月夜に照らされた般若の面が、ほのかに青白く浮き立った。
月夜にぼんやりと映るその面は、腹いっぱいの笑いと明朗快活な気性を隠し持っているようにも見える。
陰(イン)の陰りが微塵も無いからこそ、より不気味さが滲み出ているのかもしれない。
手作りの般若面には技術者の命が吹き込まれ、新しい生命がこの世に贈り出されていく。
お前たち幸せになるんだよ。可愛がってもらえよ。
そう、心の中で念じ、世に贈り出す。
丁寧に包装された面は、我が子を嫁がせる気分と似ているのかもしれない。
面には魔力が宿る。そういった古代からの言い伝えがある。
日本刀も魔力が宿る。
それらの品々は命を削りこんだ作品たち。
それ故、つくりあげていく工程は子供の成長に値するのかもしれない。
時には投げ出したくなり、
時には目に入れても痛くないと思えるほどに愛情を持ち、
どうして俺の心を理解できないのだと無理強いしてみたくなったり、
そうした心の底から飛び出してくる叫びが、短くとも歴史になり、何れ、たわわに実った果実のように熟れていく。
熟れた果実を見つつ、そろそろ、嫁に出さないと…。そう、ポツリと考える。
嬉しいはずなのに、なんでだか、さみしさだけがあばら骨を通り抜けていく。まるで隙間風の出入りする屋敷のように。
私は女だから、父親には到底なれやしない。
だから、娘を嫁がせる父親の本心を腹いっぱいに知ることは不可能だ。
この世で娘を嫁がせた父親が、どれだけさみしい思いをしたのだろうと考えることがある。
男の人は、今も昔もプライドの生き物だとよく聞く。
実際、本当だなとも思う。
本当は娘に優しくしてあげたくて、優しい言葉を掛けてあげたくて――、
だけれども、口からついて出た言葉が、憎まれ口に姿を変えてしまうことがある。
言われた当の本人(娘)は、ちっとも優しくないし、思いやりの欠片さえも感じていなかったりする。
終いには、嫌味を言ってんのか、ケンカしたいなら買うぞ。といった冷たい反応をされたりもする(つか普通はしないよね。そんなことしたのは私ぐらいかも…)。
それだとしても、かわいいと思う気持ちも、優しい気持ちも、何ひとつ変わらずに、必死で言葉を続けている。
目の前の娘の目から涙が零れ落ちる。途端に、頭の中は大混乱。
ただ、ただ、かわいらしかっただけなのに。
ただ、ただ、一生懸命に優しくしたかっただけなのに。
父親が娘を嫁がせるということは、オヤジのけじめなのかもしれない。
俺の脚で良かったら持って行っていいぞと豪快に笑いながら言ってしまいそうだと感じる。
父の愛。
男の愛。
それは母とは違って、
女とは違って、
とてもでっかいなと感じます。
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