白月光
今繋がっているあなたに贈る言葉|呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

あなたは本当の自分で生きてますか?

まねきねこだっくの替え唄―感謝の気持ち

今年の感謝の気持ちを唄にしました

あと僅かで今年も終わりを迎えます。
どうぞ善き新年をお迎えください


3曲目が替え唄です
携帯は、3曲目から開始されます

ポチッ

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無関心という状態

言葉と言葉が通い合っても

心と心がすれ違っている気がするのは何故なのだろう。


意味的に、理屈的に。
そういう意味ではしっかりと噛んでいる。

でも

どこか遠くて。

その距離は埋まることのない、永遠の何かを感じたりする。

それが、とても身近な人だったりすると
何のために、こんな話をする必要があったのだろうとか思う。

ましてや

心ここに在らず。

なんて、そんな状況の人間を相手にしていたら
藁で水を汲もうとしているのと一緒だよねと思ってしまう。


人はたくさんのものとか、人や何かの存在など様々な物事に依存する。
それは遺伝子レベルから考えたとしても仕方ないことかもしれないと、たとえ理不尽だとしても何とか自分の心をなだめることはできるかもしれない。

けれども

依存がはなはだしい状態で

心ここにあらず。

つまり、常に依存の対象へは、心の全身全霊を傾けることがてきる。
また、仮に体が他のことをしていたとしても、心が依存対象以外に存在しない。

結局、心が飛んでいる状態を目の当たりにするというのは、
限度も在るけどウンザリするものだ。


川の水が少しだけ向きを変えるような
ちっぽけな水圧が
何時しか亀裂となり修復ができなくなることも在るのだと

まあ、そういった最悪も心に留めておこうと思う。

そして、そういう意味での無関心は
ある種モラハラの一部なのではないのだろうかとも思う。

…そういえば
モラハラの記事を書いてないですね。
書いてねといわれ
書いていないです。

………。

忘れてはいないので
気長にお待ちください。

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おもちゃ箱の住人

日の当たる、心有る。そんな位置から声を出す。

人に触れ

信頼を得。

心を通わす。


だけれども、その位置は幻想だったりする。
本人は、理想の自分を望み、また、演じ続けているだけだということを知らない。

それなのに

僕のこの気持ちにキミはこれだけの感謝をする必要性が在るんだよと
現実から離脱し妄想寄りの考えを持ったりする。


中身の中心がまるで風船なのに、何に感謝するのだろう。
理想ごっこに付き合う意味など、どこにも無い。

でも
何も心を返さないで居ると、敵視してくる。

全ての元凶がキミに在るんだよと。
キミの不誠実な心に在るんだよと…。

そんな風に慰めと慈愛に満ちた眼差しでものをいう。

ナルシストというには程遠く。

理想ごっこのおもちゃ箱から出られなくなった大人子供なんだと…。


そんな人がたくさん増えているように思う。


だとしても、この世はどんな人と触れ合うかなんて分からなくて。
だから、そういう人と出会って傷ついたとしても、

それでも生きていないといけなくて。

だからこそ、自分自身の心の目がもっと見えるようになったら
たとえ、受け入れたくない気持ちは変わらなかったとしても
今のこの時のような嫌悪感はないかもしれないねと思ったりもします。

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光り



嫌なことばかりは続かない。

悪いことばかりは続かない。


暗く沈んだ闇の後には
きっと
朝日が昇るものだと思うのです。

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届くかなぁ……

嫉妬。それって狂ってしまいそうになることもある。

嫉妬自体が凶器になってしまうこともある。


嫉妬することは
当たり前の感覚なんだと思う。

熱い、冷め気味、そういうのも含めて原始的な感情の因子でしょと思うの。


たとえば、こういうことってないかな
以前の嫉妬と、今回の嫉妬とでは、大幅に心の温度が違っていて。
しかも、今回はやけに冷静。なんてこと、ない?!

あの感覚って

一歩間違うと、自分が発狂寸前の「静の」状態になったと思ったりする可能性ってあると思うのね。

こう、心が破壊されて、事実がイヤ過ぎて頭がおかしくなった的な。


でもね、全ての人が該当するわけじゃないんだけど、場合によっては、発狂寸前ではないこともあるんだよね。


なんて言ったらいいかな……。


そうだねえ………。

□ 相手のことを本気で愛しているから、愛の強さに自信を持った。

□ 自分がどれだけ愛しているかという事実を知った。

□ 相手への愛情が、愛という核の部分へ侵入したために、自分以外の人間の愛情がしょぼく見えた。

まあ、こんな感じの程度と同じような“愛の炎”を自覚した場合、動ではなく静の愛が流れることが在るんだよね。


つまり、ごうごうと勢い良く燃え盛り、その火が風向きによって至るところに火災を起こすような、動ではなく。

炎なんて見えないのに、水をかけたら水のほうが蒸発してしまうような、静の愛。

これは愛に芯を持った時に発生するの。

要は、発狂寸前とかじゃなくて。本当の愛を知ったことで自動的に起こる、自分の愛が本当だという不動の自信。これが、発狂寸前だと勘違いしてしまうことがあるんだよということなんです。

だから、そういう時に狂ったとか考えるんじゃなく。自分の愛が本物だということをまず先に理解した方が、その後の嫉妬も異なってくるし、異なることで、今の状態よりも少しだけ気が楽になることがあるんだよね。


本物の愛。

体験せずに死を迎え入れる人もいる。

そんな中、愛の本当を知ることができた人は素敵なことだと思うんですよね。

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依存と巷の依存と

依存。その言葉をここ数ヶ月はよく目にする。
特に本屋好きの私は目にする回数が多いかもしれない。

依存の原因ってさ

お母さんのお腹から出てくるのが早かったのか、
あるいは、他に原因があるのか。

まあ、そんなところだよね。


人は生まれると依存から入ると思うよ。
お母さんの愛を欲しがる。
お母さんからの栄養を欲しがる。
寝ても覚めてもお母さんみたいな。

でもさ

まずは母親への依存。
その心理がよく理解できる気がする。

依存して

依存して

依存して

その結果

満たされる。


満たされるから安心する。

だからこそ誰かへの愛を奉げられる。
自己愛も歪まなくなる。


人が人として生まれた最初の原型が依存なのだから
大人になったからといって依存の原型は変わらないと思うんだよね。

たださ、そうだとしてもね。
依存の仕方が、愛を吐き出せたり吸収できる環境に居るか居ないかによって
世で言う依存に該当してるのかどうかってだけでしょと思える。

つまり
何でも形(たとえば、依存という言葉)がないと不安になるという人間の心理を旨く使っているだけだよねって。
あ、世の中に溢れている情報がっていう意味。


つかさ

……痛くもないところを異物でほじったら
痛くなるに決まっているよと思うな。


まあ、依存という枠の括りに拘る時ってのは大抵が感情に支配されているわけだよね。
だとしたら、理想となる思考と、連動した感情の存在を見つける。

…まあ、いわゆる精神力というヤツですね。

それを考えたほうがずっと賢いよねと思うのです。

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人の感情の種

よく、親なら子供をかわいいと思わない人はいないということを聞く。

でも

世の中、そんなきれい事ばかりじゃないよねと思う。


いると思うよ。子供なんかどうとも思えない人。


けどさ
そういう人が特別なんじゃなくてね。

誰しもが持っている、それぞれの感情というのがあって。
この感情を仮に芽だとする。

それで
その感情には芽になった時点での可能性を幾通りも秘めた種が在る。
つまり、種は原始的な感情という意味にもなるんだけどね。
でね、その種になっている感情は誰でも共通した種類を持っているものだよと思う。

かなしくも嬉しくも
そんなもんなんだよねって、なんか思うんだよね。

まあ、子供を…。に関しての批判でも肯定でもなくて。
ただ、そういう人間も居るし。だとしても人の感情は共通しているよねというお話し。


というか、こういう記事を書いていると辿り着く気持ちが在るんだけど。

やっぱりさ、人生って自分がどうなりたいのかなんだよねぇ……って思うよ。ほんと。

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自由と引換えになるもの



仲間からはぐれ

何処へ向かうのか

仲間がいても
仲間がいなくても

独りで生きていける人もいる。

それはその人の人生なのだから自由だよと思う。

向かう先に目的という的があっても
的なんかなかったとしても
羽を広げ飛んでゆけるもの。

その先に何が待っていたとしても
何もなかったとしても
敗北だったとしても

そういうのが人生で。

希望を捨てる自由も在り

希望を持つ自由も在る。


そして
そんな人生という時の中

運命の切れ目で

ひょっこりと

顔を出すものがいる。



結果



という



人の力を超越した現実が置き去りにされている、ところ。




結果を知り

嘆くのも

喚くのも

自暴自棄になるも

泣きながら立つことも

泣きながら笑うのも

全てが自分自身に委ねられ
責任という重みで圧し掛かるけど、
どう表現するのかなんて
そんなのは
自分の成すがまま。


だから


ふと

人は何のために生きているのとか思ったりする人がいたりするわけで。


だとしても

最善と

最悪。

そのどちらかの生き方も存在しているんだよねと
そう思うよ。

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プロフィール

HN:
軒龍卑(haruka)
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/11/06
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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