白月光
心理|呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

あなたは本当の自分で生きてますか?

気負いは人工的な感情

人が気負うと誰かが構えをとる。
それは自然のように見えるけど自然ではなく
しいていえば人工的な感情だといえる。


人は本来

気負いなど持つほど大きくなくて

とても小さく

とても無力なもの。


だから

気負うことで自分を大きく見せようと力が入る。


だから

気負うことで負けてたまるかと力が入る。


だとしても

たとえそうだったとしても

それでも

無意味な感情は迷いを増殖させ
自分を混迷させ
心の中に迷路を描くもの。


だからこそ

全ての気負いを捨て

人工的な感情を手放すことは

己に本当の姿を見せてくれるもの。


全ては青い空のように
全ては風になびく枝のように
人も生きているだけなのだと

同じように呼吸をさせてもらっているだけなのだと

そんな風に感じています。

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開放は開放にあらず…

人は心を開放してと善い意味でよくいうけれど


でもさ


それって


なんか違うなってずっと思っていました。


だって

頑なに閉じていたものは中々開くものではないし。


開く瞬間におそろしい恐怖心が襲ってくる。



だから言葉的には通じるけど

変だなってさ…。


で、私的に出した結論。

きっとアレは開放ではなく

手放すというのではないでしょうか。


意味の無いしがらみを
意味の無い拘りを

そんな様々な物事を手放す。


そして自分の居場所に戻る。

そんな気がしました。


なんとなくですが
それらの答えが
雲の隙間から見えた気がしましたよ。

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プログラムと智

知ることへの恐怖心は人間の思考の中にもともとプログラムとして備わっているのでないかと感じている。

だから

人は何かを知る瞬間に恐怖心が生まれ

その恐怖心が現実のシルエットを如何様にでもへんげさせてしまうのだろう。



この恐怖は人の根底に備わっている魂を救うことでしか解決はできないもの。



しかし

その解決へ導くためには

さまざまな手段があり

また

その過程も無限に存在している。



智は魂の曇りを歪み無く省くことのできるひとつのパーツ。


その智は努力の賜物でしかないのだけれど

この努力の賜物が精神の筋力をあげてくれる。

心の不動を培ってくれるもの。

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肉体の中の小宇宙

点という自分の中心点


それは


塵のように柔軟で

姿形を如何様にでも変化できて

空気よりもきっと柔軟なもの



けれども


肉体という型が存在するから

遺伝というプログラムが作動するから


だから

中心点が定まらすに邪魔になるよりは
点の位置を固定した方が楽だったりする



意識して中心点を定めることは

精神と感情の抑圧であり


また


拘ることに拘ることを止めることで

精神と感情が

肉体に共鳴するのかもしれない


その様は肉体の中の小宇宙なのだと
そう思い
そう感じている

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肉体と精神そして感情

肉体と精神

そして感情



これらを受け入れ



これらの道のりを経ていくことで



ようやく

本来の自己へと目覚めることができるもの


故に
潜在意識に潜む敵に対し

執着を解くことにより

精神力が味方となる

敵は我が精神より生み出されるものでしかない

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自己内の全てが保留で接続された観念

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これはこうであるとか

これはきっとこうだろう


そうい考えや思いは生きていれば終始脳内で反映されている。


たとえば
ご飯を食べる瞬間の行動と思考。

そんな他愛も無い行為であっても

自分の中の当たり前というものが存在している。


その当たり前は自分の中だけの常識となり


己の人生を何色にでも染め上げる。


仮に人生という地面へしっかりと足をつけて歩んでいても
色の染料により異なる人生を歩いているともといえる。


些細な出来事への自分の判断が色を如何様にも変化させるもの。
色と色が混じりあいまだらになった暗黒色を描いていたとしても、
人は侵食する悪に気付き辛いもの。
実際に体調を壊すとか、実際に不幸だと思えることが起こって初めて悪の侵食に気付く。

まるで

白蟻が家を蝕み

ある日突然、家に異変が起こったように騒ぎ出す。


けれども

異変は些細な現実の一瞬から起こることが大半なのだ。


自分が自分を騙している人生。
或いは
物語を演じ続ける人生。

どうだとしても
自分の道を歩かなければ残るものは空虚でしかない。


その状況を防ぐ術の一部があるとしたら

こうだろうとか

きっとこうなる

という自分の中の常識を覆す必要があったりする。

白黒の判断は勿論だけど
何に対しても「こうかもしれない」という割合がある。
けど、それらを
ただの可能性程度に利率を下げる。
絶対の観念を捨て

もしかしたら
こういう現実もありだよね。

という観念にしておくこと。

そんなちょっとした心がけが防御となってくれる。また、窮地を救うことがあるのだ。



つまり
そんな「保留」だけで心を作り上げるその姿は
自分の人生を堪能することにも相通ずるものだと…。

全てが
保留という意味と連結したものだけの存在が
精神にも心にも存在する姿。

なにひとつ保留が連結していないものは無い状態。

その空間には
柔軟な自分の中心点が存在している。

そんな風に人の想念を感じています。

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精神と思考の一体化

自己の中の常識の癒着は
自己の中の精神と思考の一体化を妨害するもの。
故に精神へのダメージと成り
何れ姿を現すもの。

固定された自分の中の常識。

その連鎖を解除するには
自分の中の自分と信頼関係を成立していくこと。

また、



これらの「自分と自分」の関係とは




医師と患者という関係ととても似ていて


強靭なそれぞれの無駄の無い純粋な欲が



同じゴールへと向く姿でもあり



その鉄則のもとで

医師と患者が共に歩むであろう治療。
その治療を目指し治療の工程を踏む様と酷似していると思うのだ。





そして

医師にはトップレベルの家庭教師が付く。
更に、家庭教師の口から吐き出される疑問が存在する。


吐き出される疑問は


自己の中で生まれた言葉へ向ける
自己の中の常識を疑う疑問。

家庭教師は答えを決して言わない。
なぜなら
人間の理解を超える機能をもともと脳が持っているのだから
答えなど出す必要もなく。

また

なによりも大切なことは

認識し認知するという自覚への作業を
精神の位置に居る「患者」である自分自身に気付かさせなくてはいけない。


つまり

医師を通し
肉体に混在している患者に

「考える」という行為を医師にさせることで
間接的に「患者であり、精神であり、自分でもある」その部分へ気付きを与えるということになる。


だからこそ
現段階の実力を吐き出す目的を持ち

「自己の中の常識への疑問」へ取り組む

誠実で忠実な医師という名の生徒がいる。




その誠実で忠実な「思考という名の医師」が居てくれるから



「精神としての自分自身。つまり患者」は身を委ね

ありとあらゆることを信頼できるし





自分の今わかりえることやできることをやろうと思えるもの。





それ故
医師が取り組む最初であり最終でもあるテーマは
読解力となるのだろう。

それ故
患者が回復へ向けて取り組んだ結果が
精神の鍛錬となるのであろう。



オセロや将棋の世界に浸っている人間が
何時の間にか自動的に「精神と思考の一体化」へと形成されていくように

人は読解力という分野を開拓していくことでも
精神と思考の一体化が成立するもの。

まあ、簡単に言えば
普段、当たり前のことに疑問を持つことは大切だし
疑問をもったらその都度、本当にそうなのか。という自分の思考への疑問を持つこと。
まあ、筋道が通っているのかいないのか。ということを考え続け、
その時々の自分なりの答えの分だけ、自分の精神力を高めてくれる。

そして、結果的に精神と思考のバランスがとれる。

まあ、その時に必ず起こることは
医師(思考)と患者(精神)のように
たとえ目的は同じであっても
取るべき行為や処置は異なるものだということです。


…最近はそんなことを考えていたりしています。


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もうひと息なんですけど…(泣)

人は自己の中での正が完成してしまい規則的にそのサイクルが回ってしまうことがある。
そして、その正のサイクルとは、本当のことへ付随している出来事のひとつであったりもする。
つまり本当のことそのものではなく、本当のことにより近いかもしれないけど、本当のことでは無いもの。という意味での「自己の中の正」。

ここ最近、これまで分析してきたことが、明確なシルエットで現れようとしている。まあ、当然、自分の中でのことだけどね。

そのシルエットとは、たとえば、AとBの通過点は酷似していたとしても、発信源と向かう矛先(もしくは向かう世界)が異なる。その異なりとは、酷似した出来事に惑わされたとしても、同じように事が動いたとしても、発信源と辿り着くはずの世界が異なるのだから、初めから、同じではない。という奇妙なシルエットを捉えている。

まあ、まだ、記事として書ききれていない自分が少しだけ悔しいかも。

なんていうか、3Dを見れる人と見えない人とがいて、でも、互いが浮き出ない平面の絵を捉えている。その捉えている様は酷似している出来事や境遇。
そして、見える人と見えない人は初めから異なる世界で生きていたし、異なる世界に進んでいるんだよね。ということ。それは仮に家族だとしても充分に在り得る事実な訳で。

つまりはね、平面の絵を互いが見ているから、一瞬、またはそれ以上の期間を「同じ境遇」という風に捉える。
けど、本当は既に違う。いいや、初めからクロスするだけのような。そんな意味なのだけど…。

うーん。うまく言えてないね。

それに本当はその先にも言いたいことがあって。

その先にというよりも、関連しているという方が近いようにも思えるのだけど…。
勢いとかスピード。それを引き出すのも殺すのも力をため込むのも、3Dの技から使えるのだとちょっとだけ発見した。

発見というよりは…正直言うと知っていたし実践もしていた。

ただね、言葉としての文章としての何かが私に欠けていて言えなかったのだけど、言えそうなんだよね。
文になりそうなんだよね。

…と、まあ、そんな感じなんだよ。

そのことに関わっているのは――、
人の底知れぬこわさ。

要は、そのこわさを引き出す側の人間が、どう表現するかにもよる。

なんていうか…。うーん。支離滅裂の文章でごめんなさいですね。

なんにせよ言葉というか…文になったら、懲りずにここ(ブログ)でアップしようと思っているのです。

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プロフィール

HN:
軒龍卑(haruka)
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/11/06
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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