白月光
My thought(私の思想)|呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

あなたは本当の自分で生きてますか?

仮面の下の顔

たとえば誰かが私に本気で腹の底を打ち明けたり

たとえば

泣きながら
怒りを

私へ向け我武者羅に立ち向かってきたりする。


そういう時の
私の中から湧き上がる感情は
確実に温度を持っている。


けれども

仮面のように心を隠し

まるで
舞台で踊る人形劇ように
完璧な役をこなしたりすること

そういう
見えないはずのものが
私の心に届くと
とてもかなしくて

音をたてて

何かが崩れていきそうになる。


でもね

それでも

その誰かが

その仮面の下で

必死に本当の本気をだそうと
もがいていたりするのを知ってしまうと

壊れかけた私の心は
一時停止。

一時停止した心は
その仮面の下にある心の温度と

本気で話しがしたいと思ったりする。


結局ね
人の心って
どこまでその誰かと

心と心で繋がりたいかなんだよね。

あたたかい心に触れて
おかえしに相手のこともあたたかくしてあげて
意味も無いのかもしれないけど
その先に何も無いのかもしれないけど

それでも

今のこの時に

そうしたいこと

そうしてあげたいこと

そういうのって
何よりも大事でさ。

10年先の未来計画も大事だけど
そのために今が苦しすぎたら
だめじゃんね…。

やっぱ

今の連続が未来計画をよりよいものにしていくものでしょ。

なんてね、思うの。
心と心でお話しすることがここ最近とても多くてさ。

それで余計にそう感じたりしてる。

まあ…そうね。なんていうか堅苦しく考えてもだめで。
適当でもだめで。
じゃぁ、どうすりゃいいのよ。
っていうのじゃなくてさ…。

未来はこうしたい。
だからこれを頑張る。

けれども

今のこの時に

あなたと

何かと

或いは自由と

繋がっていたい。

それでいいじゃんねと思うんだよね。

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命ある瞬間の連続

嘘が見えて
偽りの壁を感じ

それが

たとえ

善い意味での嘘や偽りだとしても

見えたままの表面が真実とか本当だったりする

だから
嘘と偽りにより心が枯れてしまうけど
枯れるという心が選んだ選択は
浅はかとかじゃない

だって
その嘘や偽りから生まれた全てが
嘘と偽りという本当だったりするから

心が自動的に選択をしてしまうのは
ある意味
最善の選択だと云えたりする

そう
浅はかじゃなく
最善の選択なんだよと思う


結局

嘘も偽りも
裏切りでしかなくて

愛というものが
心に向ける刃物に見えたら
それは向けられた人への裏切りでしかなくて

刃物の中心に愛を置いてくれないと
愛ではなくなり

刃物を向けられた人が
愛だと気がつくことがなければ
心は折れてしまうものだよ

いったん刃物を持ってしまえば
言葉で何をいっても
行動で何を示しても
心の温度と噛み合っていないと
人はその人に不信感を抱く

刃物を向けられた人は
自覚なんかなくても
何がおかしいとか分からなくても
不信感を抱くもの


そうして失う愛もあったする



嘘と偽りから生まれた浅はかとは

時として

死臭のする残骸を残し
平和な笑い声と
安堵の地ごと奪い去ることがある

しかし
全ての過去を幻にしてしまう
そういう心の時空も在ったりする

だからこそ
本当の安堵の地は
聖地でなければ築けないものなのだと思う

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愛は奪うもの……

私の中での私だけの言葉。

「愛とは奪うことから始るもの」



この言葉を親しい人間には伝えたことはある。



奪うことで


心の曇りという魔法が解け


本当の心が見えてくる。



奪うことなく
奉げる愛など存在してなくて

奪い合うことで
傷の舐め合いになっていく

それでも

そこに居続けることができる者同士が愛を誓い合えるもの


愛は無力だから

強くて。


魔法の言葉は要らなくて

居て欲しいという言葉だけが
必要だという言葉だけが

不思議と生き残っていく。


果てしなく

途方も無く

先なんて無くて

先が無いから

人は智を磨く。


何かの時にだけ本番の試合だと言わんばかりに
頭の中で一瞬の活躍をするためだけに
智を磨く。

それは
動物が爪を研ぐのと似ている。


きっと

きっと

愛は剥き出しのままだと
無力だから
守るものは智でしかないのだろう


奪うだけの愛という言葉も聴くけど

でもね

そういう次元の意味じゃない。

その愛の次元からもっともっと突き詰めたら
そんな場所に辿りついて…

そこはとても動物的で。

けれども

人は所詮、人間な訳。


だから

智が欲しいんだって思ったりしました。


それも本番の試合の時のためだけにしか活躍できないものだけど。


それでも


それは


とても大切なことなんだと学びましたよ…。




※智に関する関連記事
精神と思考の一体化 

智とは知識と感情の連動が確立してのみ「智」となるものだと私は感じています。

知識と感情の連動無きもの――、
それはただの無駄な知識であり、我が人間関係の摩擦の元凶でしかなく、また吸収としての意味が無い。
結果、連動無き知識は人生の妨げとなるもの。

故に智とは

人としての幕を閉じる時に

「嫌でも滲み出てくる“そのひと個人の人間性”でもあるはずだ」と

今はそんな風に捉えていますよ。

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力を抜くこととひとりぼっち

祈る思いは

何も持たない

小さな自分から始める。


手放しの自分は
とても冷たい手をしてて
とても無力で
ほっておいたら凍えてしまいそうで…

でもね

大切なことがなにかを知っている。

本当の姿を子供の目線で見ている。


だから

誰かに頼らないと生きていけないことを知る。

だから

自分がひとりでいることのこわさを知る。


力を入れずに生きていくと
さみしいんだって
苦しいんだって
よりたくさんの密度で感じるもの。


人は何時までもがんばれなくて
人は何時までも強がれ無いもの

誰かの胸の中で
安心して眠りに落ちることを
魂が望んでいたりするもの。

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今は散歩道

奇妙な空間がつい先日になって抜けていきました。
ああ、やっと抜けてくれたか。と、ひと安心。

でもね、

今から大きな任務が数本あるので
一気に気を抜くことはできません。


なので、多少、弛めの精神と心を肝に銘じ

がんばってこようと思っています。


まあ、生きていれば誰だって大変な時はあるし
辛い時も苦しい時もありますよね。


時々へこたれながらも

それでも

がんばれる自分がいる。


それって各々の思いや信念があるからがんばれる。

そんなのを乗り越えて成長していくもの。


私自身、まだまだ成長が足りないと痛いほど感じている。
怒りを耐えられないのも
悲しみに狼狽するのも
何かに集中しすぎて大切な人を傷つけてしまうのも
そういうたくさんのことが自分が未熟だからと感じています。


それは
攻めているわけじゃなくて
自分だけが悪いとかそういうのでもなくて

ただ、全てを見渡した時に
私なりに物事の良し悪しを対象となった物事や人物と比較して考えるけど

でもね

それだとしても

自分が空回りする。

そんな姿が悔しくて。


悔しいから未熟だと痛感する……。




だから

休んでも

また

歩く。



疲れたら

また
休んで。

気が付いたら体力がついてて。

その体力は
歩いていくことで何時の間にか
心の筋力になってたりする。

それでいいんだよな。



なーんてボーっと考えたりして。



以前は
私の情熱はどこから出てくるの?

と、逢う人逢う人
言われていたことがあって

でも
自分じゃ全然自覚なんてなくて。

だけれども

いまなら判る気がする。


走り続けていた時は
筋肉が熱でうなされたように熱かったのかもしれない。

でも
今は

筋肉の唸るような熱は冷えて

自分の身になってきたのだと

そんな風に感じる。


だから
きっと

以前の私は

オーラ写真がほぼ真っ赤に映ったんだろうな(実話)。


まあ、人生は何時何処で幕を閉じるのか分からないけど

それだとしても


生きてきて良かったと


そう思いながら死の扉へと逝けれたらな…

なんてことを思っていますよ。

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精神の中心点から運命を歩く

今日は忙しい日常が一変して、束の間の何時もの日々が訪れる日です。
また明日から暫くは忙しい日常に戻ってしまいます。

忙しい時って、どうしてあれもやりたい、これもやりたい。そんなふうに具体的な欲求が沸くんでしょうね。
自分のためにしたいという欲求も沸くけど、フルで忙しいと、大切な誰かのためにと私は何故か考えてしまうんですよね。

よく、忙しい時ほど充実していると言われるのは、体や頭を使いこなすことで、精神の中心点を刺激されるからかもしれないですね。

それがいい意味で刺激の連動となり、また、連動が共鳴となり、自分の精神の中心点に木霊する。
その現象が人間の持てる可能性や生きるための意欲をより良く育ててくれる。
こういった人の不思議を知れば知るほど、人の心は宇宙の仕組みのと同じように神秘的だと感じます。

肉体は年齢と共に変化していくし、肉体の最高の時期があるから下向もします。
しかし、人の精神は、上昇を維持していくことができるのです。
その人間の不可思議な神秘にはきっと意味があるのではないかと私は考えています。
もしも、老化と共に精神も退化していくような肉体の構造だとしたら、今在るこの世とはまるで異なる世界が存在するでしょう。

だとしたら、なぜ人はなだらかに老化していくその肉体と異なる線を描き、精神が上昇しつづけるのでしょうか…。

人の能力を遥かに超える大いなる力は人間へ何を望んだのか。

この時代、この家族、この運命。
それらの全てには意味がある。


「自己の持てるもの全てを生かしきること」

それをまっとうすることに意味があるのではない。

今だからできる生かし方。
今しかできない生かし方。

その精神の中心点は誰の精神にも存在しているものだと私は思います。

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自分の中の常識と世のまとも

人と人は寄り添いながら生きている。

けれども時として、寄り添う行為自体が重すぎ、重圧を感じることがある。

それは正と言う名の自己の中での常識と
正とは異なるかもしれない自分以外の誰かの常識が

ぶつかり合い

反発しあったりもするからだろう。


それまで生きてきた生活習慣から当然のように生まれる
そんな、我が習慣がある。

その習慣がいつでも当たり前のようにまかり通ってしまうと
どんな場面でも世の常識のような顔をして登場する。

それを誰かに否定され続けたりすると
今までの自分の全てが否定されているように思えることがある。

そんな時に

あなたのそれは世の常識では無いし、
ハッキリ言って間違っていると毎回のように威圧されたら、
人によっては心を閉ざしてしまう。


…私は思うのだ。


自分以外の人間も
自分と同じように
みんながやっている。

だから

この世の常識だよ。


そんな風に思うかもしれない。

だけれども、

それは

ただ単に

多くの人がそうしているというだけで

間違っているかもしれないのだ。


だからこそ
それは、ある側面の答えでしかなくて。

きっと

真ん中の中心になっている本当のことは
もっと別のことなのだろうと思う。


日々の生活習慣により長い年月をかけて

心と脳の連動という

人間性を作り上げる。


果たしてその生活習慣から生まれ出た人間性は
世のまともというのだろうか…。

人が自己の精神を省みずに
当然のように生きていたら
いつかきっと自分が辛い思いをすると思うのだ。

人にはがんばらなくちゃいけない容量があって、

その容量をサボっていたら

当然、後になってシワ寄せがくる。


だから

未来の自分が
今の自分よりも
少しだけ楽になるために

もう一度

当たり前ではない何かの芽を探すことは

今からの運命を変えていくことに繋がるもの。

……そんな風に思います。

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智と人間性

智の生かし方が「人間性」という評価のイメージをつくる一部になっていると、常々わたしは感じている。

今ここで私が言いたい智とは、本能により翻弄させられてしまう意識があるけど、そういった本能と感情が絡んだ状態に惑わされること無く、何が起点と成り、その状態が起こっているのかを見切ること。見切ったら、それらの状況に対して「自分はどう対処すべきか」という、その「自分はどう対処すべきか」という意味。

それと、更に付け加えるのであれば、どう対処すればよいのか。というその対処は、行動のみに専念することではなく、たとえどんなときでも「自分に嘘をつかない状態」からその後の言動と行動を決定するという意味での「対処」だよ。

大抵、人というものは、自分がなにを考えているのかを脳機能の高度な技によりすりかえられてしまうことが在る。それは、まるで騙し絵の一面しか捉えられない時の自分という感じかな。

そのために自分以外の相手を深く傷つけてしまう。その結果、傷つけられた相手から本気の優しさを引き出す事が出来なくて、自分が孤立していく。

孤立していくと、意固地になってしまうことがある。

その意固地になった状況は周りからの反感を買う。

まあ、悪循環だ。

というかさ、人が知らず知らずのうちに付いている嘘というのは思考癖に関与しているんだと私は考えているの。この思考癖が存在しているせいで、自分の運を最悪にしている。

だとしても、こういう書き方をされるとキレイ事に感じるかもしれないね。キレイ事ではないよ。キレイ事と感じた人は思考癖の問題。つまりそういう習慣で人の話を聞いてしまい、自分が大きく変化して昇華できるチャンスをみすみす逃していることが多いタイプだと思うよ。まあ、嫌味ではなく、思ったことをまんまで書いただけ。

自分のことを知るには、相手の気持ちを貪欲に知ること。それしかないの。
わからないままに曖昧にするから、曖昧な人生が返る。
そして、本気で助けて欲しい時に誰も居なくなったりもする。また、助けてくれると思っていた人に裏切られる。

けどね、こういった結果としての裏切りは、確かに相手の気質とかもある。だけれども、そればかりじゃないよ。そういう精神の悪を相手の心の中から引き出してしまった自分の「思い」ではなく、「言動と行動」の「自分が発した影響」だったりすることもあるからね。

まあ、ひとことでは書ききれない難しさはあるね。そう、智が繰り広げる人間性。
智とは知識を展開するものでもあるけど、でもね、知識のフォルダを全てばらし組み直しを繰り返していかないと本当の智にはなっていかないものだと思うよ。
なんていうか、智を発する度に、席替えが行なわれる感じかな。持っている知識も知恵もそのままなんだけど、瞬間々で席替えをする。その席替え自体が智という気がするよ。

まあ、人の評価が自分を最低のヤツにしたとしても、実際に最低のことをしてしまっていたとしても、それでもね、自分がどういう人間か理解してもらうためには智は大事だよね。
人生を楽して楽しくというなら別だけど、夢を追いかけている人なら、とても大切なことなんじゃないかとそう思うよ。

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プロフィール

HN:
軒龍卑(haruka)
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/11/06
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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