精神と気持ち(或いは、気分)。

正式な用語の使い方は知らないけど
このふたつは別々のもの。

お客さんにしてもプライベートな付き合いの人にしても
最近、なぜか、そのことがテーマになりやすい。

気分によって、起きている出来事を歪曲して捉えてしまい
本当のことが分からなくなる、、、。

つまり、思っていること(感じている気分)と、本当のことが対極の位置になり
結果的に神経に触れる。

神経に触れると、体の症状に出てしまうか、脳が大なり小なりパニックを起こすか。
多くはそのどちらかとなる。


感情があることも

気分を感じることも

人間にとってとても大切なこと。


でも

その感情を本気でぶつけ
その本気の気持ちが相手に届いた時
全く毛色の異なる意味となり、相手の心へと染み込んでゆくもの。


それ故、道化師になり、なんでもないフリをする。


けれども、道化師、つまり嘘には嘘が還る。


だからこそ

本気の気持ちを伝えたいのなら
相手とどうなりたいから、こういうふうに伝えるのだと考え、

そして

心とは異なるであろう言葉を伝えなくちゃいけない。

それは
大人になることでも
偉いことでもなくて

思いやりから湧き出る言霊なのだと、私は思っています。

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今も昔も本当の太陽のもとで生き抜く精神の根底に変わりは無く

精神を鍛えること。それは今も昔も根底は変わらずに存在している。

ただ、ただ、同じことの繰り返しが精神の筋肉となり

繰り返しの結果論として、技が在る。


宮本武蔵の五輪書には
当たり前のことが書いてあるなと思う。

役に立たないことはしないとか、わずかなことでも気をつけるとか。


なんていうか


たったひとことで本当のことを言い表すというのは
多くを知るだけではできなくて。

全体を理解していないとひとことではいえない。


だから

どんな生き方をしていても
どんな職業で、どんな家族だったとしても

地位とか名誉とか関係なくて

各々の道というのがあり
その道、その道の基盤となっている格言のようなものが在る。


つまり

繰り返される同じことは
割合が同じだとしても意味の密度を上げることで
其々の道々で意味を成していくものだと思うのです。

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主観とは違う幸せという観点

いつもいつも同じことを繰り返し

なんら変わりの無く見える日常があり

時間は過ぎてゆく。


人はそれを

平凡と呼び。


人はそれを

幸せと呼ぶ。



人の価値観は人それぞれだけど



今の瞬間を祝福できなかったら



何時、幸せというのだろうか。



たとえ変化の無い物事を平凡だと表現するとしても

それでも

その中には幸せがたくさん存在している。


幸せとは気付きなのだと

そう思います。

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好敵手という名の

「生きていくことは戦い続けること」

誰かが、そんなことをいい、自分もそんな風に思い。


けれど

戦うことの意味は両面の意味が在り

戦っても戦っても敵が来て、己の死の恐怖を目の当たりにしつつ生き抜く。という、そんなような意味と、

戦うこと事態、筋トレのように捉えて生きていく。というような意味。

前者の意味は、文章のままだけど

後者は

たくさん在る中の
いわゆるひとつの武器(筋肉)でしかない。



物事を捉える角度や距離。
霊視上でもそうだけど、生きていく上でとても大切なこと。

その角度や距離によっては
本当の現実など、目に映るはずが無い。



また、心の距離と角度。

それは、どのくらいの時間が掛かったとしても

心の視力は正しい鍛錬とともに上がっていくもので。


心の目を鍛えるためには


思考力という基盤が必要。


でもね
そこに辿り着くまでもそうだし

辿り着いてからもそうだけど

生かされている以上は、戦いは続くもの。


それだからこそ

争う気持ちを捨てることで
敵は自分の中にしか存在しなくなる。

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信じる気持ちとのんびりの箱

人って、

自分の行動じゃなく

自分を信じてくれていたんだって

そう、分かった瞬間、

信じてくれた相手に対する思いのなにかが変わっていくよね。


たとえば


自分でもやっちゃった的なことをやらかし、


けれど、そんなだとしても、自分なりに意図があって誠意を持ち実行している。


だとしても人は誰かを判断する時、多くの人が行動で判断しやすいもの。


だから、

きっと、

こんな時は悪く思われるのが、普通。


そんな風に思っている時に
本当の気持ちを分からないまでも、正義としての意味や、誠意としての意味。

そういう気持ちを誰かがちゃんと見てくれていたって分かると
嬉しいものだよね。


人と人の繋がりは

終わりがあって

でも、終わりが無くて。


だから、ちょっと不思議で。


それだとしても
それらの人たちと現実がどんなだったとしても存在しているから。


大切にしたい人も当然いるわけだし。


つまり、大切な人を守るためには
心の中が何時でものんびりしてないといけなくて。

のんびりの箱を維持するには
とても大変なリスクを昇華(消化)していかないと辿り着かない。

そうして初めて
のんびりの箱が守られるものなのかな。

その、のんびりの箱からしか

誰かのことを本気で信じることはできないよねって、思うのです。

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プロフィール

HN:
軒龍卑(haruka)
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/11/06
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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