白月光
霊感からの言葉|呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

あなたは本当の自分で生きてますか?

ありのままの自分――本当の自分の考察

ありのままの自分。


それは醜くもあり、美しくもある。


ありのままの自分の全てをさらけ出すこと。
それは狂気として人々に映る。


常識という変動の意味を持った不動の存在が、人の生きる位置を決めてしまう。

決めてしまうのではなく、決められてしまうのだろう。


ありのままの自分とは自己の中だけで受け止める事実でしかない。

なぜなら、自分以外の誰かに表現するための自分が存在しているのではなく、自分が自分であるための自分なのだから。


言葉としてよく耳にする、自分自身が在るとは、醜い自分も、美しい自分も、自己の中で確実に存在した上で
たくさんの気持ちの集結から選び抜いた、一点の気持ちを貫いた状態を自分が在ると、いうもの。


すなわち自分の醜さはそのままに存在するということ。それが自分の存在の、事実。本当のこと。

そしてその醜さを隠すための一点の気持ちではないということ。


なにをしたいのかというそれぞれの気持ちの中に存在している、自分にとって意味在るナニカ、のこと。



またナニカとは自己の中の気持ちの、理想の最高峰を選ぶこととも、違う。


そこには現実の存在がある。その存在を失くしての選択は現実逃避…。


だからこそ、なにがしたいのか。





自分が生きている今の現実。
大切にして欲しいと、そう思います。




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自然の法則は人の現実でもある

見えないものが見える。

それは霊であり心であり幻影であり。


見えないものが見えることを霊感という。


霊感は遺伝。


霊感があっても正しく伝えられなければ、意味は無く。
霊感があっても心がねじれていれば、間違ったものが見える。


人と人の繋がり

誰かの愛

怒り

悲しみ

自然のナニカ


そうしたひとつひとつの囁きがある。


だがしかし霊感の在る者が
囁きに耳を傾けることと
どうにもならないことを変えようとすることは、全く違う。

前者は正統だけれど、後者は異常。誤り。


なぜなら霊感の在る者が自然の法則に溶け込むことはできたとしても
自然の法則を変えることは出来ぬもの。

もしも自然の法則を変えることが出来るのだと豪語する者が居たとしたら、ニセモノと言い切れる。



その事実と同じくして思うことがある。



もしもあの時……。もしこうだったら…。結局アノ人が悪いのだから…。と――、
どうにもならない自然のサイクルを、掟を、破っていることに気が付かない事実があるということ。

そうした言葉は魂を持ち、心を惑わす鬼ともなるもので。

腹から湧き出た我が身の醜い思いに、自分の心が縛られ、
多くの信頼とともに自分自身を裏切ることとなる。


どうしようもないことに囚われた挙句、逃げ場を失くすほどに心を窮地に追い込むのではなくて。
もしそうだとしても、なにをしたいのかを考えるべき、かと。

自分を傷つけるための、自分を裏切るための、そのための心の声へと耳を傾けナニが変わるというのだろう。

怒りや困惑を全面にだすのはわかるけれど、その感情はナニカの終わりを体感した後の感情なわけで。また、既に終わってしまったことに繋がりを持ち続け、この先ナニが変わるというのだろうか。


だからこそ思う。ありのままを受け止めて欲しい、と。


なにがあったとしても

それぞれにはひとつひとつの意味がちゃんとあるのだから

しっかりと見て欲しい、と……。




願わくば心の目でありのままを見つめて欲しい。そう思うのです。





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本当のことを見る目――心の目


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未来を変えるであろうために、稼動している何かがある。


それは目には見えないものでしかない。


見えるものの全てがダメに見えたとしても、ダメだと思える時には既に終わってしまった過去となっているはず。
だから見えることだけを信じるのは危険なことだと思う。




未来とは形も何も無く

あるとしたら
今をいまなりに精一杯生きているという、証があるだけ。




誰かとする約束とは今の何かが存在していない。


ひとりひとりの思いの込め方が約束を成し遂げるように


未来とは形無き形をした自分を、自分が信じる気持ちなのだと思う。



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自分は自分にどんなことをしてしまうのか


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過去や記憶を慈しむ気持ち。



過去や記憶を悔いる気持ち。



過去や記憶という観点を現実的にいえば過去や記憶の存在をもとに発生した、それが如何様な気持ちだったとしても、それら過去や記憶は現実ではない。



過去の思いを現実に結びつけ

それらがさも本当の現実であるかのように思い込むことは

精神面や人格という生きるがゆえの変化を考慮すると、医学的にも霊的にも好ましいことではないはず。



過去や記憶というのは時折、現実よりもより現実感を帯びた真実のように振る舞う。そしてそれを見ている人間、すなわち自分自身を自分が翻弄する。
(翻弄=ほんろう→手玉にとること。もてあそぶ)


苦しいとか辛いという感覚は本来、人は持ち合わせていないといわれている。
思想家たちの中で、ある種の思想としていわれている。
その意味も分かるし、事実そうなのだと考え感じている。
だからといって、誰も彼もが苦しいとか辛いという気持ちを所持することを否定しているわけではない。
ただ思うのは、苦しいとか辛い気持ちとは、自分がつくりあげていくモンスターであり。
その場合の大抵が、過去や記憶を慈しむ気持ちを持った者が犠牲になっているわけで、すなわち自分の脳に自分が騙された状態なのだと、そう思う。


現実とは今この時に事実として現れたものを指すもので。結局、過去や記憶は自分の中の事柄だというにも関わらずソノ現実ではない出来事を、今という現実に練り込み生きているということは今を生きていないともいえるし、本当の幸せが見えていないということになる。

またこうしたこととは、そんなのは理解しているし、私は大丈夫と思う人の落とし穴もでもあるもの。
それはつまり過信のひとつに値するはず。
その場合、大丈夫と考え思う意識下で起こっている事実がある。その事実とは、自分の外に自分を存在させているという事実があったうえで、自己を見つめていない。その事実は、ただの浅はかということになってしまうもの。


脳のトリックは脳を疑い続けることでしか暴かれないもの。


それゆえ人格形成上とてもよく邪魔をする存在なのだと、そう考えてしまうことが多い。





ゆえに脳に騙され人生を振り回されること、それは悔やんでも悔やみきれないもののひとつでもあるとそう思うのです。




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本当の自分についての考察

生きる人の多くは意図的に、自我を破壊へと導いていく。


自我に似つかわしくない、想像的な自分をつくりあげ

自我へ押し付け、そして想像的な自分である非自我(正しくない自我)の強制を、自我へ行なう。



非自我とは、自我へ対する破壊的な思想者であり、自己の中のカルト教の教祖的な役割を所持しているものでもある。


ゆえにそれら強制は、洗脳ではなく、自我へのより酷いマインドコントールともいえるはず。だからこそ生きる人の多くは自我を破壊していくということへと繋がるわけで。



※ 記事とは関係ないけど、こうしたものが心理学でいうところのスキーマー、いわゆる思考癖のひとつかと。また脳が脳に騙されるという発信源の一部ではないのかとも思う。


※ 洗脳とは、キッカケとなった外圧、のない環境を与えられることで、思い込んでいた世界観が消滅します。

※ マインドコントロールとは、結果的に自分で進んで気持ちの書き換えをしてしまうことで。洗脳のように完全に意思が麻痺している状態ではなく、自覚も意思も存在しています。また誰もが掛かる可能性があるもので、気持ちがしっかりしていればというのは無意味なこととなります。

(洗脳とマインドコントロールの違いを詳しく知りたい人は、ネットで調べてみてください)


***********


また自我と非自我の配線を、非自我は意図的に断絶し

自己満足という意識をその時々の非自我の都合で、新たに形成する。


形成したものは、本当の自分よりもより自分らしい人格、を持ったかのように自然に振舞う。
それら振る舞いを止めない心理または真理とは、異常な世界を快感として捉える人間の本能的(堕落な遺伝子の目覚めのよう)なものだと思う。



***********



たとえば自分を形成するために学問から知識を吸収しようとする。
しかし学問という知識も、技術という鍛錬も、自分のものではあるが、自分ではないのだから自我の中の世界ではないわけで。



すなわち
自分が自分の中に存在した上で、世界が存在しているのか、
自分が自分の外に存在した上で、世界が存在しているのか。

というソノ部分にあたるわけで。


本当の自分とは腹の底に沈みこんだ自我で在るということ。

同時に自分の外に存在した上で、世界が存在した状態を自分が無いという。

自分があるとは
自分が自分の中に存在した上で、世界が存在した状態をいう。



***********


結局、自我という名の本当の自分は、自分以外に存在した世界からの知識を思考内で翻訳した事柄を、自我と協力し共に生きること。それが自分らしさへとなっていくものだと思う。


ゆえに本当の自分というありのままの単独で生きることは、自分以外の人間には狂気として映るものではないのだろうか。





***********





対極の人格のようなものが混在する、肉体。自我と、非自我。




それらを総括し統合できる、もの。




それは気持ちの込め方だけだ、と。



気持ちを込めている自分を補助するのが、翻訳された知識。









またそれらは、既に自己内で起こっている集団行動なのだと思う。






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死を向かいいれる意味そして生きる意味

今更、後悔しても遅い。

ソノ言葉はよく聞くセリフ。


それでも後悔しても遅いとはいうけれど

間違っていることに気が付いた。それゆえ変わろうと決意した。

という気持ちを諦めさえしなければ、少ないとしても変化は確実に生じてくるもの。僅かだとしても光はある。


だけれども


もう遅い。変わる必要も、気付いた意味も、全てが意味を失くす瞬間。

それは死を向かい入れた時。


死を向かい入れた人間が思う、全ての意味を失くす瞬間とは、どれほど残酷なのだろう。残酷な時間は痛いほど緩やかにそして俊敏に過ぎることだろうと、思う。




そうした死への扉を目前にしたうえでの後悔、その後悔となる対象の中には嘘を吐く人間が入る。



自分を出さないこと。それはすなわちまかり間違えば嘘でもある。

自分のために自分を変えたいという決意の元でしか、人は変わらない。



人の死。それは人であれば必ず訪れること。





舞台の幕を閉じるソノ瞬間、あなたならどうありたいのか――。


時が近づいてから考えるのは本物ではないはず。


いつどんな時であったとしても、死は身近なこと。

ゆえに心に定める中心線にもなるであろう、純真な決意ではないのかと。






だからこそ思う。
自分のために自分を変えたいという決意の元でしか、人は変わらないのではないのか、と……。





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生命の内訳



生命の内訳――、自我という猛獣/自分という精神=精神という猛獣使い/肉体という箱/本当の自分。


猛獣使いというベテランになるまでは年数がかかる。

猛獣と心を通わせた つ も り になった、猛獣使い。
それは死の宣告を今ココで受けているようなもの。



遺伝子に深く刻まれた、自我。獣の血。眠る血。





年齢と共にやり方を変えることを余儀無くされる、猛獣使い。

抑え無き場では幾らでも暴走しようとする、猛獣。



そして猛獣と猛獣使いの住む肉体。小屋という入れ物。



最後に真っ当な精神により引き出される、本当の自分。



それぞれは、役割が異なるもの。





命の内訳がひとりの人間として、この世で生きていくための条件。何よりも猛獣使いの、気持ちの篭った愛が必要。







条件を無視する者たちは
本当の自分を、猛獣という自分に食い殺されてしまうもの。そういうもの。





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心の命

思っていただけと、意思は違う。


当たり前のことだけど、頭の中で混線していたりもする。






浅はかな、気持ちと思考は、
誰かの心を壊すための爆弾のような威力が在ると思う。




無差別に心の命を奪うことができる、爆弾。





また爆弾を落とされたと浅はかに汲み取り、無傷なまま逆恨みをする者も居る。







どうあったとしても感情を基盤に考えた現実は、最悪は、下劣な人間性を生み出す。







爆弾は自分以外の誰かと共に、自分も被爆するもの。


ただその事実に気が付くか、気が付かないかだけの違い。





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プロフィール

HN:
軒龍卑(haruka)
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/11/06
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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