白月光
今繋がっているあなたに贈る言葉|呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

あなたは本当の自分で生きてますか?

愛について書いてみた

愛に関する動画をアップしていくうちに、ふと思ったことがある。


ここを見ているあなたは、恋をしてますか。

誰かを心を焦がすほど、愛していますか。


恋や愛ってさ、脳の麻薬なんだと思う。
だって、恋をしているから、綺麗になれるのもその影響でしょ。

そして、麻薬だから、次の恋が欲しくなる。

それがエスカレートすると、依存や執着という、別次元の塊に変化してしまう。


でもね、愛って、そういう、ひとすくいのものばかりじゃなくて。
継続する愛もある。

夫婦なんかがそうなんじゃないのと思う。

また
種類が違えば、家族愛、友愛とかね。

それだとしても
愛という存在には、

悟り、という

テーマも隠れていたりするよね。

喧嘩して喧嘩して、ぶつかり合って、
深く繋がっていく本音。

その本音のどの位置を
相手の真意として受け取るのか。

それらの全てを見るには
当然、人生という長い期間を用いた、精神の鍛錬が日々必要なわけで。
その瞬間の受け取り方は、今の私の(精神の)実力。

だから、悟りなんだと思う。
それに、哲学でもあると思うし。

それから、愛の発信源とは
欲なんだと思うのね。
潜在意識の中に存在している、原始的な遺伝子の、欲。

欲だからこそ、人は誰かを愛すると、汚く穢れていく我が精神を恨んだりする。

それだとしてもね、
それが、自然な人の姿。

我慢していたものを吐き出さない限り
素直な心は浮上しない。

そういう我慢は体に毒で。

だからって
表現するポイントを

自分の心にするのか、
実際に自分以外の誰かに伝えるのか、

そのポイントによっては

自分の中で劇薬となり
致死量にまで至り
精神の死。
という、そういう位置にまでいくことがある。

人は、それぞれ愛し方が違う。
愛され方も違う。

このままでいいなら別だけど、
誰かを愛し、そして、愛されていたいなら
自分の中で、愛の悟りを開き続け、
私だけの哲学を
長い人生の中でつくっていくしかないのかなと思う。


愛――。
難しいよね。ほんと、大変なことだよと思う。

それでもね

今の自分が
今の私自身なのだから
それが実力なのだから

実力の中で努力していくしかないよね。


実力をあげたいなら


今の無理ではなくて、

今の最高と最善。


それを続けていくことが確実でもあり、

近道でもあるのだと思っています。

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粒子のように彷徨うもの

あなたの声が風に乗って届く。

あなたの僅かな仕草からでた物音が耳の中に聞こえる。

心の声は魂の囁き。


どうぞ神聖な精気が風に乗り
あなたの元へと届きますように。


大いなる愛は

時空を超え

この世でやまびこのように木霊するもの。


魂の囁きが時空の壁にぶつかり
あなたのもとへ届きますように。

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山の神は人生にも現れるもの

山を登り。

登ったら降る。

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ただその繰り返しだけの人生だったとしても

頂上へ辿り着くという

その達成感があれば



それだけで生きていけると思ったりもする。


特別の人生じゃなかったとしても
いつもいつも機械みたいな日々を過ごしていても

そんなんでもいいよ。

それでもね
頂上に登ったら
きっと気持ちいい…。

気持ちいいと感じる

その瞬間が

生きている証し。

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屁理屈の原点~たくさんの中のひとつの考え

人ってさあ
その人との歴史があれば絆が強靭だとかそうじゃないとか
そんなのは関係ないよねと思う。

友達

恋人

夫婦

家族

仕事仲間

趣味仲間

心の友

まあ、こういう枠としての形式をあげたらキリが無いように思える。
人が生きていく上で分かりやすいように
それぞれが自分勝手に取り決めているだけで
本当の部分には枠なんて無いし。

その本当の部分の上に
枠という形式を被せて

これで安心

みたいに思ってさ。

ほいでもって
私たちは○○(たとえば恋人)なのだから
こうするのが当然よね。

という言葉が出たりする。

確かに、その瞬間の当然は正当なのかもしれないし
まともなことなのかもしれないよね。

でもね

そのまともは
その瞬間に発生した事柄の方向性。
つまり位置という的を示しているだけで
事柄の成り立ちではないわけでしょ。

ということは

成り立ちに対し
位置という的をはめ込んだ時に

それは成り立ちとして成立しません
という結果がでることもある。


要は

誰かと小競り合いになったり口論になったりした時
自分の出した言葉
あるいは
相手の出した言葉

そういうのに対し

そんな時ばっかり教科書みたいなことを言わないでよ。
あなたの言うソレは正しいかもしれないけど“何かが”おかしいわ。

なんてね、そんな風に感じることがあったりする。
その時に感じた“何かが”というそのものが
あなたの感じた理不尽でしかなくて。

その理不尽とは

成り立ちの根底
または
成り立ちの過程

その中のどれかに
大きなミスや強制的に(相手が)書き換えてしまった屁理屈が存在していたりする。
まあ、(正しいことや教科書みたいなことを相手は言っているつもりでも)屁理屈の原点ということだよね。

結局、「(物事の成立なんて)なってないよ」ということになるでしょ。
まあ、だとしてもね。なんだったとしても、考え方のひとつの手段だと捉えてもらえたらいいよ。


というか

なんていうのかな…
気楽に生きるためには
本当のことを知っていた方が
生きやすくなることもあると思うんだよね。

お話のやりとりで
なんとなく流され騙されてしまう人って居ると思うけど、
次のお話の時に少しだけその屁理屈の原点を探りつつ
心と心のキャッチボールができたらいいよね。

正体を暴いてやるとか
そういう穏やかではない意味ではなく
仲良くするために(屁理屈の原点を探ることが)できるのが理想かもしれない。

ああ、けどさあ

時として

理想もへったくれも無いよって瞬間があるわ(笑

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溢れてきた言葉の贈りもの

心の中に住んでいる様々な気持ちたち。
その気持ちの入っている箱の大きさは変わらない。

けれども

割合が瞬間々で変化する。

その変化していくさまは自分だけの自分の世界でしかなくて。

その世界を言葉にしようとして誰かに話しをしても
言葉に出した瞬間
何かが変化していく。

言葉が意味を変えて届くとしても
それでもいいから
誰かに聞いてもらいたい時とかあったりする。

そんな時は
届くことなど望んでなくて。

ただただ
心の中に在る苔のように張り付いたその色を吐き出したくて。
もう吐き出したら充分だよとか思ったりする。

吐き出すことと
伝わることは
当然ちがうし
異なったふたつなのだけど
それでもいいよと思えるのも不思議。


人は知らず知らずのうちに
心に鬼を飼う。
鬼のような顔じゃないと生きていけない人もいるし
鬼のようになりたくなくてもなってしまう人もいる。

でもね
その鬼は本物じゃないから
人工的な建造物と同じで作り物なんだよね。
それだとしても
そんなんでも
命をともすことがある。
命を宿した心の鬼は
独り歩きを始めるし
また暴走してしまうし
ちょっと自分独りじゃ手に負えなくなってしまうこともある。

魔法に掛かった心は
魔法をとかないと
夢から覚めないし
そのままなら、いつまでも夢を見続けているもの。

夢は見続けているから夢なわけで…。

もしもね
夢から覚める特効薬が在るとしたら

それは

心の矛盾を知ることでしかなくて。

すごく大変だし
すごく神経も磨り減るけど

夢から覚めたいならとても大切な名薬。

だけれども
夢を夢のまま覚まさせないで欲しいなら
そのままでもいいんだよと思うの。

だって
夢を見ていることが決して悪いわけじゃなくて

たくさんの気持ちの中の本当を正すことだけが
正解とかも無いし。


だからこそ
精神の自由を選ぶこと。
その選択権は誰のものでもなく私自身の権利でしかない。

苦しい中で生きていても
楽しい狭間で生きていても
選択の権利は誰のものでもなく自分だけのもの。


それを

我侭だとも言うし

自己主張ともいうし

自分の世界観を持っているともいう。

というか
そんな風に自分以外の誰かは形を作り決め付けたように
なにもかも分かったように言ってくる。

でもね

そんなのどうでもいいじゃんねと思うよ。

自分を自分の理想通りに
自分以外の人間の目に映すこと――。
それは演じる以外に無くて
もしくは
点を極めないとできなくて
だとしても
なんだとしても

自分は自分でいいんだと
どうせ何をしたって誰かしら何かは言うし。

だいたいさ
気にしなくなるには

耳を塞ぐか

その誰かを強制的に黙らせるか

そんなのしかないわけだし。



だったら


最初から堂々と出してしまえばいいよと思う。



なんていうかさ

こう、気にして疲れるだけ損するよっても思うんだよね。

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音から届く心の温度


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テーマの問題

流れる川の中で生きていて

石にぶつかり

停滞したり

よどんだり




そういうことがあるから

川に居るせいで自分が傷つくのではなく




川の中にいて


何を見て生きているのかが問題なのだと思う。



何を自分の中の本当として

何を自分の中の本当の現実として

考えているのかが問題なのだと思う。



自分の下した判断。
つまり脳を疑うこと。

自分は自分でしか救えないもの。


その傷は本当に傷なのか。
傷の下にまるで傷など無関係のように魂が力強く息づいてはいないのだろうか。


揺ぎ無き信念に辿り着くというのは
宝探しのような少しだけわくわくするイベントみたいだと…

なんとなく、子供みたいな気持ちで感じています。

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自分の人生の中に芽吹く誰かの命

誰かを信じている自分自身を信じる――。


全ての人間関係はそこから始まりそこに終わる。


人を信じるということは自分を信じること。


信じたい相手に対し

怒りや
悲しみ
絶望
苦痛

そんな侵食してくる意味の無い感情がある。


それでも
その相手は本当にそういう人なのだろうかと考える。
そこまで自分を苦しめることを現実的に自分へしているのだろうか。
もしかしたら自分の想像力が苦痛を生み出していないだろうか。
そしてその想像力は破壊を望む結果にはなっていないのだろうか。


だからこそ

その中に…

その苦痛の中に

決して華やかではないけど

厳しい冬を乗り越えた小さな逞しい命が芽吹いてはいないだろうか…


芽吹いた命は
何者にも屈しない
そんな信念のような存在なのだと思う。

つまり
自分の人生の中にある大切な人の唯一芽吹いた命――。



大切な人の気持ちは


自分の人生の中に命を吹くもの。
だから、きっと、うっかり踏み込んでしまいそうになる。


走っていたら


焦っていたら


通り過ぎてしまう。


踏んでしまうもの。



たとえ今この時に何があったとしても
自分の人生の中で必死で生き続けている大切な人の命を無駄にしてはいけない。


だけれども
その存在を愚かにも摘み取るということがある。

その行為は
自分で自分に傷をつけているようなもの。
開いた傷口を指でかきわけるようなもの。


……たかが

怒りや
悲しみ
絶望
苦痛

そんな私自身の想像力のために

大切な誰かの生命という思いを

踏みにじる愚かな行為はしたくないと…


そんな風に感じています。

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プロフィール

HN:
軒龍卑(haruka)
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/11/06
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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