白月光
今繋がっているあなたに贈る言葉|呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

あなたは本当の自分で生きてますか?

どきどきとかわくわくとか筋トレとか…

今日は鬼晴れの福島市…。
つか暑くてばててしまいそう。
昨日の肌寒さが嘘のようだね。

こういう時ほど体調管理に気を付けなくちゃいけない。うん。

さて、パソコンをいじっていると色んな便利機能のフリーソフト(無料ソフトのことです)があったりする。
そのものを探して見つけることもあるけど、私の場合は別なものを探していたらとか、たまたま偶然に見つけることが多い。

「真魚(まな)」という文章を書くフリーソフトがあるのだけど、私のお気に入りなのだ。
このフリーソフトに出会う以前は、仕事上必要な文章をワードで作製していたの。でも、何かを調べていた時にたまたまこのソフトが目にとまり、即ダウンロード。
私の中での無駄が省かれた最善の状態で文章が書けるし、印刷のボリュームも抑えられる。
※ただし調べてみた結果、玄人向けではないらしいですよ。まあ、何となく分かる気もしないでもないけど…。

まあ、フリーソフトでも、真魚以上に性能の良いものもあるとは思う。目的別で優れた性能を持っているソフトもあるしね。人それぞれ欲しいものが異なるでしょ。

もう少しここが…。
なんて僅かなストレスを軽減してくれるぴったりのものがある。

ここは良いけど他はなぁ…。
なーんてのもあるよね。

けどさ、こういうソフトを作れてしまう人の頭の中は、きっと、素晴らしい脳に決まっている。
だって誰でもできることじゃないからね。理解すれば作れるものもあるのかもしれないけど、おそらくバリエーションが効かないだろうね…。
すごい人は世の中にはたくさんいるよね。どんな仕事をしているとか社会的地位がどうだとか、そんなことに関係なくすごい人はたくさんいるよ。

大抵はすごい人ほど、自分がすごいなんて微塵も思っていなかったりするよね。また、その感覚が新鮮というかギャップになって、余計に魅力的に見える。これって私的には腹に電気が染み渡るような感覚なのです。

自分が生きている間にそういう人間にどれだけ巡り逢えるだろう。なんて本気で考えることもあるよ。

なんていうかさ、そういう人間とお話をしているとわくわくしてくる。
心の鮮度が上がる(苦笑)ような感覚。

ほいで、たまーにだけど、自分がそのすごい人に成り代わったような錯覚というか気分に陥りそうにもなる(笑)
どんな意味でも良いから、どきどきすることや、わくわくすることは、腹の底から笑えることにも繋がっているって感じている。だからというわけじゃないけど、どきどき、わくわくは大好きな私です。

人にはその人それぞれの生き方がある。

私にも私の生き方がある。

とても良い話を聞いても、それはその人の中身のお話。

自分の血肉にするにはやはり心の栄養が大事だし。
けどね、栄養分だけ取っていたら肥満になる。
だからこそ、それら栄養を筋肉として稼動できる精神が必要だよねと…
そんな風に思うようになりました。

筋肉ってやっぱり発達の個人差がある。
無理したら心を痛めるものだよね。

地道な筋トレは案外強いと思うのだ。

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心配という矛盾

近くに居てあげたくても居れないことがある。
心配だからそばに居たい。

けど、それは叶うことの無い願い。

もしも、心配する自分が居なくなるまでの欲求を形にしたら
何処までの行動をするのだろうね…。

きっと、心配されている方は自分が心配するほど気にもしていなくて。
きっと、心配されるほどでもないよとか思っている。

それでも心配になることがある。
だけれども、心配しても何も変わらない…。

そばに居たいのは辛そうな相手を想像できてしまうから。
心配になるのは辛そうにしている相手を見る自分が嫌だから。

人は不思議。

意味の無いことやたくさんの矛盾の中で満足したり充実したりする。
それでいいんじゃないのと思う。

自分がそうしたいのだから。

それが幸せだと感じるのだから。

何かを知ることと、自分の中から湧き出る自然の思いは別々なのだし。
止めようの無い自分の中の何かに逆らうこともないよねと思うよ。

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見ている空間の異なりに魔が潜む

ひとつの出来事をたくさんの人間が見ていたとしても、感じ方は様々。
そりゃ、当たり前だよね。

各々が見ているその空間って、置かれている立場から物を見る習慣が付いていると、後々自分が痛い目にあう。その立場の名目が変わらず自分と関連している人間と続いたとしても、力関係が変わる。要は年月を重ねることで権力の差が出てくる。

その事実に目を伏せ…。いいや、理解したつもりの状態というべきかな。理解したつもりとは、頭の中では正確に理解している(自称)、しかし心が連動していない。結局、分かっていない。理解していない。ということなんだけどね。
まあ、その理解していない状態のまま、力関係を無視しつづけてしまったとする。

その成れの果てを意固地とか頑固とか、そんな表現になるのだろうかと思う。
その果てまでいってしまった人間は孤立する。

孤立の全ての原因がこのことです。とは、思うはずも無いけど、原因のひとつではあると感じているの。

この場合(力関係の変化を理解していないという意味で)の孤立ってさ…あまりにもかなしい。
年齢に関係なく多くの人が立場がどうあれ僅かな力関係の差を感じて生きていると思う。

そういうのって、見ているのも嫌だし、絡むのも嫌だし。ましてや自分が理解してない立場になるのも嫌。

それでも、絡んでないといけないような状況下に置かれたりもする。

そんな時、何が自分のその後の展開を邪魔するのかと考えてみた。
きっと、多くの人はプライドなんじゃないかなって思ったよ。
つまりは見栄。虚栄だよね。
その下にある自分の本当を見つけ出し、更に、それを表面化する。それってめちゃめちゃ度胸の要ることだよと実感してる。

でもね、見栄は、何の意味も持たず。カッコ悪いだけだから。
ましてや、そんなカッコ悪いヤツになりたくない。
だからこそ、今みている何かの視点の真ん中になっている起点をいつも探しながら私は生きている。

なんというか…

いやでしょ。
カッコ悪いのって。
どうせなら気持ち良く生きていきたいもん。


つか私の話はどうでもいいや。


まあ、この辺りで話しをまとめていくけど…
こうさ…。物事の起点になっていることって、辿ると不動の答えがある。
ただ、その答えが起点へ順ずる答えなのか起点なのかという違いはあるはず。
なんていうか…ゼロという数字から動かない何かというイメージがある。

そして、それらの起点の周りには、価値観や思想なんかの起点へ向かうものも密集している。

だけれども、それらは起点の周りに張り付いた「起点からの方向性」のひとつでしかないと思うの。

いろんなことをいろんなふうに考えてみたりしているけど…
それだとしても、方向性の一筋を本当だと捉えてしまうことがあったりすると人が魔の時に呑まれている。そんなことが多いように感じるんですよね。

まるで3Dを見て、誰かは見れたけど誰かは見えなかった。そんな感じの現象が異なる現実の空間を生み出す。その結果、異空間へずれてしまった誰かは異空間に存在してしまい、異空間からしか物事が読み取れなくなる。そんな感覚を受けることがあって。
また、そんな状態が続くと感覚が当然にぶってしまう。だから、魔が潜んでいても気づかずに足を踏み入れてしまう…。

立場や権力へ向ける意識(要は見栄)とは、そういう時空に潜む魔を容易に引き出してしまう。

まあ、結局は、見えない力が働く瞬間のひとつに見栄が多いに関与しているということ。しかも3D版。

大抵、どうでもいいような出来事が魔になったりするんですけど、そんな時って構えていると逆に気づかないもの。どっちかといったら肩の力を抜いて見栄を捨て、本来の人間の構造として備わった細胞により近づくことで異空間に踏み込みづらくなるものなんですよ。


誰にでも失敗はあるし、その失敗を糧として生かすためのひとつの材料。
そんな風にこの記事を読み取ってもらえれば良いなと思います。

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夢を夢で終わらせないためにささやかなエールを…

危ういバランスというのは奇妙なもので、そのおかしいなりのバランスをひとたび維持してしまうと、まともなバランスよりも強靭だったりする。

山の岩が他の岩に傾くように寄りかかっていたとする。

でも、いざ、それを動かそうとすると並みの力じゃ無理。

逆にそのまま自然に存在している岩のほうがどうにかなったりする。

人の精神のバランスもそうなっている。
自分で定めてしまう危ういバランスもあれば、外からの大きな力により危ういバランスをとるものもいる。

だけれども、何かの拍子に点と点で支えあっていたそのバランスを崩すような何かの力が加わると、一気に崩壊することもある。

また、

安定したまともなバランスに見えていたものが、実は多大な不安要素を存分に含んでいることもある。

だからこそ、物事にしても、誰かの気持ちや自分の気持ちにしても、そういった判断にまつわる物事を白黒で決めてしまうというのは、とても危険なこと。

もしかしたら、
今の自分は崩壊寸前かもしれないし、
安定しているのかもしれない。
若しくはそれらとは異なる状態かもしれない。

それだとしても、
それらの様をこうなんだと決定するということは、

「そうであるはず」

という運命しか待ち受けていないものです。


「そうであるはず」という本当のことが存在していればいいのだろうけど…。

もしも実在していないものだとしたら
その後の運命は「仮想の運命」を現実に居ながら歩いていかなくてはいけない。

それはまるで本の中の主人公。


その様は…

夢は夢でしかなく

本の中だけで生きている夢でしかなく

夢のままに終わる何かでしかなく


夢に真実がなければ

夢に本当がなければ

儚く終わる夢…。


だから


夢を夢で終わらせないために
白と黒だけじゃなく


「わかるけどわからない」という

グレーゾーンの世の本当も必要だったりするものだと
そんな風に思います。

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「時の狭間」と「現実」が癒着した“その僅かな隙間”

人が自己の意思に誓いを立てる時、それは霊的にも見えない力が加わってくる。

その誓いが決意だとしても…
その誓いが思い込みだとしても…

時の狭間に潜む見えない何かが動き出し
その見えない何かは運命へと這い出てくるものなのです。

よく「自分で大丈夫と満足したら後は落ちるだけ」なんて表現があるじゃないですか。
あんなのと一緒で、「こうなんだ」という自己の中での取り決めは、運命へと這い出ていき、結果、運命に「心の鏡」となり反映していくものなんですよね。

理解しなくていいことを理解したり。
わからなくていいことをわからせられたり。

そういう外からの行為も人の運命へ多大な影響を及ぼしたりもします。

その理解したりわかってしまうこととは、本来、脳内に入る必要の無い情報や知識です。
これは事のパターンが変化すれば洗脳という状況を容易に生み出します。
そして、結局は、自分はこうなんだという「時の狭間」と「現実」が癒着した“その僅かな隙間”で、全ての人間が我が敵だと思い込んでしまうほどに息を殺しながら生きながらえる。そんな現実との関係がスタートしてしまうものです。

どんなに気丈な人であったとしても、同じ感情を持った人間。ただ単に脳が故障を起こさなかったから、それらの必要の無い情報や知識を吸収してしまった。それは得なのか不運なのか、誰にもわからない。

実際、鑑定や呪術として人と接している私でも、わからないと感じることの方が多いように思う。

だって、自分がこうなのだという頑なに取り決めた心と脳の法則は、その人自身でしか解除できるスイッチを持っていない。
ましてや、探すつもりも無いそのスイッチを見つけてあげても、なんの意味があるのだろうか。

そんな風にもどかしく感じてしまったりするものです。


それでも、動かなくなった魂の核へ筋力を与えたいという、本能の感ずるままのパワーを持てた場合、人はその「時の狭間」と「現実」が癒着した“その僅かな隙間”から脱することができるもの。

その場所とは真っ直ぐに辿り着く精神の回路でもないし、真っ直ぐに変換できる思考回路でもない。

第一、人は心と脳が直接結びついて生きているのだから、そんな単純明快な答えばかりではないのだ。


だからこそ思う。

たとえ自分の生い立ちに鉄の味のするような思いが刻まれていたとしても、
たとえ自分はこうなのだと自分を取り決める法則があったとしても、

それでも何かしら本気になれば本能が導き出す魂の中心が眠りから覚める。




もしも願いが叶うのであれば

私の心からの祈りが届きますように……。


http://www.youtube.com/watch?v=_oDdpSr0dTk

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月の神秘

月が太陽の光を浴び

暗闇を照らすように

その月に照らされた

海も

人も

生死も

そんな全ての出来事は

それはまるでこの世と霊界が共鳴し共存しているその様と

とてもよく似ている




幻想的な月の魅力は古代から色あせることなく引き続いてきた偉大な存在


その月へ今は祈りを捧げよう…


たくさんの願いよりも


ただひとつだけの思いを祈ろう

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身体機能と総合して考えた場合の「実力を出す」という意味について

実力を出すという言葉がある。

そういう言葉の意味の根底を多くの人が履き違えているように感じることが多々あるのです。

実力を出すというからには、


必死になって

自分の持てる全ての力を

今吐き出すその的へ向けて

力一杯に当てる


周りの人間が認識しているであろうイメージをそんな風に受けることがあります。つまりは、原液100%飲料の全てを出し尽くすような。まるでその的へ全てを出し切り、更に燃え尽き、終始必死になる。そんな感じの印象ですかね…。

けど、それは実力を出し切るという言葉が相応しいのではなく、どちらかというと「目的の無い行動」になるのかなと思いますよ。

たとえば鑑定の時に、お客さんへ「実力を出し切って」と、伝えたかったとします。

でも、

多くの人は、その「実力を出し切る」という私が言いたいことを別の意味で捉えている。
だから、私はこんな風にいう。

「自分のやりたいと思う行動が100%だとしたら、○○%の力のでやってね」

だけど、

それでも

意味は通じにくいもの。


大抵は、そりゃ、手抜きしろってことだよね。と思ってしまう。

けど、それは違う。


手抜きとは

「30%果汁飲料」

ということ。

私が言いたいのはそれじゃない。
「3割分の量の入った原液」
それでやりなさいという意味。


というかね…。
実力を出し切るためには

「周りを見る力」

これを残しておかないと、本当の実力はでない。

よくさ、何時もの自分がだせたから上手くいったよ。とか聞くことあるでしょ。
そんなのと一緒。

必死になるのと

本気は

全く違う。

つまり、必死の状態とは「本気ではないこと」になるよね。
実力を出す場合はとうぜん本気じゃなきゃいけない。
じゃぁ、この本気はどうやって出すの?

まあ、平常心ともいうけど…
単に、いつもの自分。ってことでしょ。

つかさ、実力を出すということはね、手を抜くことではない。
実力を出すとは、自分が持ちうる行動として出せる範囲の利率を下げて、
更に、その下げた状態を本気になって行動した時に「何時もの自分でいれる状態」ということなんだよね。

これが、
利率を下げて本気になった結果が、「何時もの自分ではない」としたら、

結果的に

実力も出せてないし

おまけに

本気にもなれていない

ということになるんだよ。

なんというか、言葉の意味の落とし穴的存在とも言うべきなのか…。
そういうものはたくさんあるよね。

まあ、知っているつもりの言葉でも、言葉尻の僅かな表現の違いで、意味が違ったり字が異なったりもする。だから、辞書を引く習慣をつけるとかさ。


こういう部分で人は損をしてる。

しかも、大切な可能性をも流してしまう。


つか勿体無いよね。ほんとに。


【追記】
日本語自体が曖昧と言われているよね。

でもね、

それは曖昧なのではなく、文となっているその前後の言葉を無視して理解してしまうからなんじゃないのかとも思うよ。

また、実際、なにを言いたいのか自分でも理解できない認識できないで話をする人もいる。

だとしてもね、前後の文になっているものから考えても、何を言いたいのか解らないとしたら、わかるまで聴くことは大切だよね。

ちなみに、「それなり」とか「…的」といった日本語の曖昧さがある。
それも曲者だ。
それって、うまく文章を誤魔化しているか、前後に意味を明記してある上で書いているのか、そのどちらかだと思うよ。

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異なりは温度から

時を全速力で駆け上がり
肺が潰れてしまいそうなほど苦しいのに

どうして そこまでがんばれるのか

なぜ そうまでして我武者羅に走るのか

走りこむ姿は毅然とし
入り込む余地もなく

厳しく打ち込むその様は
あなたと私の距離を隔てるもの



だが ひとつだけ見えたものがある



それは
あなたは走っていたのではないということ

我が怠慢を棚に上げ
あなたを巨大に仕立て上げていたのは
我が思考

何が正しくて
何が間違っているとかじゃなく
あるがままにのべても
あなたはひたすら歩いていただけだろう

そして

たまに疲れたら休んでいた

ただ

それだけのことだろう

そんなことも分からぬほど
何を見て
何を感じて
生きてきたのだろうか…



たったそれだけのことなのに

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プロフィール

HN:
軒龍卑(haruka)
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/11/06
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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