白月光
My thought(私の思想)|呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

あなたは本当の自分で生きてますか?

「現実感を必要とすること」と「必要としないこと」の選択の自由

現実感というのは、人にとってどのような位置に存在しているのだろう…。間違いなく、人それぞれなのだろうが、それだとしても考えてしまうことがある。
仮に、宗教へ入信するとしても、それは、入信した人間の自由だよね。これが法的に犯罪だというなら別だけど、そんな法律は無い。それに、入信という形式じゃなくても、ピンク色が好きだとか、絵を描く事が好きだとか、映画が好きとか、そんな様々な出来事に対しても同じだよね。そういった好きなものをするのが過去だとしても今だとしても、或いは、頭の中だけのシュミレーションだとしてもさ、好きな空間に浸る(精神を)ことを誰もが罰することは出来ない。侵害する権利も無いよね。

そう、他人がとやかく言う権利は、ハッキリ言ってない。当然、家族間でも無い。ただ、そういう互いの思想を話し合うのは、別によいと思う。

でもね、確かに自由といえば自由だけれど…。それだとしても、その自由を決行したことで、世の評価というものが下される。それは、近所かもしれないし、仲間かもしれないし、職場かもしれない、色んな想定が考えられるでしょ。

その評価の基準とは――、
明らかに「まとも」な基準である場合と、
何処からどう見ても、「不正や、間違い」である場合と、
まともな仮面を被った不正や間違いの場合と、
不正や間違いの仮面を被ったまともな場合と、
様々な観点からも捉えることができるわけだよね。

だとしてもさ、その評価は時代が違えば、反転する評価を告げられているかもしれない。そう、正しいことをしていても、悪党だと言われるのと一緒だ。また、悪党が、悟りを開いた素晴らしい人間であると褒め称えられているのと一緒だったりもする。

矛盾?そんな言葉ではおさまりきらない何かを自分の中で感じています。

ま、何がどうだったとしても、それらは思想と呼ばれ、人間のある側面からの考え。でもって、本当のことはひとつだけで、良い悪いという判断は、その本当には存在していないものだと思うのです。考えからの理詰めではなく、あるがままをそのまま受け入れ解釈するということは、現実感へと結びつくもの。

その現実感を知らずに、事の終結が起こった場合、多くの人の感情は大変に乱れます。収集がつかなくもなります。そして、場合によっては、微塵の希望も無い「失望」を体感することでしょう。
現実感…。今よりも先にあったり、時として離れていたり、ある時は逃避していたりと…。人の脳は、時として自分を騙してしまうことが実に多いのだと、そう感じます。

私は、常に本当のことを追及し探求していますが、それはどの辺りなのだろうと思うことがありますよ。きっと、今の実力分しか理解できない。当然、そんなことは分かるのだけど、それだとしても、今、出来うることをひたすら続けていくことでしか、理解することができないものが多いですよね…。

それだとしても、それは私の中での思想であって、誰のものでもないし、誰かに盗まれてしまうものでもないのです。だからこそ、こう生きていたいという願いが現実感と連動していくものだと思うし、また、その「連動した現実感の密度(信憑性)」は、願いを遂行するために(僅かな)行動を取ることで、現実感の度合いが変化してくるものだと思うのです。

結局は何がその人にとって大切だと感じているかなのでしょう。が、その自分の中で理解している信憑性が全てを動かしている(少なくとも、自分の運命をです)ものだと感じています。だとしても、どれだけ自分を理解しようと努めるか努めないか。或いは、それを考える必要性が無いのか。ただ、それだけのことなんですけどね。だからこそ、人の精神は自由なのだと思うのです。

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人間の価値に評価点をつけることへの意味

人の価値とはなんなのだろうか。

人の価値を判断するのもおかしいことだよね…。
それだとしても、世は人間の価値を容易に判断する。

地位、名誉、財産、どんな人物か(嫌われているのか、好かれているのか。利用価値とも被る気もするけど)、法的(社会的立場。犯罪なども含む)に、金額(風俗での支払いの額とか、人身売買とか)、損得、欲、利用(価値)。そんな、様々な価値を自分以外の人間から見出す(…あら捜し?)もの。それが人間を評価するということ。

評価は、目に見えない評価点をつける。
仮に新しい仲間を見つけるために、ソレまでの評価点を知らない土地へと旅立ったとする。その過去の評価点を知らない誰かは、今のままのその人を受け入れるだろう。
過去の評価点を知らないのに、新たな場所でも、同じような評価点をつけられるのは…なぜだろうか。
また、同じことをしている奴が高得点を所持しているのはなぜなのか……。

本当に無垢な者がさらし者になる場合もあるし、
本当は穢れている者が当然のようにさらされる場合もある。

見ている者は、
見抜いている者は、
過去の評価点などを知らなくとも、静かに腹に収め、素知らぬ顔で接触をする。
まるで今までの評価点を知っているかのように、今を受け入れようと素直に手を広げたりもする。

ただ、それでも、零れ落ちていくのは、自己の中で拭おうとしない悪魔との混在。
心地よいデュエットは夜明けまで続き、感覚を、気分を、麻痺させ酔わせてくれる。
世の本当を知らない、鏡写しになった歪んだ真心は、自分を洞窟へと招待する。
それほど虚しいものは無いだろうに……。
そう、自分で自分の価値を卑下するものほどかなしいものは無いと思うよ。それだとしても、それも、その人の選んだ人生な訳で。また、それも生き方だよね。

故に、この世の評価は、意味が無く。
だからこそ、意味がある。

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自分の本音というけれど その本音って何? 

自分の本音をぽつぽつと話していく。
けれども、どこまでが本音なのかと感じることがある。

別に私の場合誰に対しても、人として向き合う姿勢には変わりが無い。
ただ、違いがあるとしたら言葉使いが多少違う位なんだよね。

それでも、普段なら、ある一定ラインまでお話すれば、大抵がなあなあになって、掻き消されてしまうような物事があるでしょ。そういった物事を更に探求する時って、誰かと話すか、或いは、自分が自分に向き合うか。そのどちらかだと思うの。

人は、自分の気持ちだと言うけれど、その自分って、何処までが自分なのだろう。
自分とはどの範囲が自分なんだろう。
そして、その自分が本音なんだという、その本音は、何処までが本音なのか…。

ぐるぐると同じ位置を円をかくように巡る針のように、知識と感情は連動も共鳴もせず。ただ、ただ、曖昧な論点をごまかしながら眺めている感じがする。
人間の脳は、知識と感情が連動して初めて智となる。
その連動の位置にも達していない、他愛も無いラインで脳がくすぶっている。今日の私はそん感じかな。

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人間と天と地と


17e932a6.jpg25.jpg自然が起こす現象は、この地球だけに留まらない。宇宙という空間も、其々の惑星も、全てが呼吸をし、エネルギーを放っている。

人間が同じ人間へ放つ思い、それはなんなのだろうか。



それらの思いは、皆が同じように持つ心の顔。
良い、悪い、じゃなく、同じ人間の思いなのだ。
この地球で息をし、大気を浴び、生きている。その同じ人間同士の様々な思い。ただそれだけなのだと思う。
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日本には四季があり、東北は厳しい冬が巡ってくる。
寒さは、人間の心の柔軟性を時として奪うものではないか。そんな風に感じることもある。

だけれども、厳しい冬が過ぎ去る頃、冬は爪痕を残して去りはしない。春という命を産み落とし過ぎ去っていく。
命は儚くも、逞しい底力がある。厳しさを全身で受け止めた、その誇りがそうさせるのだろうか。

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誰もが自分が生み出す冬を嫌うのだろうか。
自然な厳しさを受け止められず、忌み嫌うのはなぜなのだろう。
故に、辛く悲しいことは、本当に辛く悲しいことなのだろうか…。

21.jpg 何を信じて、何を疑うべきか。

そういう疑念の全てが己の生み出す冬に還りつく。18.jpg

時は今を繰り返す。

人間の根底に善も悪も無く、無意識の世界は、皆が皆、世界共通なのだと感じている。
人はなぜ、こういった善悪や様々な型に拘るのだろうか。
この型の全てが、己の中の己への呪縛であるというのに。
この世には、こうでなくてはいけない、そんな言葉は存在しない。
在るとしたら、その型に拘る己自信。
拘りは重りと成り、何れ、自分自身の目を盲目にしていくもの。
見える目が在っても、必要の無い、意味の無い、そんな目になっていく。

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厳しい冬と相通ずる心。そこには型など無くて、在るのは本当のことのみ。

13-.jpg 本当に大切なことは、今抱えているものなのか。

それらは、ただの呪縛という名の型ではないのか……。
それは本当に価値のあるものなのだろうか。
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だけれども、全ては、どれもが本当。

型に価値を見出すのも本当だと言える。

この世には、こうじゃなくてはいけないものなど存在しないのだから。



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目標地点まで移動するためにはどんな発想があるのか~その一部を紹介

人間万事塞翁(じんかんばんじさいおう)が馬とは、中国からのことわざ。

「人間」を「にんげん」と読まず、「じんかん」と読みます。
じんかんとは、「世間」のこと。
塞翁とは、城寒に住んでいる翁(老人)のことだそうです。

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占い好きの老人が、大切に大切に飼っていた馬が逃げてしまった。
逃げたことを知った村の人達が「かわいそうに」と、老人を慰めた。

けれども、そのことが幸福を呼ぶかもしれないよ。と言って平然としていた。
やがて逃げ出した馬がたくさんの馬を引き連れて戻ってきた。

村人たちは、よかったねと老人へ言った。
そして、老人は言った。
これが禍になるかもしれないよ。と。

その後、老人の息子は馬から落ちて怪我をした。

怪我をした息子は、戦争に行かずに済んだ。

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という出来事から始まったことわざだという。

つまり、目の前で起こっていることが「幸福」にみえたとしても、「禍(わざわい) 」の根源になるかもしれない。
また、「禍(わざわい)」が転じ、「幸福」になることもある。
人間の運命とは予測のつかない分からないものだ。という意味だそうです。

※文章が長めです。読みたい方は気合いで読んでください。


私は、占いの仕事をしていて、よく考えることがある。
それは、霊感で見えている出来事というのは本質を現すものです。
けれども、霊感を持たない人が、その出来事を見た時に本質の色というのがあったとしても、
その本質とは全く異なる色を想像し、頭の中で展開してしまうのだ。ということ。
ま、このことわざと被りますが、それと同じような気持ちになりますね。

占いとは、出来事というよりも、その人の本質の色(場合によっては、現在の色)を基本に判断していきます。
そして、本質からいきなり掛け離れた色の運命をアドバイスは出来ないでしょう。
どちらかと言えば同系色。だけれども、どうしても対極の色の位置にいきたいとする。
そうすると、おのずと同系色を渡り歩き、目的の位置までの道のりを案内する。
占いとは、いわゆる道先案内人ですね。


それから、こういった色をカラーチャートの表としても考えられる。
赤青黄色と、様々に原色が並ぶ。それらの原色は横の位置を示す。
また、縦は、濃度を現す。下が黒で上が白となる。
カラーチャートを移動するには「色の調合をしつつ歩いていく」。
ということは、このカラーチャートを人間が住んでいる世界という表現もできるよね。
ただし、それら人間の世界をリアルで例えているのか、或いは精神世界で捉えて表にしているのかというだけで、種類が異なっても、同じ人間を表すことができる。
だけれども、その表とは、立体ではなく、平面の表。
立体的に其々の人間が住んでいる位置というのも表現することも可能だと思う。

さて、それらの世界の中で上手くやっていくには、今居る位置の色に、自分が染まることなんじゃないかなと思います。
それは、まるでカメレオンみたいに変化していくことです。
そういうのって、八方美人? なんて思うかもしれない。
だけれども、そうではない。
だって、色が変わったとしても、カメレオンであることには変わらないもの。違って見えるのは色だけでしょ。

それを「自分が無い」とはいわないよね。
そんな風な思考を展開していくと、無駄なプライドが剥がれ落ちることもある。

また、赤色が青色の位置にいくためには、ただ闇雲に原色を渡り歩いても辿り着かない。
青の位置にいくまでの色が必要になってくる。
それが、自分を磨くとか、努力するとか、そんなような部分を示すものだと思うよ。

ま、ゲームでいったら、ゲームキャラが持っている「武器」のことだよ。
どの武器をもっていれば、青の位置に行けるか。みたいなのと一緒だ。言い換えれば、その何とかという武器が無いと青の位置には行けないと言うことにもなるよね。

そんでもって、少しだけ話は戻るけれど、何が起こるかという「予測」なんていうものよりも、「何色になりたいのか」ということだよね。
この何色というものを自分の中で決めていれば、何かトラブルがあったとしても、今居る色の同系色を渡り歩き、トラブルが静まればもとの色に戻ればよい。

要は、食事をしに、カメレオンがのこのこと歩いてきた。歩いてきた時は草の上だったので緑だった。けれども、途中で敵に会い、逃げた。逃げている場所がコンクリートだったので灰色になった。その後、敵がいなくなったので、再び草むらに戻り緑色になった。ということと一緒だよね。

カラーチャートで言えば、1マスずつしか移動はできないけど、縦横自由に動けるということだよ。

ま、なにがどうだったとしても、それまでは「色だけを中心(地位や立場や狭い視野などなど)」に拘っていたとしても、「カメレオンそのもの(この場合での“自分はカメレオンである”という事実と、現状の表皮の色)」に起点を置き、考えることもできるよね。ということ。そして、どんな武器が必要なのか、どんな(異なる、或いは同質の)仲間(渡り歩いていくために、何色が必要なのかという意味)が必要なのかってことだ。
こんな風な考え方をすると、自分が本当は赤なのに、青だと思っていたり、或いは、青の次に行くのが黄色なんだ。という誤算が消滅するはず。
この誤算は、人間の脳機能が高度なために、うっかりと騙されてしまうツボなんじゃないかと思える。

誤算を修正しただけでも何をすればいいのかハッキリするし、ハッキリするということは、自分自身が迷いも無く全力で行動できる。だからこそ、良い結果を残せたりするもの。
良い結果(色)にばかり拘り、全力を出せない自分というのは悲しいものだ。
そんな悲劇を自分で回避していくためには、「現状の確認と、確認したうえでの何をすればいいのか」ということだと思うんだよ。

それと、もっともっと自分の運命を発展させていきたいのなら、今の展開を点として捉えるということ。点は点でも「点と線が繋がった、ひとつのネットワーク」。それだとしても、そのネットワークを「点」といった形に捉えてしまうことで、おのずつと自分の世界観は広がるものだよ。

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長期戦になったいがみ合いからの離脱について

人と人が一度大きくいがみ合うと、出来てしまった溝は消えづらい。
そうなってしまう相手が近い存在であればあるほど、溝は深いように思える。
そんな時、きっと、さみしい気持ちや、悲しい気持ち、そして状況によっては絶望。そういった感情が怒りの奥底でうごめくんじゃないかな。

どうして、こうしてくれないのだろう。
なんで、こんなことを言ってくるのだろう。
いつもいつも、こんな態度だ。

そんな言い訳を自分にしながら、辛い自分を更に苦しめてしまう。
してもらいたいことだけじゃ駄目だよ。自分がどうしたいのかハッキリしないと。
応援する声は虚しく木霊する。

それだとしても、そんな余裕も無いくらい目一杯なんだよ……。

それらの言い訳は、自分を闇へ闇へと追いやってしまう。


余裕がなくなる時とは、自分の実力を越えようと、本気で「自分という壁」にぶつかっている時なんだと思う。
そして、どうにもならない状況では、大抵が選択肢は限られている。
この状況でさえ、受け入れたくも無いのに、限られた中から「不満足だと思える選択」などしたくも無い。
だとしても、今起きている状況は刻々と時間を刻み、今という時を重ねていく。

こんな状況で誰かに対する強烈な感情、または、心を掻き乱す人物がいる。
リセットできたら楽なのに。そう、思ったりもする。

当然、相手も楽しくなんかない。そして何よりも息詰まる感覚は同等なんだと思うよ。例え、相手の立場が有利だとしても、的を変えた急所を抱えている。長期戦になればなるほど、そんなものだと思う。
どんなに強敵だとしても、相手が鈍かったとしても、その人なりの急所がある。

急所を見破る最速最短の秘法は、自分が一瞬でも人の心になれた時に見つけられるもの。

自分が御釈迦様みたいになるという意味か。聞こえはいいけど、そんなのは堪えられない。と、思うかもしれない。

けれどもね、相手に対して媚びるという意味ではなく、相手の立場や状況を描ける想像力なんだと思うよ。
その瞬間、我が肉体に在る「人の心を開ける」もの。
人の心を無くしては、人とのいがみ合いは解消しないよ。

こういうのを悟りとは言わないね。それだとしても、「ぷち悟り」みたいなものじゃないかな。
だって、急所を知ろうと必死になったけど、結果として、人へ心を開くのだから悟りでもいいんじゃないの。と、思うよ。

いがみ合いが長期になると、自分が吐き出した悪が、いつしか「自分の中の真心」を支配して封印してしまうことがある。つまり、ただの「鬼」のような自分になる。どんなに弱々しく見えても鬼には変わりなかったりすることもある。
想像力から人の心を取り戻せれば、つくりあげた鬼から解放される。開放されれば、必ず自分が戻る。


その想像力を繰り返し続けること。

その効果は、自分を磨き大きくしてくれる。

「己の精神の器」を「相手の精神の器」よりも拡大できた時、全ての悪循環は消滅する。
まぁ、自分が壁よりもでかくなれば、今在る壁が、壁ではなくなるということだよ。


故に、相手へのみ変貌を願うのは神でさえ叶わぬもの。

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くそばば と くそじじ の お話

本当のことを知るというのは、脳にとっての何よりもの栄養ではないか。これは、ずっと以前から感じていたこと。
本当のこととは自分が気になったことなら、何でも良いのだと思う。

自分が感じる、或いは自分が考える、ある一定の答えがあったとする。けれども、それらは「自分の中での常識」だという場合がある。自分で出した答えをこの世の本当と比較したら全く異なるという結論が出てもおかしくはない。

例えば、哲学や思想、そういったものがあるでしょ。確かにこれらは的をついているし、全てではないのかもしれないが「正しい」ことを言っていたりする。
けれどもね、「正しい」ということと「本当のこと」は全く違う。

学生時代に感じた校則への反発感。そういう気持ちって少なからず誰もが感じるんじゃないかなと思うの。ま、校則に限らず、担任の人格へ様々な反感というのもありだろうけど。でさ、学生へ強制される校則。その校則に従い先生は指導する。この指導している状態は「正しい」と言える。校則に従っての行為だから、そうなるよね。
じゃぁ、それらの行為を世の本当と言えるのか、となると、そうは言えないこともあるでしょ。
世の本当とは、そんなような意味。だけども、人間とは、人権とは、となるとそれは哲学や思想というジャンルだったりするはず。哲学や思想とは「自分がこうだと思う頂点」を示していくような考えということでしょ。やっぱり、そういうのと本当のこととは違っているからね。


今日は、脳のお話に触れる機会があって、折角だから書き残しておこうと思い記事にしました。

脳はこの「世の中の本当のこと」を理解していないと「ある特定の脳エリアの機能不全」を引き起こすようです。この状態を心身症です。とは、言いません。この状態で生きている人間が、人口の大半を占めているはずです。
本当のことを知る努力というものを怠っていくと、老後、くそばばと、くそじじになります。つまりかわいくない年寄りという意味です。若くても、脳機能の不全は現れます。10代の人間にも存在している症状です。

だけれども、最近になって気がついたのですが、こういった脳の機能不全を持つ人間を凡人というのではないか。とも感じています。本当のことを理解できるのは、天才か、天才と並ぶまでの努力をした秀才です。ということは、大まかに、それらの残りは「凡人」なのだ。と、思います。だとしても、秀才とはもともとが凡人であると言える。

つまり努力次第(←本当のことを知るという意味での努力。及び、脳の機能不全の改善という意味)では、味のある老後を謳歌できるということ。


ま、老後の人生を謳歌したいのなら、精神の鍛錬ともいえる「この世の本当」を探し続けていくことですね。
そのうち機会があれば、そういった脳機能のお話や精神力についても書こうと思います。もしかしたら、精神の探求~Search for spirit の方に書くかもしれないですが、その時は、このブログ上で告知しておきます。

そして、脳とは自分が思うよりも賢い機能だということ。それだけを最後に書いておきます。



ほいで、脳の機能不全が原因で、くそばばにはなりたくないです、私。はい。

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愛するということ

人は誰かのために生きている。ひとりという孤独は何よりも耐え難く、それ故、精神を崩壊することもある。
自分だけが良ければ良い。そういう人間をこの世の多くの人間は酷い人だと感じる。そして、おそらく酷い人だと思うだろう。

誰かを愛するということであっても、其々の精神により空間というか世界のようなものが、異なったように私には見える。

例えば、芸能人。そういった人間もそうだと思う。
芸能界というある種の空間に、やはり幾層にもなった(いわゆる地位の)階級のような位置づけがあり、ともに、異なる精神の空間が色分けされたがごとく混在している。

それらの世界に居る人間は、やはり凡人とは“違う空間や世界”に居る。

さて、こういった層の違いのように、この世の人間が持つ「愛の精神」も分類され、各々が振り分けられているように私は感じている。この層を上下のレベル分けである。とでもいうかのように、階級を見ている訳ではない。
しいていえば円グラフ。終り無き円グラフといったところかな。

ただ、誤解して欲しくないとしたら、この振り分けが差別しているという意味で書いている訳じゃないということ。
人間なんて、地位も名誉も財産も、そういった衣装をどんなに身に纏ったとしても、ただの人。
今、言っているのは、努力して磨きぬかれた精神の話だということ。そして、それら精神へのジャンル分けをしようと思えばできるよね。というお話だということ。


でね、今回、記事としてあげたいなと思っていたことは「愛する」ということについて。その話をする前に、精神の異なる空間があるのだと、感じている私の考えを話しておきたかったの。
「愛する」というテーマだからといって、「愛される」ことと「愛する」ことの違いとは云々。なんて意味の無い論議は飛ばします。
まず、愛するということが鮮明に絞られれば絞られるほど、複数のものから、何れ、ひとつを選び他を捨てる(或いは諦める)という結末になるのだと思う。そして、他を捨てるという意味の中には、ふたり以上の異性を愛するということもあるだろうけど、そういう時って異性ばかりとは限らない。様々な「捨てる対象」があるはず。

で、そこで選ばれた愛。選び抜かれた愛の対象という方が良いかもしれない。この対象をもつ過程というのが精神の振り分けを作っているのだと、私は常々感じています。

愛の対象が創られていく過程。その的についてのお話をしたくて、だらだらと無意味に思えることを書いていたの。じゃぁ、早速だけど、的の話。

自分の中で、永遠ともいえる愛を誓える相手がいますか? 

その対象をあなたはどれだけ見ていますか。
その対象が崩れ去りそうな時に、今ある全てを投げ打つことはできますか。

そして、その対象を自分が大切だからこそ捨てることができますか。

こういう自分への問い掛けと、問い掛けにより発生した自分の答え。それが的を絞るということだと私は感じています。

自分の中の的とは、現実と照らし合わせた時に、本物であると説明できるものだろうか。
だいたい脳というものは適当だと思うのだ。自分が把握して理解を示した事柄が、現実の理解なのか。となると違っている場合が結構ある。自分の中の当たり前という壁が、自分の世界を狭くしているようなものだ。
日々、自分の行動や考え、そういった事柄への疑問符は必要だったりもする。

疑問符がどれだけ自分の中で存在しているのかと、それらを解決する意志と、それらの結果(自己の中の実績)。そういった繰り返しにより、円グラフの位置づけのようなものが決定されていく。



だからこそ、私は思います。愛するということは、自分を大切にし、自分を愛した分だけ誰かを愛せるものだと。

そして、何よりも、自分にとって、その人が必要だからというエゴにも似た熱い思いから発せられるものであると、そう思うんですよね。



~彷徨うあなたへ贈る言葉~

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「自己の中の石のようになった超えられない己の思考があるから、相手の本当が見えない」

解説 いかに与えられた脳を機能させるかということ。今在る思考に満足した人間は、大量生産された産物であるかのように私は思える。

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「誰かのためにという前に、自分はどうしたいのかということが、己の魂の本当」

解説 腹の根底から現れる「誰かの為」という思いが、天に近付けば近付くほどに、己が己を惨殺しているのと同じ。それは、まるで夢の中で生きている住人が語る、白昼夢のようだ。

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プロフィール

HN:
軒龍卑(haruka)
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/11/06
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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