白月光
霊感から見た心理|呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

あなたは本当の自分で生きてますか?

現実と向き合っていない、その瞬間の話し



自分を嘲笑する意味でとても嫌なことを言われた。


自分はその通り(嘲笑に値したという意味)の人間だと、自分を卑下し、相手と一緒になって大笑いをした。



しかし本当はそんなことなどひとつも思ってない。
◎歪み、捻くれ。または深い恨み。



*******


ノリで、そんなヤツと離婚してしまえば~!と言われた。


また、こうも言われた。


そんなダサくて、どうしようもないだんな(或いは奥さん)と、なんで一緒に居るのよ(爆笑)
◎瞬間的な気負い。または無駄なプライド。そして結果とて、興 奮 し た 脳 。



その言葉の裏を返せば、ダサくて、どうしようもないだんなを好きな私ということになる。みじめな自分。
◎結果的に自己非定。




すなわちダサくて、どうしようもない人と一緒に居る私も、ダサくて、どうしようもない私いう意味にもなる。
◎屈辱!結果、興奮した脳が攻撃性を持つ。



だから私は言った。



仕方ないんだよねえ、1人じゃ金銭的にやっていけないし~(笑)と。
◎屈辱が消え優越感。まやかしの至福。


結局、いかにだんなが人としてダメなのかという悪口をいい、爆笑話のネタにした。
◎自虐行為。心に対する自傷行為。仮面の厚塗り。



*******



こうした瞬間が 現 実 と 向 き 合 っ て い な い 時 です。








いわゆる、 た だ の 嘘 吐 き です。








現実と向き合わないということは、現実逃避へと結果的に繋がっていく場合があります。



普段の自分の行動とは、振り返ってみないとなかなか分からないもの。そういうものかと…。

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人は初めから最後まで独りのはず~それが現実


いきなり核心から。





外部からの侵入者が存在すると、そう認めているのは、自分の中の気持ち。


実際の現実では、見せたくない自分が暴かれたような気がして、瞬間的に隠そうとする。





*******



変な例えをすると、駅の階段で転び恥かしくなり、逃げるようにその場を去る、その瞬間のようなもの。
周りの好奇な視線が自分の中で起こっている出来事みたいに感じる。


しかし、自分の中で起こっているように感じる感覚は、自分の思い込み。事実ではなく、主観。
または現実と気持ちが同化したように感じ、現実の区別がつかなくなるような感覚。


けど事実は違う。



*******



あ、あの人転んだW (お笑いのテレビを見ているかのごとく、密かに笑えてしまう)

ああ、痛そう……(本気で)

ふん、ざまあみろ!(普段のストレスを現状の弱者に対し、ぶちまける系)

大丈夫かなあ……(所詮、他人事)


まあ、傍観者は好き勝手なことを思い巡らせている。でも、ただそれだけのこと。



*******



この時の抹消したくなる感覚が、


外部からの侵入者が存在すると、そう認めている自分の中の、気持ち。
ということになります。



だからこそ、侵入者(さっきのたとえだと、転んだ私)を排除しようとする。






ではなぜ、転んだ私を排除する必要があるのか………。








いや、転んだ私を排除する必要?というよりも、






転んだ後に、屈辱を感じ、 屈 辱 を 受 け た 自 分 は、許せないわけですよね。


すなわち、許せない気持ちとは、自分の中で発生していること……。




*******




だとすると、好奇な目で見られたことは事実であるけれど、今の現実では無いわけで。

同時に、今現在の状況で傷ついているという事柄が、理論的な意味で筋道がおかしくなってくるはず。




いや、しかし……

「でも、現に私は好奇な目で見られ傷ついているのに!」

と思っているとしても、 本 物 の 傷 か ど う か ? という疑問が残ります。






好奇な視線を受け、傷が付いたことにしてしまえば、好奇な視線のせいで受けた 屈 辱 は、和らぐはず。



好奇な視線<屈辱<心の傷




初めのキッカケのものよりも、痛い。または、悪い。という結果をだしてしまえば、


傷ついたのはあいつ等のせいだ

自分が○○なのは、仕方が無い

○○があったから、■■になったんだ


なんて、幾らでも言い訳が付いてくる。言い訳は誤魔化しでもあるかと……。








だから痛みが和らぐ。







そうした脳のトリックを暴き、初めて、自然な状態が現れるもの。

自然な状態は、案外、荒れ放題かもしれないし、とてもキレイかもしれない。





心は心の摂理にのっとり、あなたの知らないところで動いているわけで。


自然の法則=心の法則

これは不動の定義かと思いますよ。




*******




なので、なぜ、自分の中で発生した新たな気持ちを排除する必要があるのか?ということです。




もっと言えば、本当に排除しなくてはいけないのか?ということ。






この時の な ぜ を考察(明らかにするために、よく考え、調べることを)してくことで



気付きが生まれます。


結局、自分が何を考え何を感じているのか、ということを現地点よりも深く掘り下げるようなもの。





その答えは1人1人違います。当たり前か……。





*******



自分の中に在ると仮定している、侵入者。

それが自分自身だと、気が付かないことが多いもの。









侵入者を排除するということは、自分の一部を排除するというのと同じわけで。


転んだ後に、屈辱を感じ、 屈 辱 を 受 け た 自 分 は、許せないわけですよね。すなわち、許せない気持ちとは、自分の中で発生していること。


ということは、

自分の気持ち=侵入者

となるので、自分を拒否または排除している(あるいは、しようとしている)となります。
 








また、侵入者を排除しようと思っている段階で、 主 観 を 現 実 だ と思い込んでいたりするもの。



自分の中での現実と、現実は、違います。








自分を裏切らないというのは、まずは考えることから始るものだと思います。




だからこそ、本当のことを今の自分が分かる範囲で学んでいくことが必要なんじゃないかと。

本当のことというのは、普遍のものであり、唯一無二のことかと、そう考えています。




現実と主観の区別。
現実を知り、本当の自分で生きていくためにはとても肝心なことかなと、思います。

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人の本質についての話し


那智の滝。行く機会を目前にし逃してしまったけれど、きっと素晴らしいところだろうと思う。

ka_085.jpg







※ 那智の滝の画像はフリー素材屋Hoshinoさんから、お借りしました。


環境汚染や酸性雨などの影響で、那智の滝も影響を受けているのだろうか。

もし仮に影響を受けていたとしても、雄大な自然の摂理が、汚染を飲み込んでしまう気がする。


それって人の気持ちと似ている、いや、似ているのは気持ちではなくて本質なのかなと思う。

気持ちの中へ、外部から汚染された何かがくる。
だから構えをとり体を硬くする、のが人工的な自然。

気持ちの中へ、外部から汚染された何かがくる。
存在を認め、後に放置する、のが自然。


人工的な自然は、公園、植物、道路など様々なものを増やし、自然風に見立てる。また、落ち葉なんかが散らかった汚い状況に我慢できず、さっさと排除するかもしれない。たとえ落ち葉が自分の分身だったとしても…。


本来の自然は、自然の摂理にのっとり悠悠と構えている。滅びることも、草木が生い茂ることも、自然の法則に任せたまま時は過ぎる。



人そのものとは、汚くもあり、美しくもある。



落ち葉が増え、汚く醜い? そんな大自然の環境の中で、何がいけないのだろう。
落ち葉は汚くも醜くくもないはず。ちゃんと自分の役に立ってくれている。


仮に落ち葉が、傷つき、後に鬼に豹変した自分だったとしても。それでも、大自然は受け入れてくれるもの。
邪魔にしたりなんかしない。


in_034.jpg






※ 画像はフリー素材屋Hoshinoさんから、お借りしました。



第一、傷ついた自分も、鬼に豹変した自分も、自分以外の何者でもないのだから。




落ち葉は決して異物ではないのです。我が身、すなわち山そのもの。







環境破壊、それは自分で止められるもの。気付きと共に。

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気負いと同調する股関節の硬さ




[高画質で再生] 股関節ストレッチ

http://video.fc2.com/content/3.%E8%82%A1%E9%96%A2%E7%AF%80%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%81/20100307ER1gRLUD/
(たぶん携帯からのアクセスは無理かと…)

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携帯専用の人向けに、股関節の開き方を紹介しておきます。

1 床に足を伸ばして座る。

2 足の裏同士を合わせる。

3 2を股へ(できるだけ)近づける(あぐらが開いたような感じ?)

4 膝を床につける(努力をする)。無理はしないこと。

※ 4の時に、膝を両手で床へ押しながら、お辞儀をするように屈むと
割と床に着きやすいです。

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股関節の硬さは緊張の根源になっています。

そして股関節の硬さは、チャクラの開花や、本当の自分と出会うための妨げとなります。

また、精神と肉体は繋がっているので
体の構えは、心の構えにもなります。すなわち気負いですね。

気負いがあると仮に精神で準備が整っていても、肉体の硬さが邪魔をし、チャクラの開花は勿論ですが、本当の自分で生きることが困難になります。



気負い。つまり初めから気が負けている、その状態かと。
負けているとどこかで自覚しているから、実力以上に見せようと力が入る。そういうものではと思いますよ。




それから肉体と精神の流れの中心。その多くの割合を支配しているのが股関節です。



リンクした動画は、普段、私が薦めている股関節の開き方とほぼ変わらないです。
なのでリンクさせていただきました。

動画の投稿者はYUZUさんです。


ついでなんで書き留めておきますが、気功等でお尻の穴をシメル方法が在りますが、私は反対派で、お尻の穴は緩めていないと血の巡りも精神の巡りも滞るかと、そう考える方です。


お尻の穴をシメルのは、何かに対する構えに値するかと。


それは僅かな隙をつくるものと見ています。


隙だらけは隙が無い。そういうものではと考えています。


ただ、気功を冒涜する意味ではなく、比較の対象としてのたとえであげたまでのこと。誤解しないでください。




股関節。普段、使わない機会が多いだけに結構な割合の人が硬いのではないでしょうか。

毎日少しずつやっていけば、膝が床にペタンってつきますよ。ただし、股関節に何らかの支障が在る場合を除いてということになりますけど。


実践したからといって、股関節が開いた瞬間から人生が変わりますとか、そんなことはないです。実感としたら、せいぜい頭の回転がいつもより調子良く回るなと感じる程度かもしれません。

実感はどうあれ、股関節が開いた状態を維持していると、霊感で見た場合、大きな変化が根底で起こっていることも在ります。いわゆる眠っていた可能性を表現できるチャンスというところですね。

正直、チャンスというだけで活かしかたを間違えてしまえば意味はなくなりますが、だとしてもチャンスという事実は変わらないでしょう。

また、誤解の無いように書いておきますが
あなたの持って生まれた宿命の中での、チャンスということ。同時にあなたが抱えている心理的な絡みが、どの程度かによりチャンスの割合も大きく変わります。場合によっては可能性がゼロか、ゼロに近いこともあるでしょう。


なぜなら、股関節が肉体と精神の全てを支配しているのではないのですから。
すなわち、股関節は肉体と精神の多くの割合を支配しているが、肉体と精神の全てを支配しているわけではないということ。




まあ、なにはどうあれ、気になるようでしたら試してみてください。思い立ったら吉日とか^^

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あなたの中の現実と本当の現実~生き方


1番大切な誰かに、または1番大切な人たちに、好かれようとする必要は無いと思う。




こうしてもらいたいという願望は、時として目的となる。


たとえば、それが好かれたいということだとして考えてみる。


好かれたいと思う人が結果的に何を得るのか。何も得ることはできない。




しいていうなら媚(こび)を売るという結果になってしまうのが割合的に多い。




それが純粋に好かれたいと思って行動したとしても、結果は結果でしかない。


すなわち、絶対に裏切りたくないのではなく、好かれたいのだから、感情に対するツメが甘いわけで。
なぜ好かれたいのかという気持ちの、更に奥深くを見極めていないということになる。

結局、曖昧な目的と化してしまったということ。

曖昧な目的に対し、明確になった つ も り の行動は、ひとり歩きをする。そしていずれ暴走する。
暴走するのは現実の中での、暴走。あなたの中ではソノ地点ではまだ旨くいっていると思い込んでいるはず。



誤解の無いように書いておくけど、好かれたいという思いは自然な感情。

人として当たり前の気持ち。



ソノ感情を剥き出しにするのが子供、或いはアダルトチルドレン。好かれたい、ソノ気持ちのままに目的を絞ることを示す。






しかし大人は違う。



好かれたいというのは、目的にするものではなく、結果があって初めて可能性が出でくる事柄です。





好かれたいというのは、結果的に打算になってしまう割合が多い。
汚いやつ。そう思われることもある。



また、事実としても同じ意味が言える。



そしてこうした事例は、男女間だけではなく、家族間でも、家族以外の対人関係でも、同じことが言える。いわゆる汚い大人。家族ごっこなどなど。





子供の頃に大嫌いだった、特定の大人。




子供に嫌われる大人、割合的に多いのが嘘吐き。たいていがキレイ事。いわゆる理想論を基盤にしていること自体が、子供(または誰か)を裏切っている。すなわち非現実で生きているということ。





理想論>気持ち=非現実

この場合
理想論=嘘+事実+欲望

またこうも言える場合もあります
理想論=虚勢(嘘+事実+欲望)



そして



理想論<気持ち=現実

この場合
理想論=本心+謙虚+祈り(または、それに近い心理)




現実としての基盤が崩れると、人は簡単に現実から離脱します。


精神が蝕まれ、或いは精神のシステムに誤作動を生じ、そのバランスを取るための代理の何かで穴埋めをします。

ソノ穴埋めは、代理の中身が代わっても継続させなくてはいけない事柄となります。場合によっては依存症を招くこともあるでしょう。





気持ちの込め方が人間性の基盤をつくります。




遺伝がどうだったとしても


後天的に何かが現れたとしても


それでもそれがあなたそのものであり


ソノ中で気持ちを込めて生きることが人間性を良い意味で変化させていくもの。




人が人として生を全うする。それを可能にするのは、あなたの気持ちの込め方次第だと思います。

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不倫や浮気をしてしまう原因~ある側面からの考察

 不倫や浮気について、あなたはどう考えますか。
人それぞれ答えは違っていると思います。

運命の人に会うのが遅すぎた。

赤い糸はこの相手と結ばれているのでは…。

或いは、

配偶者や恋人から受けた仕打ちを忘れられず、未だにトラウマとなってフラッシュバックする。


他には


自分には他人事です。

なんて、意見も考えも生き方も様々だと思います。


******

不倫や浮気をした場合、裏切りですよね。
相手にばれたら最悪はソレまでの関係が全て終わりということになります。
いや、そんなことは誰もが知っていること。

不倫や浮気とは薬に溺れている、薬物中毒のような状態と似ている。
在る意味、恋愛も同じようなことが言えると思う。

充たされない何かを不倫相手、または浮気相手で充たそうとする。

自分の心の一部分の欠損や、トラウマ、さみしさなどなど、裏切る側の其々の理由が明確に存在し、そして行動に移した時点で不倫や浮気という事実が成り立つ。

すなわち、配偶者や恋人の、一部分の代変え。

式にすると…

(A)配偶者Lv5 + (B)不倫(浮気)相手Lv3 =(A)+(B)で、理想の恋人= 自分の理想に近い、愛された自分LV8
(Lv=レベル)

自分の理想に近い、愛された自分=程ほどに充たされバランスが取れたような精神状態=Lv8



更に


Lv8=コンプレックス(あるいは弱点など)に対し、自信が持てた自分


そして、それらは錯覚の自信であり、また、自分の中ではコンプレックスなどを克服したような気持ちになっているだけ。


なので、本当の自分自身はある種の恐怖を覚える。
完璧になった(または、程ほどに良くなった)自分が波にさらわれるごとく消えてしまうような、喪失感が押し寄せてくる。

ソノ辺りで、おそらく恋愛に関するホルモンの影響を強く受ける可能性が高いかと思う。
すなわち、ホルモンにより喪失感をかき消し、不倫や浮気の促進を促されるんじゃないかと思うのです。


だけれども、これらは現実逃避。


内面に大きな闇を持っていても、小さな闇を持っていても、現実逃避は現実逃避以外の何者でも無いです。


*******


逃避癖のある人は、それらを霊的なものと接続してしまう割合も多々あります。

霊的なものの代表といえば、縁。赤い糸。

縁とはそんなキレイなイメージのものとは違います。
生き物に操られたふたりというような状態です。

天然の呪術に掛かったふたりというところでしょうか。

あくまでも、呪術に 掛 か っ た ということです。

もともと繋がっていたとしても、掛かったことには変わりが無いです。
繋がっていた過去世と、現世(現段階)で縁が繋がるというのは、関連が在るように思えますが、実際は関係ないです。


******


結論から言えば、不倫や浮気をするというのは嘘の現実であり、自信の無さの穴埋めです。

その自信の無さに言い訳をつける。
言い訳とは、たとえば縁もそうだけど、性欲がとか、○○が■■だったからとか、いわゆる屁理屈ですね。屁理屈とは辿り続けたら嘘に繋がるはずです。

なぜなら事実を交えたとしても、事実では無いものが混じり、真実を言い換えるわけで。

なので、最後はやはり嘘ですよね。


結局、不倫も浮気も現実逃避であり、更にその奥を追及していくと、自分で自分自身を騙している。






つまり……


自分に嘘を付き続けて生きているということが現実的な根源、だと。






と同時に、不倫や浮気とは、充たされたような架空の心理面を故意に創作した状態。


精神のバランスを、自己の中の理想の完璧により近づけるための、作業。


しかしこれらは、偽りの自信であり、偽りの現実となる。


バランスを取り続けるには不倫と浮気を繰り返さなくてはいけない。人によっては強迫観念にも似た精神状態。全ては逃避を決行するため。更に言うならば、本当の自分自身を表に出さないために人を欺き続けなくてはいけない。


言葉を変えれば、心の闇を充たすために誰かを犠牲にしている状態。これも事実かと。
仮に事実だとしても、否定としての意味では無いです。意見ではなく事実としての話し。


******


浮気された立場の人は、その痛い部分が何か、ふたりの間で話しが足りているのかなど検討するポイントが課題だと思います。
それだとしても続けていくつもりなら、という未来的な目標が無ければ意味は無いですけどね。


そして不倫や浮気をしている人は、自分を客観視するチャンスなのかもしれないですし。



また立場がどうだったとしても、
相手の立場になって物事を考えようと思う気持ちは大切だと思います。



本当の自分で勝負の出来ない人生とは空虚だと思うのです。

自分を見つめ考えること、それはとても大切なことだし、人は自分を理解した分しか自分以外の人間を理解できないもの。


立場がどうだったとしても、自分のために考えてみることも時には必要なんじゃないかなと……。なぜそうなるのかということを。





※ ここに書いた記事は、霊感で常日頃から見えていることです。そしてそれらの統計的に多い部分から書き出したものです。

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プロフィール

HN:
軒龍卑(haruka)
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/11/06
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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