白月光
霊感から見た心理|白月光

白月光

あなたは本当の自分で生きてますか?

迷いの末に人が辿りつくのは人間性なのかもしれない

手放す事で自由を得ることもある。

だがしかし自由と引き換えに背負うものもあるはず。


それはたぶんにして最後は精神力とかそういうものとの勝負なわけで。


筋肉が付く時と同じで

もう限界と思う位置からちょっとだけがんばったら

その結末がどうあれ心の筋力も付くのだと思う。


けれども

直面している物事の行く末は、また別の話になる。


いわゆる直面している物事の最悪のリスクを覚悟できないのなら、簡単に手放してはいけない状況というのが存在することもある。


もうダメだと思っても、それでも、ただたんに(ダメだと)思うことではなく、
現実的に何をしたいのかという現実を前提にして考えなくてはいけない時がある・・・。


今が辛いとか苦しいとか無理だとしても、今以上のことかもしれないその最悪のリスクを「受け入れる自信が無いとか」あるいは「辛すぎて気持ちが分からないとか」なら、時に、今を生きることしか選べないこともあるのだと思います。

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思うことの果てのひとつ

分からないなら分かってもらわなくて良いと思う。

しかし現実は分かってもらわないことで

無駄に恨みを買うのかもしれない。

それはつまり、大切なナニカを守るために「分かってもらわなくても良い」という行動を選ぶのだけれど。

結局は大切なナニカを守れない結末を招く美化された意識であり

実際は美化されているというだけで「こう思う」という、思ったままの行動にしか過ぎない。

それゆえ、腹が決まったように思える爽やかな境地だとしても

もう一度考えることは大事なのだと思う。


また何分、意識が混濁したままや意識が不鮮明なまま生きていると

思っていることと考えていることの違い、つまり線引きが曖昧なのだと思う。


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除霊・呪術・霊感 占い軒龍卑 「致命的な結末は思考癖から」

誰かやナニカを知ろうとしないことで、運命が大きく変化することがあります。

知ろうとしないということは、案外、現実(物事そのもの)を軽く見ていることと共通しているもので。

それゆえ、人生での「致命傷ともなる軽率な行動(行為、発言など)を」結果的に取ってしまいやすい。


簡単に書いていますが、、、かなり根の深い話しをしています。


いわゆるこの場合の根幹とは「癖(くせ)」です。

癖とは言っても、考え方の癖。つまり思考癖のことです。


思考癖と言うからには、考えのパターン化が存在しているということになります。


考え方のパターン化の存在は、「変えないと変わらない」という脳の特徴があります。

・・・まあ、当たり前の説明のような気もしますが、一応、書いておきました^^;


「変えないと変わらない」こととは、本来、様々な方向性から事を起こすことも出来ますが、

それは専門家の知識が必要だったりもするポイントにもなります。


なので、いつもより「意識的にちょっと気にする」ことで、運命が窮地から救われることになるでしょう。


ただ、「運命が窮地から救われる」と書くとピンとこない?かもしれないですね。

要は、自分が「後に痛い目に合わずに済みますよ(または、大事にはならずに、とか)」ということです。



・・・人が人であるがゆえに物事を考える、それはとても大切なことだと思います。





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除霊・呪術・霊感 占い軒龍卑 「自分の中へ在るもの・煩悩」~欲というマグマ

人の欲は果てしなく終わる事が無い。

死しても尚、欲のままという事もある。


欲を持つ事はいけないのだろうか。

寺に入りお坊さんになるとか尼さんになるというのであれば、いけないことなのだろう。

けれどもどうだろう・・・

欲が醜く変化する時とは欲を抑えている気持ちがあったからこそなのでは?とも思う。

だからといって、欲全開で思うままに行動すれば時に犯罪となる事もある。

物事には限度というものがあるということを言いたいわけではなくて

いわゆる欲を出せる場所があれば良いのだと思う。

その場合なにも思い描いた欲丸出しじゃなくても、打ち込めるナニカなら良いんじゃないかと。


欲は抑え込み消してしまうから人の匂いが薄くなる。

欲は転化の仕方が大切なだけで、転化をうまく繋げていければいずれマグマのように吹き上がる様々な欲も鎮静していくもの。

欲って心のマグマなんだと思う。

欲を抑え込むってことは火山口へ強靭なフタをしているようなもので。
フタが強靭であればあるほどマグマが噴出する威力は半端ないはず。

出てくるものを無理やり押し込めるという事は自然の摂理に反するのだから、いわゆる巨大な天災がいつどんなふうに起こってもおかしくはないわけで。

集中出来る事と欲ってイコールだったりする。

集中出来る事をやっていくと欲というマグマは鎮静化する。
なぜなら集中出来る事をした分だけマグマは消えてしまうから。心的に正しい消化の仕方。


ただこうした欲との向き合い方は宗教的には非難されると思う。

それでも誰もが欲と向き合い格闘できるだけの精神を持ち合わせているわけじゃないし、それに結果的に欲というマグマがその分消化されていくのであればそれで良いのだと思う。

それ以上の世界へ精神を踏み入れたいのであれば、話しはまた別というだけで。


マグマって欲だと言ったけど・・・

結局はhttp://lovepeaceworld.blog.shinobi.jp/Entry/2174/ ここでの記事へ書いた「悪い気持ちの根っこの事」なのです。悪い気持ちは小さな噴火みたいなもので。

根っこになっているマグマ(欲)も小さな噴火を繰り返している悪い気持ちも

結局は心の目がそうさせているんです。

つまり幻の現実を、見せてしまう、見せられてしまう「正体」というのがあります。すなわち生まれてからの過程により学んだ物事の捉え方の事です。


前に流行った脳科学の話ではなく、ただの現実の話をしているだけなのですが、分かる人と分からない人、分かったつもりで居る人に分かれると思います。


ただそうした「正体」を暴く事に専念して記事を書いてもいいのですが、さっきも書いたように誰もが欲と向き合い格闘できるだけの精神を持ち合わせているわけじゃないわけですし、それに厳しいことだけが正しいわけではないと思うのです。


それゆえ難しい事を今は書くつもりはないので、地下に潜った正体を暴くような話しは気が向いたら書こうと思います。ただ現在メルマガを発行しているのでそちらの方にはそれなりのことを流していく予定です。



さて

欲とは果てしないものだけれど集中できるという食物を与える事で満足します。

逆に集中出来るもの以外の「欲へ与える食物は無い」のです。

欲が示す通りの何物かを与えられ満足する。しかし満足したと思うのはただの一時でしかなく、すぐに飢えを感じます。それも酷くエネルギーを消費したような飢えを感じるはずです。
いわゆる餓鬼感ですね。

餓鬼感を感じるのは当然です。欲は求めているものを得たとしても、心の底で渇望している「目的」が異なるのですから「目的達成後の餓鬼感は」必然だと言えます。
だからこそ「人の欲は果てしない」といわれるのでしょうね。そのいわれに説明をつけておいてくれていれば、欲に対する誤解もここまではなかったんじゃないのかなと思いますけど。

また、心の底で渇望している「目的」ですが、生まれてからの過程により学んだ物事の捉え方の始点で「欲の根底が目的」となります。つまりまやかしの現実を見せる「微動だにしない一点の」ことです。

この一点についての深い話しはとりあえずやめておきます。


人は自然の産物なのでしょう。自然に反する事をすると心が痛みます。時に体も痛みます。

人にとって自然な事を受け入れる事は正常な範囲なのだと思います。

少しだけ幼稚園児の柔軟性を見習ってみるのも良いのかなと思います。


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除霊・呪術・霊感 占い軒龍卑 「自分の中へ在るもの」~信念

人の苦しみは本当は存在しないという。

人の迷いも存在しないという。

なら、今ここに在る苦しみと迷いは何者なのかと思う。その疑問は当たり前のことだと思う。


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苦しみも迷いも実は自分が作り出している世界から物事を見てしまうことで発生してしまうのです。

だからどうすれば楽になるの?と思う。
何をしたら楽になるの?この状況から抜け出せるの?と思う。

精神を鍛錬し、たとえ苦しみと迷いが無くなっても、楽にもならないし抜け出せもしない。

ただ違いがあるとすれば、食べ物を食べた時の味覚異常が治ったようなもの。

苦いものは苦く、甘いものは甘く、酸っぱいものは酸っぱく。ただただそれぞれの味が分かるように在りのままを受け入れるようになるだけの事。

たぶんそれまでは、味音痴か味覚異常で食べ物の味を把握できなかっただけなのだろうと思う。




物事を正しく見る心は常に自分の中へ在る。

それはつまり波ひとつ打たず微動だにしない心の水面が、心を正しく見える位置へと誘導してくれる。


ゆえに悩みは問題へ苦しみは受け入れる姿勢へ迷いは方法や手段へと変化していくものでしかないと、そう思います。



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除霊・呪術・霊感 占い軒龍卑 「自分の中へ在るもの」~思い込みという病


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心の中へ存在している俗に言う悪い気持ち。

その悪い気持ちはまるで大自然の草木のようにどこからでも生えてくる。

取り除いても取り除いてもこれでもかというくらい切り目無く生えてくる。

自然の摂理と言ってしまえばそこまでなのだろうと思う。なんせ地球は生きているのだから。


しかし悪い気持ちの種子は壊滅する事はできる。


なぜなら

思い込みが種子をつくりあげ

思い込みが草木を育て

思い込みだけで世界観をつくり

思い込みによりつくりあげた世界で生き

思い込みの全てが更なる草木の肥料となっている。

つまり架空の場所、架空の自分、そうしたものがこの世の全てであり自分であると疑いもせずに生き
そしてつくりあげた架空を対象にもがき苦しんでいる・・・。

無いものを実在しているようにして生きている。

だから・・本当は悪い気持ちの種子は壊滅する事はできる、はず。




人が生まれて生きてきた過程の中で身についた、思考。思い込み。

湧き上がる種子たち。妬み、嫉み、怒り、貪り・・いわゆるキリの無い欲たち。無意識。

頭脳という便利な消しゴムは無意識を消す。キレイニナル。

それでも気が付くと湧き上がる悪い気持ちの種子たち。

種子のもとは思い込み。



ちょっと勉強不足で心理学用語でなんと言うのか分からないけれど、これら思い込みは人間である限り必然的にかかる心の病。

この心の病を心理学ではなんというのだろう・・・。


病のまま死を受け入れる者も居れば

完治する者も居る。またその中間も居る。

おそらくこの世の(少なく見ても)98%の人間は、病のまま死を受け入れている。
(実際は100人中、2人という多い割合にはならないはず。もっと言えば100人居て1人も居ない、かと)


もしかしたら病のままが当たり前に人だ、と、心理学では言うかもしれない。
案外、病を基準に心理学が発達しているかもしれない。




だとしたら




この世はなんなのだろうと思う。

多くの人の心はどこへ向かへばいいのだろうと思う。

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時代に関する考察~時代から抜け出せない事による後遺症と、時代から抜け切れない事で身近な人間を傷つけてしまう事について

関連記事 生きた化石といわれる根源についての考察


(タイトル 時代から抜け出せない事による後遺症について)

無責任の基盤があり

無責任の基盤の、その上へ責任という状況をつくる。

それって、筋が通るわけの無い話し。


けれど

日本人がなのか、

時代背景的になのか、

そうした屁理屈を正当化した話しはごろごろしてる。


そして世の中には

基本的に間違った考えを
間違っているのにも関わらず
「正しいもの」としてすり込みをする行為がある。

それは会社であったり、学校であったり、家庭であったり、様々な事柄があると思う。

そして、間違った物事を正しいものとして言われ続けると

全てではないけれど、

多くの場合、

人の神経はおかしくなってしまうもので。



つまり、この歪んだ時代に必要なのは「正しい心の目」であり、

正しい心の目が無いと、心が汚染されてしまうと思う。



また、間違っている事は間違っているし、正しい事は正しいはずなのに、

そういう当たり前の事が分からなくなってしまうほど、この世は混迷してて・・

見捨てられた心がたくさん浮遊しているように思えてしまう。



人は、どの時代とか関係なく、時代を走り抜けて今という時を迎えている。

そして、時代の最先端があり、時代の最先端とはある意味、何も見えていない被害者的な傾向があると思う。

それは、たとえばだけど、今の時代でイケてるという意味での最先端の人間が、大人から見て心が痛んでないのか?というのと一緒なんだと思う。ちょっと、これは心理学的な要素を踏まえているから、その道の人じゃないと、少し分かりづらいかもしれないですね。
ただ、言いたいのは、前を走る者は後ろを見ないので全体が見えづらいという事です。

さて、その最先端の被害者的傾向を含んだまま、世の中を歩いて行った場合、自分が最先端ではなくなっても、最先端という意識は変わらなかったりする事もあります。つまり、前を走りすぎて周りが見えない分、考える事の短絡化とか、ある種の幼稚さを含んだまま大人になっていく事も可能性としてはあるという事です。

これは先にも言いましたが、どの時代だったとしても同じような事は言えるのではないかと思います。


これって、最先端を走っていた人だけが陥るツボというよりも、

たとえばですが、
最先端を走っている人のツボが70%
中間の人のツボが50%
低めの人のツボが30%

というように、単に割合が違ってくるというだけなんじゃないのかなと思います。

結局、その一定期間の若い時の時代のような波をくぐった後の後遺症のようなものは、どの時代を生きていてもあるんじゃないのかなって思うんです。

それも最先端を走った人ほど、後遺症が大きいんじゃないのかなって。

そういうのって、親子間だと日常過ぎて気が付かない事ってあると思うんです。
特に友達親子的な関係だと余計に。


(タイトル 時代から抜け切れない事で身近な人間を傷つけてしまう事について)

ましてや自分の子供がまだ小学生とかで、子供の事で友達関係のいざこざがあった場合、
今の時代というその子たちの象徴となる時代背景を知らないで、
自分の価値観で物を言いすぎると子供の心は孤立してしまうもので。

簡単に言うと、仮に自分が子供だったとして、「遠足に使うリュックを新しくしたい」と言っても「まだ使えるでしょ」という答えが返ってくる的な話です。

確かに次々に物を買い与えるのは教育上良くないけれど、「なぜ欲しいのか」という理由に「時代背景の」ヒントがあるというか・・・
(ちなみに何でも買い与えた方が良いですよという方向での話しではなく、あくまでも時代背景の事です)
単に、○○ちゃんも持ってるから、という答えだったとしても、それって、大人が10年も前の流行の物や服を何かの行事の際に着るとしたら抵抗があるっていうのと一緒なんじゃないかなって思うんですよね。

まあ、この話しは自分の若かりし頃の時代から抜けれない場合のひとつの例ですけどね。



たんに時代とはいっても、今生きているのも時代ですから、いろいろ考えて生きていかないと本当にたくさんの人を気付付けすぎてしまうという結果に成りかねないとも思い、この記事を書いてみました。





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原因や経過、動機などを見ずに「結果」だけを見る事を「結果論」と言います。

また「結果」とは、原因や行為から生じた結末を示します。


そして今回のテーマは「結果」ではなく、「結果論」についてです。

結果論、つまり「○○になる」というような想像により、事を起こす以前から諦める事や、また希望的観測からの「今度から○○しようと思う」的な「約束を破るための前置き」。
こういう思考は実際、必要なのでしょうか?

人は人である以上、自分の行動内でしか物事を進めていく事はできません。

見えない力が働き奇跡が起きたというこぼれ話的な事はどうあれ、自分だけの力などたかだか知れているわけで、すなわち、「結果論」という単なる結末でしかない「人の力ではどうにもならない事をどうこう言う」前に、人は人としてやろうとした事をただただ遂行する他に道はないのだから、「結果論」に捉われてしまうのはどうでしょうか。

物事の通りの上に人は存在しているだけなのではないのかと、ただただ思います。



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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
55
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女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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