白月光
My thought(私の思想)|呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

あなたは本当の自分で生きてますか?

比較をする苦痛

どうして人は自分以上に優れている何かを意識し、また、競争心を持つのだろうか…。

これは人間に生まれてきたための本能的に備わった思考なのだと、私は日々考えている。


まあ
そんなことを考えても意味が無い。
所詮、自分だよねということは充分に分かっている。

だけれども、どうしてか競い合ってしまう自分が居る。


そういう類の話は何処ででも耳にするよね。

でもさ

その状況って、思考という機能が不能な状態に在るんだよね。

つまり
感情で、思考内が埋め尽くされているということ。

だから人はいろんなことを知り、
知りえたことを血肉にするために

感情と思考の連動という、

ある種、達観した状態に自分を誘導しようとする。

結局、感情と思考が連動している部分だけが
思考の切り換えという、

スイッチを持つことができる。

それらは日々の努力の賜物が強靭なスイッチを作っていくものだと思う。


なんていうのかな…

心で思ったことが頭の中に充満して
脳を支配したとしても

思考という機能は
努力の賜物により
強靭なスイッチを持てるということなんだけどね。

スイッチ。
要は、思考の切り換えのチャンネルとでもいうか。
そんな感じですよ。


まあ、思うことや感情は急に変えられなくても
思考でフォーローしてあげましょう的なそういうお話です。

比較が辛い人は、こういうやり方もありますよという
たくさんの手段の中のひとつの手段というそういう意味です。


というか

比較する自分自身が苦しくないという人はいるんでしょうかね…。
難しいテーマだと思いますよ。

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自分のためで何がいけないの――ひとつの愛の形

誰かの死を目前にかんがえなくてはいけない状況。

生きていたら目の前を駆け抜けていきそうなテーマだったりする。


たとえば

それが大切な人の死であり、

そして

その人は自分以外の人間の愛を求めている。

だけれども、愛を求められている相手はそういうデリケートな一面を素直に理解するような相手ではない。

だとしたら、その中で自分は何ができるのだろうか。


そういうテーマに基づき、先日、とある人間と真剣な話しをした。

それは、その人自身の身の上に(何時かは)起ころうとしている出来事であり、
また、それらを考えていかなくてはいけない立場にその人はあった。

その人は
できることを大切な人にしてあげるのだと。
愛を求めている相手には柔らかく言葉を伝えるのだと。
そういった。

でもね、それは、真剣に考える場合、死を迎える相手に対してどれだけの愛をその人が抱いているのか。
それをまずは考えるべきだよと私は言った。
それからだよ、なにをしてあげるとかどうしてあげたいとかいうのは。そういったのだ。

その部分(どう思っているのか)をふたりで煮詰めていく途中過程で
その人はあることに気が付いた。

自分の(欲求の)ために
結局はうごくことになるんだよね、と。


……当たり前だよと私は言ったの。

だって

世の中、全部そうだよねって。

その人が死を迎える人に対し何をしてあげたとしても
結局は、(死を迎える人が)嬉しいと思うかなんてわからないし。
本人にしかわからないことだよね。

だからこそ

自分のため。

それでいいんだよと。

だいたいさ、その(大切な)人に対し、根底の思いがどれだけの温度の心を持つかによって
今から先を変えていくものでしょ…。


誠実で素直な思い。
それは謙虚な気持ちから生まれ出るものだよねと、
そんな風に思えた出来事でした。

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生命の重さと人格という積み重ね



命の重さは誰もが同じだという。

確かにそれはそうだろうと思う。


けれども
死んでしまった時に
命の重さや価値がありありと明確になってしまうこともある。

かなしくも

儚くも

奇しくも

そういう事の運びがやってくる。


時々考えることがあるのだけど、
言葉の表現もそれはそれで大事だとは思う。

けれども、それよりも


スポンジに嫌な気持ちや憎しみが浸され、染み込んだように
心が鬼で支配され、また、満ち溢れてしまった時

人は、どうして、僅かな好い自分を選びづらいのだろう……。

それらの全ての積み重ねが
ひとりの人間への評価となり、価値にもなっていったりする。

どんなに好いことをしていても
どんなに善い気持ちを持っていたとしても
表現なんだというけれど
本当に表現なのだろうか……。

もしかしたら
謙虚という思いのひとつが
全ての人格を決定しているのではないのだろうかとさえ感じている。

生命という秤の無い重さ。
そして
人格という積み重ね……。

無様な死に様はごめんだと、そう思います。

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持続ではなくて一瞬々の連打で形成されたもの

川に流されるように、生きる。

その言葉は奴隷のようにも聴こえるし
何処か儚くも感じる。

けれど

なんとなく思うのは
川の流れがこの世で生きていくことだとしたら、
石のように固い信念を持ち。
流されながらではなく、
流れるように生きていけばいいと。

そして

この世のルールという、その中で、

好きなように丸くなればいいと。



奴隷としてじゃなくて

檻の中に居るんじゃなくて

人はもともと自由なわけで。


それを

この世が在るからと、

駄目なことを第一の理由にしてしまったら
何もできないよと思う。


川なら川の中で生きればいい。

川の中じゃ幸せになれないんじゃなくて、
川の中でだって幸せは在る。


幸せはくるものじゃなくて
感じるものでしょ。

また

最悪の状況下でも
目の前に在るちっぽけに見える本当の幸せを
見つけることのできる「心の目」がある、はず。

だから

幸せってなるもんじゃなくて
感じるものなんだと思う。

幸せに見える状況が
幸せなんじゃないと思うの。

幸せと感じるものが
本当の幸せなんじゃないのかな。

なんていうのかな……

心で感じようとしなかったら
見逃してしまうような。

そんな感じなんだと思うのね。


まあ、だとしても、幸せだと何処で感じるのかにもよるし。
人それぞれですよね。

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冷静な人という名のフェイク

羅刹という殺人鬼は誰もが心の中に住まわせている。

ただ、人によって

完璧に表面化することもあれば

一生、顔を出さないことも在る。


そういう

人という生き物を考えた時に
とてもおそろしい生物だと思ったりもする。


だけれども

だから何だというのだろう。


人が人に対し激しい感情を募らせ
それを相手に対しぶちまけたのなら

誰だって

心の中心が熱い。

その熱さが脳を麻痺させ無様になっていたとしても
その熱さが脳を沈め冷静になっていたとしても

どちらだとしても

魂の温度は確実に上がっている、はず。


生きているのだから
熱い時もある。

でもね
不思議に思うのだけど

なぜ多くの人は
熱くなる人を笑うのだろう。

いつも冷静な人を褒め称えるのだろう。

多くの人は
冷静な、という意味を履き違えているように感じている。

なぜなら

心の温度そのものが
たいした幅がなく。

ましてや
たいした濃度も密度も無く。

そして
ただ、殆ど感じていないだけの人を

冷静

そう呼んでいるように思える。

そう言って褒め称えているように思える。

たとえば
感情が無かったら
嫌な感じを受けて
クールとか、冷たいとかになる。

けど
今、対称にしているのは
たいした感情の幅を持たないという人間。

だから

少しだけ熱いように見えるはず。

いや、熱いのを抑えているように見えるはず。

ところが変われば知的にも見えたりする。

頭が良いようにも見える。


つまり

これくらいの感情の熱さだったら

常識から外れていないよね

という

個人的な主観なんだと。


それって
冷静なんじゃなくて
冷静に見えるだけでしょ。

ちょっと熱いのに、それでいて言っていることがまとも(に見える)というだけで。


なんていうのかな…

冷静っていうのは

そんなんじゃなくてさ

もっと、こうさ。

心が熱いからこそ
脳がクールダウンした瞬間に言える言葉なんじゃないのかなって思う。

勿論、心の温度はその時によって熱さは違うだろうし。
熱いばかりじゃないし。
それに、その温度にあわせたクールダウンが存在しているものだよ。


そのクールダウンと心の温度。

それらの幅は、

冷静に見える人よりも

普段からずっとずっと熱いものだよと

そう思うんですよね。


だからこそ

本当に冷静な人なんだと。

熱いからこそ完成する冷静な人なんだと。

いいや、熱くなかったら本当の冷静な人にはなれないよと思う。



感じることのできない。

だから、ものを見れない。

それがフェイクなんだと。

結局、本当のことなんて何も見えていないんだよね。



表面的なお祭りごとにの魔法に

たくさんの人がかかっているのかなって

なんとなくだけど思ったりしました。

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妄想の世界に住む住人

剣をを持ち相手を貫く。

相手に戦意が無いのに、飛躍しすぎた威嚇状態で剣で突く。


何故、戦意が無いことを見抜けぬのか……。


恐怖という恐れが、飛躍しすぎた怒りを起こすもの。

誰彼構わず傷つけ
自分だけが苦しいのだと

そういって地べたに懺悔する。

だけれども
その懺悔は懺悔に在らず。
ただの自己満足であり
心と思考の切断された懺悔なり。

智の怠慢のあらわれなり。


故に
欺瞞は欺瞞を呼び

妄想をも引き寄せる。


妄想の世界を抱くことでしか

今を生きられぬ者。

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大好きなものは最終結果を追うものじゃなく

本を読んで知識を増やし、お利口さんになる。
それって、なんか虚しいよね。

例えその理由が心を豊かにするだとしても、虚しい。


だって、

お利口さんも、

心を豊かにするも、

どっちも結果論で。


その途中に存在する生きた心が無いでしょ。

こう…
小説を読んでいる時だけは○○なんだよとか、
この感覚が良くて読むんだよねとか。

他愛も無い気持ちのくせに、心は生き生きと躍動している瞬間。
やっぱ、好きなものって、そうじゃなくちゃと思うんだよね。

わくわく

どきどき

それが好きなものに触れている時。


そのわくわくもどきどきも無く、最終結果だけが付いて回る好きなことって…
うん。やっぱ、虚しい。

それって人生にも共通してて
仮に人生の目標が、自分らしくだったとして。
そうした場合、自分が自分らしいという定義に拘りすぎてしまい、
じゃぁ、自分らしいはずの今この瞬間々は、心の躍動がありますか。という疑問が出てしまう。

人が自分らしくありたいのは、それぞれに理由が異なるだろうけど。
だとしてもさ、苦しみも悲しみも楽しみも…。そういった喜怒哀楽を腹いっぱいに感じたいからだと思うの。
感じないことイコール、自分じゃない的な。そういうものじゃないのかなと。

まあ…

わくわく

どきどき

できること。

それは飛躍した興奮をもたらす快感じゃなくて。

もっと自然な感覚。

いつもの晩ご飯なんだけど、
ひとつだけ大好物のおかずがあるとか。

いつも見ている雑誌なんだけど、
今月号には○○が載っているとか。

そんな、風が吹いたら飛んでいきそうな
どきどきと、わくわくなんだよね。

何気ない感覚を忘れてしまったら
何気ないことの連続が自分自身なのだから
自分が消えてしまうものだよと思っています。

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「まだ」と「もう」では大きく違うでしょ

おはようございます。

さて、もうすぐ40歳になる私ですが
30代という響きと、40という響きって、重みが違いますね。

20代から、30歳になったとき、
ものすごく違和感がありました。

戸惑いというか

どう、この年齢を捉えたらいいのという動揺が激しく心の中を走りましたね。


まだ40歳になるには、幾日かありますが、
なんとなくですけど、30歳になったときのような激しい心の揺れは無いようですね。

ただ、40歳。この年齢は重みを只管かんじています。
たぶん、責任とか、そういう現実的な意味なのでしょうけど。

でもですね。
年齢を重ねたとしても、


もう、○○歳だから。


という、思考の展開はしたくないですね。


まだ、○○歳。

それでいいかなと思うんですよね。

だって、60歳が老けると仮定したら、90歳の人から見たら、
まだまだ若いよ。って、間違いなく感じているはずだし。

だから

いつまでも

まだ、○○歳。

それでいいよねって。素直に思えますよ。

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プロフィール

HN:
軒龍卑(haruka)
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/11/06
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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