白月光
今繋がっているあなたに贈る言葉|呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

あなたは本当の自分で生きてますか?

修練という存在

たとえば何かを習得するために練習をする。
この技ができないからと、練習する。
どうしたら、あの人のようにできるようになるのかとお手本になる物事、ビジョン、人物などを観察する。
たくさん観察したら自分も技の修練に励む。
だけれども思うようにできない。
そういうのを繰り返して、ある時、誰かに言われる。凄いねと。素晴らしいと。
そういわれても、自分ではまだまだだと思うだろう。

やがて

時が経過し

技の発表会があった。

お手本のようには無理だけど
自信はあった。

なぜなら
自信とは練習の反復により必然的に体得していくものだから
不安になる必要性はないのだ。

人の人生は
そんなことの繰り返しなんじゃないのかなと思う。

もしも、どうせできないと、練習中に言う者があれば
ただの練習不足なのだとまわりの人間は即座に理解をする。
ただ、当人はそうは思わず。自分は駄目なんだと嘆き悲しむ。

練習を蹴るも

修練に励むも

その人の問題であることには変わりが無い。

それだとしても
練習の結果が素直に反映されているのが人生というものなんじゃないのと感じでいます。


また
お手本を観察するということと連帯した上で、練習するということは、
謙虚な気持ち失くして存在しないもの。

どうせ駄目だからという言葉は
時として傲慢と高飛車という意味にも通じていたりするもの。

だからこそ目標設定を自分の能力値と平行に持ってくることは
ある種、失望という無意味なダメージを未然に防ぐことにもなるのだと思います。

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お疲れさんな人へ

なんとなく、好い感じで心がほぐれます。
お疲れさんな人はどうぞ



http://www.youtube.com/watch?v=d8pr2AJeIbM

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嫉妬心の行く末

嫉妬は異性間でなくても誰しも存在している感情なのだと思う。

しかし、そんな中でも殆ど嫉妬をしない人も居る。
じゃぁ、嫉妬を殆どしないからといって、感情が薄く、薄情なのか。となると、その部分と直結でイコールにはならない。まあ、結果的に、関連していても直結ではないということなのかもしれない。

嫉妬すると、どうして人は醜くく醜態(しゅうたい)をさらすのか。
それがリアルで表現したとしても、自己内だとしても、だ。
1万人いたら、9,999人は、醜い自分を好ましいとは思えないだろう。
例外もいるから1人だけは別かな、というだけのことだけどね。


実は

つい数時間前

とある人間と、嫉妬の件について散々はなしをした。


嫉妬は
その人その人で、(心で)捉える場所が在る。
また吐き出す方向性が異なっているのだと。

その中で
醜く歪んだ鬼のようになった、そんな自分の怒りをモロ出しにして表現してしまった場合、
事実が迷宮入りし、しかも、事実を歪曲して理解した上に在りもしないことを事実として置き換えてしまうものだよねという、そんな話しをした。

だからこそ
嫉妬心は誰にでも在るのだから、受け止める(心の)場所が問題なんだよということ。

また、表現する方向性という意味でいえば
嫉妬を剥き出しにする以前に……
一緒に居たいとか、
さみしかったとか、
甘えたいとか、
そういうのがあるから嫉妬心が増幅する訳で。

そういった、些細なことを素直に伝えることは大切だよねと。

つまり、それが吐き出す方向性とイコールの意味になる。


なんていうのかな……
嫉妬心の中に、鬼も居れば、まともな自分もいないかな………。
人の感情が陰陽のどちらかに完璧に偏ることなんて在り得ないと思うんだよね。
そういう時でも、鬼みたいな自分の怒りに身を委ねてしまうんじゃなくてさ

もっと、こうね、
台風の中でも負けないで咲いている一輪のたんぽぽみたいに…

あるいは、厳しい冬に咲く花のように…

どんな時だとしても
人の心には必ず在るんだよねと思うの。花が。

感情に身を委ねるということは
自分以外の人間を見下すという意味にも繋がるし
おまえ何様的な意味にもなってしまう。

やはり人は

心で感じ

感じるからこそ
頭で考え

そして最後に行動するものだよ…。

そうしていかないと、犯罪者になってしまうこともあるし、俗言うカスになってしまうこともある。


嫉妬心がいけないわけじゃない。
嫉妬したらしたで仕方ない。

そんなことじゃなく

受け止める場所と

「切り換える思考」という名の吐き出す矛先なんだよねと、そう思うような会話でした。

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愛の形は自由

鳥が飛んでいくように人は飛んではいけない。

どうしても心というものを残してしまいやすい。

でもね
もしかしたら鳥も心を残しているのかもしれないよねと思った。

ただ、鳥は生きていく世界が人と違って過酷だから、
そんなことは構っていられないとか思ってしまうのかなって。

それはそれ

これはこれ的な。


そうだとしたら
鳥が少しだけ羨ましいなと思ってしまう。

鳥は鳥で

人は人で

無いものに憧れて

無いものに惹かれて

互いが惹かれあうもの。


余りにも似すぎていたら苦しくなるだけで…。


まるで鏡写しの自分のようで……。


似たもの同士とよくいうけれど………

それって

何となくだけど

自分のやり残しを相手に託すような心境も在るよねと思うの。

たとえば
思うようにいかない自分がいるけど、
でもそれが自分以外の誰かで、
その自分以外の誰かのことが異常に気になってしまうはず。

だって
自分と同じだし
気にならないわけが無い。
痛いだろうねという気持ちも手に取るように分かりすぎるわけで。

けどそれを惹かれているとは言わなくて。

偽者の自分が、とても気になるという意味にもなるわけで……。

まあ、だとしてもね。
そういう愛も在りだよねと思う。
別に愛の根底が何の欲から発せられていたとしても、愛は愛に変わりは無い。

(偽者の)自分に依存する自分自身。
つまり誰よりも自分を愛する自分だとしても、それはそれで愛なんだよって思うよ。

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愛という誓い

人の心は変わるもの。

永遠なんて無くて、変わるもの。


けどね
変わらない誓いというのが在ったりする。


そんな風に誰かを愛し続けることができたら…


そんな風に誰かに愛され続けることができたなら……。


そういう人で在り続けたいよねと思うよ。


どうせ人に生まれてきたのだし
そんな風に人を愛したまま
この世の幕を閉じたい。

誰かを愛し
愛するからこそ何かを求め

そして

傷つけてしまったりもする。

誰かを傷をつけるということは
自分もそれ以上に本当は傷ついている。
そんな時に相手を庇ってばかりいると
いつ頼ったり甘えたりすればいいのか分からなくなる。

でもね
思うのだけど

頼ればいいし

甘えればいい。

だって
傷ついた心は
愛を求めた相手でしか癒せなくて。
だから意地とか善い人になったりしないで
素直になってみたらいい。

なんでもないフリは
嘘をついているわけで。

それは善いことじゃないし

余計に傷を深めるし

そんなままごとはやめて

素直になったらいい。


自分なりの言葉とか。
自分なりの本気とか。
そういう、今というこの瞬間の愛の温度を伝えるには、この時でしかないわけで。
後になったら温度も鮮度も変わってしまうよね。

今じゃなきゃいけない時って、あるよ。


永遠なんてないけど
変わらぬ誓いはある。

時を超え

時空を超え

前世から今世に渡ってきた、そんなちゃちなものじゃなく。

今の愛を大事にして欲しいと思うんです。


たとえば結果とか
そんな人の力でどうすることもできないような、
そんなことはどうでもよくて。

今しか伝わらないこと
今だから言えること。

そう、相手がどう思うとかそういうのじゃない、
自分がそうしたいからという、純粋な欲によって行動することって…
時としてとても大切だったりすると思います。


まあ、でも…
素直と無謀は違いますけど。

ちなみに、女性は幾つになってもかわいく。
男性は幾つになっても男らしく。
そういう基盤があった上で成り立っている話しのつもりで書いてます。

なので

無謀な行動を取らないことを祈ります……。

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「嘘と裏切りの末路」と「生きるための生き方」

言葉が零れると
心も零れる。

体から

背中から


ぽろり


ぽろりと


心が零れていく。


嘘や裏切りは悪となり跳ね返り

我が嘘と裏切りの呪縛に巻かれ
砂の中に呑まれていくもの。


調子に乗って

嘲笑って

余裕ぶって

高みの見物を決め込んでいるつもりでいても


本当の世界では

無駄で。


本当は
余裕なんて持っている場合じゃないし

終幕にかけてカウントされていたりもする。


嘘と裏切りという呪いの言葉は

どんどん
どんどん
砂の中に我が魂を沈めてしまうもの。


はっとして――、
やっと
愚かさに気が付いたからといって

急に焦っても、

急に泣いたとしても、

時のスイッチは稼動しているから無駄で。


終いには

命乞いをしてみるけど

そんな、
自分のためだけの懺悔は
受け入れられるはずが無くて。

そんな、
自分のために
という気持ちがスタートになったものなんて
受け入れられるはずが無くて。


だから

きっとね。

そういう失敗をしないようにって
人間に考える頭を
神様はつくってくれたのだと思う。


人は

考える頭があって、
心もあって、
あったかい涙もある、はず。

自分なりに考えたら…。

何をしたらこうなるよって考えたら…。

懺悔したくなるようなことをするのは
ちょっとでも減らせるんじゃないのと思ったりする。


口から滑り出す時は軽やかな嘘や裏切りだったとしても、
嘘と裏切りの重さは計り知れない重みが在る。

その重みは
誰かの体内に侵入すると
心が不治の病になってしまうのだと思う。

何を持ってしても
戻らないこともあると思う。


だからこそ

少しでも多くの人が
大切な人をちゃんと見てて欲しい。


それから

人が最も辛いと思える中のひとつに
自分が愚かであったがために後悔するというのが在る。

要は…

たくさんの失敗を生かすというよりも

今からの人生を丁寧に生きていくことで
変えられたりするものなんじゃないのかなと感じています。

また
丁寧とは本気という魂に辿り着く思いでもあります。

つまり、自分は駄目なんだという過去のことではなくて

今からを生きていって欲しいと――、
そう、思っています。

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表現の難しさと自己の中の常識

ごめんなさいという言葉。

それは人が人として生きていたら誰もが口にするもの。

本気だとしても
適当だとしても

ごめんなさいを一度は表現するものだと思う。


つい先日、ちょっと小競り合いがあった。

私は、立場的にはAとBの間に入った状態。


まず、Bがまともという路線から外れたことをした。
だからAがBに注意をしたのだ。

そしたら

Bは、注意をされた根源となった品を
Aの前で破棄した。

これって

このふたりを知らない人が見たら
Bは意地悪な人、最低。となる。

まあ、当然、Aはそれっぽいダメージを受け、泣いてしまった。

なんていうのかな。
Bは、注意された瞬間、Bなりに一生懸命になって考えて、
最終的に破棄するのがベストなんだと。つまり自分が悪いんだから破棄します。というつもりでそういう行動をとったのよ。

実際、その場でBの行動を理解できたのは私だけだったし(理解したのは、別に霊感とかじゃないですよ)。

人は大抵、表面の行動から判断するものだよね。

だからBに言ったの。

あれは嫌がらせにしか見えないし、やってはいけない行動だと。
まず、似たようなことをやられたら、Bはどう思う?と聞いたりもした。

だったら、アノ場合、どうすればいいの。と、Bは言ってきたのだけど、
それはテーマからずれるよと、強制的に、相手が受けてしまう傷について話をしつづけた。


こうさ……。

思うんだけど。

白黒をハッキリさせて、物事を遂行することよりも、

グレーの中で生きることは大事だよね。

例え、行動したことがグレーだとしても、本当はこうしたいんだよ。っていうのを小刻みに表現できてくれば、ちょっとばかしプロフェッショナルだと思うけど。


つかさ、そこまでいかなかったとしてもさ、白黒をつけること。

それが社会的にも常識的にもまともだったとしてもだよ。

だとしても、白黒を表現されてしまうことで

空気が読めないとか(いわゆるKYですか)

意地悪だとか

最低だとか

結果的にそういう判断をされることが多いと思うんだよね。


だからって曖昧にしていた方がいいとか、そこまでの展開で話しているんじゃないんだけど。あくまでも、白黒をつけてしまうことで、誰かが受ける傷がある。だからその気持ちを少しでも考えてみようよ。というだけなんだけどね。

まあ、結局、Bにその意味を考えてもらって、理解してもらえたんで良かったです。

正しいことを正しいと言っても、世の中では通用しないことも在る。
間違いを間違いだといっても認められないことも在る。

それはなぜなのか。

全ては、どうしたらこの人が納得して理解し、それを受け入れ、結果的に同意してくれるのか。
それを目的とした行動と言動。それなんだと思うんですよね。

でも、それって果てしなき哲学ですよ。

だからこそ、せめて相手の気持ちを理解することから始めても好いんではないでしょうかと思っています。

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あなたの夢、誰かの夢、そして生きがい

心が何かを求める時

そして、その求めるものが目的に変わった時

人は希望という生きがいに魂が揺さぶられる。


でもね、やはり、人は感情を持って生きているから

時として

だめなんじゃないかとか…
やっぱり、向いて(相応しく)無いんじゃないか…

なんて風に思ってしまう。

こんなことを書いている私も当然、弱気になれば、そうなってしまうことがある。


だけれども

辛く苦しいとしても
いつかきっと報われる。

願いが叶うかどうかは分からないけど

それだとしてもね

努力しつづけたことは
必ず心の栄養となり
精神力という筋肉になっていくもの。

どんな時でも

本当に大切なことはなにか。

どうして、今これをやっているのか。或いは継続しているのか。



そう考えるのはとても大切。


また


何のために


それを必要としているのか。


それと共に

なにをして良くて、

なにをしてはいけないのかを考えるのも重要。


つまり
なにをしなくちゃいけないとか、
なにをするべき、という以前のテーマがあるということ。


目標という志しは

歯を食いしばってでも立ち向かう価値があるはず。


夢は諦めてはいけない。

諦める時は

夢を見続けることよりも、夢から覚めた方が価値が在る時だけだよ。


だからね
夢は大切にしてください。

ひとりひとりの夢は
あなた自身でしか見れない夢です。
代理の夢なんてないし、あなただけのものです。

達成することも大切だけど

初心

という

なぜ、この夢なのかを今一度自分の中で自問自答し
心で見る夢を現実にしてください。

そう、私は願っています。

どうか、その願いが心の中へ届きますように。


それから最後に。

夢はいやらしい欲を出した時に変容し、心を蝕んでいきます。
少なくとも、初心だけは、誰しもが純真なのではないのでしょうか。

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プロフィール

HN:
軒龍卑(haruka)
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/11/06
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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