白月光
心理|呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

あなたは本当の自分で生きてますか?

精神力を鍛えるとは欲を制することではなく

子供のうちから精神を鍛えなさいとは昔からよく言われたものです。
山に篭って断食と滝に打たれ座禅を組む。
それじゃなければ、剣道やれ空手やれ習得する。
それ以外で他に楽そうなのは…瞑想とか??

どれもこれも続けていく自信がない。
そう思う人の方がきっと多いよね。

あ、私?
上記のどれかをやっているんだろって?

つか無理(笑)


精神ってなんだと思う?
じゃぁ、その前に本能は?
無意識は?
心理学用語を上げたら疑問だらけになってしまうよね。

私の中だけのことでしか答えられないけど、理解しづらかったりしていたらごめんなさい。

まず本能とは欲。
正式には欲の素。

そして、精神とは思考に最も近い感覚かな。

ついでなんで、おさらい。
欲の素(本能)+思考(正式には、欲の素に同意した考えそのもの)=化学反応=欲の意味を完成させる
となります。

つまり、ここで言う欲の意味を完成させるというその完成した欲とは、
醜く
汚く
醜汚に塗れた
そんな人間の歪んだ様を表現しているつもりです。

そして、欲の素が求めているその欲とは、
自然のまま
あるがまま
自然の法則
といった灰汁(あく)の少ない素材のようなもの。
逆に、欲を完成させてしまうと灰汁ばかりで食用にならない素材となります。

では、精神力とは?

欲の素(本能)から発生する純粋な欲を
静かに見守る力。

この部分の心の筋肉を発達させていくのが智。

そして、その智とは脳エリアのとある部位を意識的に活発に動かさないと(有効な手段という意味での「智」を)使えないのです。まあ、それがどこと思う人は過去記事をあらってください。きっと、見ないとわからないと思うので。
私が脳エリアと言うときはあの行動しかないだろうと気がつく方。たぶん当たっています。まあ、ヒントはテーブルゲームということで(笑)

さて、話は戻しますが、その智を活発に稼動してもらうためのゲームをすることで、智を柔軟に使いこなせる畑に脳がなるのです。が、そのゲームを続けつつ、読解力を養うこと。

小説を読むでもいいし

人間観察でもいいし

文章校正でもいいし

なんにせよ読解力を向上させます。これは間違いなく例のテーブルゲームとかんでいるのではないかと、医学的根拠というか、実を言うと調べてもいないのですが(笑)、でも自信があります。
その読解力を養わずして、本当の意味で精神力が鍛えられることは無理なのではと感じています。



この読解力をなんとかかんとか苦労してやり続けて行くことは勿論ですが、
やり続けていくことで、

欲の素(本能)から発生する純粋な欲を静かに見守る力。

この部分が作動します。
というか、筋力がつくので活性化してくるという意味です。



汚さに塗れた醜い欲ではなく、

自然に発生した純粋な欲。

まあ、この純粋な欲とは、七草のように野草を食するのと似ているかもしれないですね。

なんにせよ、
純粋な自分らしさで生きて生きたいのなら、
例のもの(笑)と読解力を努力在るのみですね。



関連過去記事
それは不浄ではなく生きるために与えられたもの


――――――
 追記です
――――――

欲(の素)を静かに静かに見守る理由は、精神内の生態系をより自然な状態に保つことを目的としています。
つまり本来の自分自身という存在そのものへ近づくための行為です。
また、秘めた可能性を存分に発揮する意味とも当然繋がります。
それと、智と連結した「純粋な欲」を育て、人生に張りを持たせる意味にもなります。

本能は、身体構造上、自然なものであり、
人間は生きるために本能という欲(の素)を与えられている。

本能とは自然の法則に従っているだけで汚いものではないのです。

醜く汚くしているのは、
人間が欲に溺れた瞬間のみ。
この欲に溺れるをたとえていうなれば、
囚われる気持ちに囚われる。そんなところですね。
ちなみに溺れていない状態、つまり欲の素に同意していないとしたら、
囚われる気持ちに囚われない。となるでしょう。

だけれども、それを好き好んで溺れるのであれば、
私は構わないと思う。
突き放した意味での構わないではない。
それは趣向や嗜好と酷似した人生観なのだと思う。


欲(の素)という名の本能に振り回されそうになった時、
どれが本心か見極める分析とも似た読解力。

それが自分を自分でいさせてくれる唯一の精神なのだと
私は思います。

また、それを人間性とも言い表すこともあるでしょう。

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人間性の一部

とある人間が文章として記していた言葉。

ノイローゼは言いたいことを我慢するからノイローゼになるのだ。

そんなことが書いてあった。言いたいことを言っていれば、確かにノイローゼにはならないだろう。
しかし、単に言いたいことのみを表現していた場合はどうだろうか。

その表現する言葉にもよるけど、確実に周りからあぶれていく。ほかされて始めて自分が危険を冒していたことを知り、結果として積極的な言動を慎んでしまうことも在る。

言いたいことを言わないと、怒りや悲しみ楽しい気持ちなど、人の持てる様々な感情が脳に伝達されなくなる。まあ、正式には伝達はされているのだろうけど、自覚が無いのだ。
その自覚の無い中、混乱した思いたちは自分が作った蓋の下へ追いやられていく。

すると、そういう思いたちは蓋の下で暴走する。

蓋は感情を認識も認知もしなくて済むような役割を果たしてくれるから、だから、追いやられた思いたちにとったら好都合。

だけど、蓋から蒸気が上がる。

苦しいよ。

いやだよ。

助けて。

でも蓋が言葉という言葉を遮るから、声は聞こえない。
その代わりに、その言葉を思った時と同様な不快感が自分の感情を支配する。

それが情緒不安定の根源だったりもする。
別にノイローゼになっていなくても、環境の影響なんかでも簡単に心のリズムが乱れるから情緒不安になる人間は結構いると思うよ。

じゃぁ、蓋を取ったらいい。

じゃぁ、言いたいことを言いなさい。

逃げていちゃだめでしょ。がんばって。

なんて、そんな台詞は嘘ばっかりの言葉。
蓋を取れるならとっくに取っているし、
言いたいことを言えるなら既に言っている。
逃げているんじゃないし、前からがんばっているよ。

そんな心の声が届いてきそう…。

私は思う。
辛いのに辛くないなんて言わなくていいと思うし、
楽しくないのに楽しい顔を作らなくてもいいと思う。

だって、辛いのは辛いんだし。楽しくないのは楽しくないのだから。

それでもね、一握りの思いやりを忘れなきゃそれでいいと思うのです。

なんというか、言いたいことを言えない人は大抵が膜のように何かが心の中に張り付いている。
その膜がなんなのかが分からなかったとしても、存在を意識しているのなら構わない。

けど、無自覚だった場合、時として言葉という暴力が生み出されることが在る。
親がしつけと言いつつ子供を怒り任せに殴る。
暴力からは何も生まれやしない。せいぜい敗北くらいなもの。
そんな暴力と同等の言葉。
暴力という名の言葉の武器。


それだとしても、
僅かな配慮を続けること。
それが人間性なのだと思う。

その境地を受け止めようとする者は、いずれ、荒れの無い海中に辿り着くだろう。
また、嵐の無い上空に行くだろう。

例え現実という名の何かが荒れていたとしても、その中で生き抜く自分がいるだろう。

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言葉に因んだお話

さて、昨日はブログをサボってごめんなさい(苦笑)
別に何があったとかじゃないんですが、書けるタイミングを逃してしまいました。
まめに見に来てくれている人には申し訳なかったです。ごめんね。

ところで、人は言葉を使い、言葉(もしくは言葉同様の表現)により様々なコミュニケーションを図ります。
以前も何度か言葉によるお話を記事にしている私ですが、やっぱり、言葉というものは難しいですよね。
こういった記事を書いてしまうと、言葉というものを過剰に意識しすぎ、言葉に密接に関与している自分の思いをあやふやにしてしまうことも、人によっては在るかもしれません。

でもですね、

私が書いている記事は、きっと、何かの一点を指し、
そして、
その一点は、過去から書いている記事と点と線によりリンクしているものなのだと思います。

ただ、
そうはいっても、
ひとによって受け取り方は様々。

なので、やはり、自分なりの絵図があります。

ましてや、私の言っていることが基準だとか私自身も思ってないですからね。
あくまでも、私の中だけの基準によって記事を書いています。


では、お話は本題へと進みます。
最初に話題としてあげた言葉ですが、
例えばですね…

自分にとって答えたくないことを誰かが質問してきたとします。

で、

まあ、仮に質問は
「なんの仕事してんの? 」
だったとします。

で、まあ、私の場合は「占い師」です。

別に占い師をしていることを恥じてるつもりも無く、堂々と言えることなんです。
でも、人によっては「占い師」だと聞いたことで好奇の目を路線の外れた熱い思いで送ってくる人間も居ます。
その思いを私へ送るのなら良いのです。
それが、自分の子供へ送られた場合、

…子供からしたらトバッチリですよね。


だから当然、そういう状況下では

「自営業です」

とかって答えています。
自営業というのも嘘じゃないし。
騙してもいない訳で。

けど、この前、仲良しのAちゃん(仮名)とお話をしている時に、たまたま、この言葉の話が出てきました。

Aちゃんの生活している環境は、誰かにメアドを聞かれることが多いのです。

でも、

やっぱり、

コイツニハ オシエタクナイ。

という状況があるそうで、
そんな時は
「え、だめ。教えないo(-`ω´-メ )」
と、返しているそうです。

パターンとしたら――、
やだ っ ヘ(*゚∀゚)┌θ")´Д`)ノ

とか

やだっ(ノ゚Д゚)ノ ))))))●~*

とか

ヽ(`Д´☆■━⊂(・∀・ ) やだ

とか、あるそうです。

でも、
それなのに、
断られた方はAちゃんに更にしつこくしてくる。

それって、
甘く見られてんじゃんね…。
( 。-ω-)-ω-)-ω-) うーん・・・

ほいじゃ、そういうタイプの奴にはこうすれば?
と、私は思ったことを言った。

(´-ω-)え?いやだ。

ふつうに言えば好いんでないのと。

━━d(。ゝェ・´)━━ナルホドッ

とAちゃんは納得し、そのお話は終わったのだ。

つかそこで私が思ったのは――、

気持ちを前面に出し意思表示したい時ほど、

気持ちを伝えなきゃいけないその相手に
完璧に納得してもらわないといけない。

ってことは、

自分(この場合Aさん)の意見の全てを飲み込ませるためには
どういう口調で言えば分かるのか。
ということだよ。

まあ、このAちゃんのケースで言えば、

あんたには教えたくねp(`ε´q)

が、

丸出し。

だから甘く見られてしまった。


でも、この状況下でのAちゃんの場合は
ふつうの顔でふつうの口調で言ったら伝わるじゃんってこと。

要は、
こういう風にいったら
きっとコイツ(Aちゃん)は怒るだろ
しかも嫌がる。

というのを


「相手は知っててやっている」


訳だから。




要は、


「相手の意表をついてやれば良い」だけ。


そうすれば伝わるし、Aちゃんのムカつきもないよね。



まあ、だとしてもさ。
なんだ、言葉は難しいよ。うん。ほんと。

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人の無情の根底は我が無情だった

誰もが経験する心無き者からの裏切り。世の無情を知り、その後、自分が絶対的に落ち度が無かったとしても自分を省みる人間は、どのくらい居るのだろうか…。

人間であるが故に起こる思い込み。その思い込みをされたことで、ちょっとばかり私は凹んでいた。

一連の状況だけど、まあ、その相手をAさんとしよう。
Aさんは、私が起こした一瞬の態度によって、怒っているのだと思い込んだ。
そして、その「私が怒っている理由」をAさんは考えたというよりも、決め付けたのだ。

決め付けた結果、
Aさんの中では――、

きっと、(私、ハルカは)“Bさんと遊んだ「自分(A)」”のことが面白くないんだ。

という在りえない思考がAさんの脳内で幅を利かせ、妄想は暴走した。
しかも、その妄想の全てを全開で私への言葉として毒舌とともに吐き出した。

…つか確かに、Bを嫌いだ。
でもね、私が怒っていたのはBのところに行ったAを怒っていたんじゃない。
ハッキリ言って、Bの非常識な素行(Aを呼び出すタイミング)に腹を立てていた。

ましてや、

Aに対しそんな扱いをしているBが許せない。
Aのお人よしをなめているとしか思えない。

ほいで、そんな私の気持ちを知らず、Bのところに行ったからだというAの頓珍漢な言動で、私はいささかショックを受けた。

だって、Bがどうこうの前に、
ただ単に、
私の本音は、
さみしかっただけ。
しかも、いじけていただけなんだもの。

ちなみに、本当なら、Aと出かけるつもりで居たから。だから、ちょっとほかされて、素直にさみしかったのだ。

だけど、Aは怯むことなく、弾丸のごとく恐ろしき毒舌を吐きまくっていた。
なぜ、私(ハルカ)が、怒っていたのか。
その理由を述べよと……
執拗に食い下がった。

その勢いの前には、どんな本当の理由も受け入れられず、

唯一、Aが認めようとしていたのは、
Aさんを怒っている私(ハルカ)がいました。だから、Aさんの言う通りです。酷い態度をして、ごめんなさい。

という、行き着く末は、私からの謝罪しか在り得なくなってしまった。


結局、
いいかげんにしろよとスイッチの入ってしまった私。

いかにBが嫌いであり、
利用されているAが哀れだということと、
そういった思い込みで話をしてはいけないのだと説教した。

相手の気持ちがわからないなら、
まずは聞いてからにしなさい。

ほいでもって、

聞いて理解できないなら、
わかるまで聞きなさい。

その後でしょ。
自分の意見(←謝りなさいとか…)を述べるのは。

と、淡々と言ってしまった。

気が付くと、凹んだAがいる。

あああ、やっちゃった。
いじけたいのは、こっちなんですけど(泣)

たった、ひとこと

さみしかったのに

と、

それだけを伝えるために、ここまで言う羽目になった。
まあ、さみしかったは言ったけどさ。
ほいでもさ、Aが思い込みで突っ走るからだよ…。
その思い込みのズレ(Bのことも含めて)から話をしないと、どんなにがんばっても、「さみしい」は伝わらないから仕方なかった。


なのに……。

この世の無情というか何と言うか――、
つか悪いのは私だ…。

第一、思考と感情の違いを理解してもいない、A。
もともと理解すらしきれていないそのAが、感情優先になった時に思考と感情の区別ができるわけが無い。

Aには、
最初から私の気持ちを(態度で)理解してもらうのは無理なわけ。
だからって、私は凄いんだよねとかの自慢じゃないよ。
そういう気持ちはサラサラない。

つまり、Aに対し、
(自分がいじけているということを)態度に出す前に、

要は、
Aには言葉で言わないと分からなかったんだよ。

まあ、つまるところが、私は何時のポイントでも態度だけを出しちゃいけないわけ。
というか、余計に自分が悲しくなるから、そうするしかないのだ。

けど、やっぱり……。情けないわ。


ほいでさー、話は飛ぶんだけどね。
つい先日、私の大事な大事なCが、メールで、自分自身のことでぼやいていた。

世の無情を浮き彫りにしたのは好いけど、
上手くまわせない自分自身が情けないと……。

つまり、自分がまとめるつもりで回したのに、
回しきって理解した相手は、
激落ち凹…。

まあ、わかりやすく言えば、
100vs0でCは悪くない状況だった。
でも、その相手が掻き回すから、それらの状況をCはまとめたのよ。

本当なら、この地点で物事がスムーズに回っているはず…

だけど、

逆に相手がいじけている始末。
しかも、捻くれて…。

つか俺って何なんだよ。

ってな意味なんだよね。


話を聞いたら、登場人物と成り行きが違うだけで、ポジションも考えも、私と全部一緒だし。

はぁー。
なんだよ、C。
おまえもかよ……。

こういうのって、できない自分が悔しいし情けなくなるよね。

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無意識というわからないままをわかるということ

前回の記事で書いた無意識のお話の続きね。

まず、無意識とひとことで言ってしまうのは簡単。

でも――、
本音とは

無意識が意識に上り、

「内なる内へ向ける自分の意思」を知るという行為を

「認識(判断)」ではなく、
「認知(認める)」することで

始めて成立するもの。



けれども、人は、それら無意識を認識さえもしないような「心と、思考の癖」が習慣化されやすい。
つまり、
結局、この部分は、こんな風にしていくものだから、こうやっていくのは仕方ない。

という、正しくは無くても、妥協はあっても、現実に対し「まとも」な答えを出したとするよね。

だけれども、その答えが、どれほどまともなことだったとしても、
その答えを導くために通過する「自分の気持ち」を無視している場合がある。

その無視してしまった本音が生かされないことで、苦しみや悲しみ、また、嘆きとして、自分へ帰ってきているよね。
という、そのひと言を今日は言いたかっただけなんだよね。


まあ、言葉や文章で表現してしまえば、ふうーん。そうなの。程度のお話にも聞こえる。
けど…。これって、結構、自覚せずに生きている人って多いんだよね。
このままでいいんだという人は、それはそれで構わないと思うの。けれども、自分を、今を、未来を、変えていきたいと思っている人にとって、それら無意識という名の「本音」を「認知」できないということは、かなり勿体無いことをしていると考えられる。うん。確かに勿体無い以外の何者でもないよ。

なんせ、無意識というからには、
自覚していないんだもの。
自分の意思とは無関係に感じてしまうようなポイントだし。

意思を持ち、我が運命をこの手で…
なんて熱く感じていてもさ、意思を持たなきゃという以前に、本音を今わかりうる分だけでも感じない限りは、運命に革命を起こせるほどの変化はでないでしょ。

やっぱ、こういう考えって初歩的なことかもだけど…

それでも

初歩的だから大事なんじゃないのかなぁ……。


なんてね、思うのです。

要は――、
繰り返し感じる練習。
自分が本来持っている感性をそのままに感じようとする姿勢。
そして、それらのありのままを理解するための様々な知識。
自由という我侭に思われやすい、ありのままの自分。
天と地と、これらの中に存在するちっぽけな人間と自分。

また、ある種、哲学的な考えを通過するけど、哲学を超える自然の掟。

こういった無限大に展開され、最後にはひとつの点へ帰るような…。なんというか、そういうありのままを捕らえる精神の逞しさは、一生を掛けても辿り着かないかもしれないけど、

それでも、

自分のために考えることが、誰かを守ったり、大切な人を守ることに繋がっているのだと思うの。
自分の無意識が本音であるならば、その本音を無視しているということは、

自分を裏切っているわけでしょ。
つまり、自分に嘘をついているということにもなる。
事実を言えば大切な人を騙していることになる。
だから、結局、大切な人を傷つけてしまう。

それは、自分が未熟だからだよね。

けど、やっぱり、未熟な自分が、守りたかった誰かを傷つける辛さは耐え難いもの。

だからこそ、自分が自分にどこまで正直になれるか挑めたなら、今よりは、大切な誰かを傷つけることは少なくなるでしょ。

そう考えれば、未熟を嘆くことだけに、思考が留まったりはしないと思うんだよね。


まあ、それもこれも占い師という立場からじゃなく、ただの人間としての私からの言葉です。

だから、きっと、こういったことを書いていても、

偏った捕らえ方とか、

物凄く未熟な部分とか、

そういうのが無いわけが無くて。


それでも、一生懸命、何かを感じようとしてくれる人がここに訪れてくれる。

仲間じゃないかもしれないけど、
それでも心の中で何かと何かが繋がる。

だからこそ、
人が自分らしく生きていけるその中心へ、
共通する何かを共有している人と一緒に、
迷いながらもすすんでいけたなら好いのにな…。

……なんて思っています。

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女の常套(じょうとう)手段

女が甘える時というのは猫のように喉を鳴らすとは限らない。それは年齢に関係なく起きている事情というもの。

先日、とある10代の男の子が悩んでおりました。彼女が別れると言い張るのだと…。で、いろいろ事情を聞き、ははぁーん。猫が喉を鳴らす代わりに威嚇(いかく)しているのねとは思ったものの、本人は冗談も何も通用せずぶんぶん振り回されておりました。
かわいそうに…。キミは、女の常套(じょうとう)手段の毒牙にハマッてしまったのね……。

女とは、どうしてこうも素直にいけないのでしょうか。戦時中の大和撫子の変形がコレなんだろうか。
ま、私もひとのことをどうこう言えるほどかわいいことを言っていないよ。ほいでも、言う時は言うさ。だって、伝えるだけなら何でも良いけど、伝わるためには、かわいい猫のようにならないといけないときもある。

ただ、この猫を「うそ臭い」とか、「わざとらしい」とか、「男に媚びている」という風に考えてしまうと、そりゃぁ、あなた。意味が違うよねとなる。作り物の猫ちゃんは、化け猫になり、何れ男から逆襲されてしまうのがおち。やってきたことへの罰が還るみたいな、そんな感じだよね。

猫ちゃんのように甘えてくれなくなると、大抵の男は浮気に走ってしまう。うん。まさに競技場で繰り広げる地区大会さながらに駆け抜けていく彼。応援する女は猫の威嚇並みに「しゃぁーしゃぁー」と、釣り目になり全身の毛を逆立てている。

ゴールはコッチなのに…。何処へ行くの?

そう思ったときは既に遅く……。

ゴールテープの前に、黄色い奇声を発しながらかわいい猫ちゃんが勢ぞろい。

……てめぇ……何処に行くんだよ。と、悲しみに暮れる間も無く、怒りに震えて横っ飛びする、猫……。


「携帯からはコッチ(横っ飛び)」
http://www.youtube.com/watch?v=oF4wNmCNJW0

たまには、怒りに震えて横っ飛びもしゃぁーないけどさ。
ほいでも、いつもいつもだと男も安らぎの居場所を無くしてしまう。
かといって、ごろごろと喉を鳴らしっぱなしもある意味同じだったりするわけで。

つまるところが、自分らしく輝いているヤツのところには、男でも女でも、何れ戻ってくるもんだよね。
つくりもののごろごろ喉鳴らしは、身の毛もよだつけど。ほいでも、そんなものでも必要な時があったりもする。

だとしても、駆け引きしない自然体。でもってまんまの猫でいれるのが一番だよね。

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私は、自分が生き残るために両親と姉を殺しました(帯より引用)

ひとつの小説を読み終えた。殺し合う家族…。
速攻で、読み切ってしまった。しかも二日程度で読み上げたし。

なんというか……。

やっぱ、気分悪いわ。予想通り、中に入り過ぎて吐き気もきた…。

どうして、そんな惨劇が起こったのか――、
その「不自然なほどの動機」は、惨劇という状況に打ち消され隠れていた「心理」。

隷属と成り逝く心理はノンフィクションではなくとも充分に伝わるものがあったし。

筆者が構成に年月を要したのも頷ける。

きっと、構成中に筆者が得た体験は、寝ても覚めてもおぞましいくらいに殺人者の心理を自分の心理のごとく捉えてしまった感覚があったんじゃないだろうか…。でなければ、あの作品はできないでしょう―。とも、思ったよ。

まさに、五年ものの漬物だな。
つか二週間前後(ハルカ漬けの話)でもどっぷり漬かるのはキツイのに、五年でしょ。…五年。
その五年って、(筆者が)殺人者の心理にピタリとなりきるまでに要した年月なのかもと考えてしまうよ。
うーん。御言葉も無いです。

人間の奥底から湧きあがる恐怖心。時として、その感情は人間を動かす原動力と成り、罪を犯すこともある。
罪悪感は罪を重ねるごとに現実感を麻痺し、精神を破綻させることもある。
それは、根底から湧き出るものが、怒りであれ、恐怖であれ、絶望であれ、人を動かすには充分なものだと思える。


ただ、罪について言うなれば――、
この世は、同じことをしても、捕まる者と捕まらない者が居るというだけのことだと思うのだ。

誰かに踊らされ、犯罪に手を染める。

欲のために、道化と成り、使い捨ての道具のごとく利用される。

例え、操られ、脅迫を受けようと、犯罪に手を下したのが自分ならば「己自身の意志」。

それだとしても、何があったとしても、我に返り現実を受け入れたとしても、時、既に遅し――。


「殺し合う家族」新堂冬樹(徳間書店) ちなみにハードカバーです。

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タワーマシーンとパパロボとママロボ

親子の絆って何だろうね……。

最近知ったこと、その1。若い子は親を嫌いな子が多すぎる。というか、嫌いなのが当たり前という流行に近い何かを感じました。しかも、みんなが嫌っているから自分もそう思うのが当然だって思ってしまう。というか、確実に信じ込んでいる可能性の方が高いんじゃないかな。それも無意識に。ひょっとして、社会現象的な集団催眠かもね…。

それって、親からしたら、いやだ。さみしいよね。

でも、きっと、改善されないかもしれない親なら、こういう話を聞いて、きっと、ムカつくのかな?
今時の若い子と親の関係って、どこか感覚が違う気がするんだよね。
あ、全ての親子じゃないよ。

ただ、心配なのは、というか、気になる親子間というのは両親が揃っている場合だよね。社会的に地位があるとかさ。
その場合、どうしても子供の痒い部分をかけないし、子供の相手もままならなかったりもする。
すれ違いが誤解を招きやすかったりもするし。
しかも、親の地位が高かったりすると、子供も期待に添えないと「家の恥」になるから、子供もがんばっちゃたりもする。

だけど、愛を貰えないと心が死にそうになるから、反抗してみたりもする。代理愛だね。
まぁ、その辺は無意識だろうね。意味もなくイライラするとかが関の山だ。心が悲鳴をあげているなんて思いもしない。痛いよね…心。

だからさ、今時の若い子はばかみたいに友達作りに集中するんでしょ。家族に見放され、仕方ないから形だけの友達を重要視する。こういう時って形だけでも良いんだよね。いないよりはマシだったりする。正しくは無いけど彼らの本音なんじゃないかな。
ま、家族に見放されていなくても、見放されているという刷り込みがされている。つまり、親を嫌いという流行があるでしょ。それが既に刷り込みだよねということ。

…でもさ、親とケンカして家出するとかあるでしょ。あれって、友達から「おまえ、すげぇな―」とか、「大丈夫かよ―(泣)すげぇ心配なんだけど」とかって、(ヒンシュクをかってたとしても、とりあえず)言われたりしてさ。
ほいで、その後、子供同士の世界で自分の地位を自動的に確保しちゃうのだ。
なんか、その地位の確保って、遠吠えに近いかも。吠えておけば来ないだろって感じかな。親なんかこわくないんだぜ、とかさ。やる時はやるヤツだし、っていうような印象を植え込んでおくような感じだ。
だけどもね、それ(地位の確保)さー、子供は気がついてないだろうけど、形には現れない自虐行為そのものだよね。体を切るか、心を切るか、というだけの違いでリストカットと一緒でしょ。第一、子供の世界は感覚が違うもん。

世の弱肉強食の荒波は、子供にとってなんの意味があるのだろうね。
学歴社会の名残は未だに残留してて、原型が隠れながらも残っているし。
そんなに生き急いでどうしたいのか。

知れば知るほど、子供から見た社会は、タワーマシーンのようだよ。
お金を持ってくるパパロボ。
ご飯を作るママロボ。
たまに口を開けたかと思うと、気持ちを全部聞こうとする前に、小言、小言。
もう、うんざり。何も分かってなんかいないじゃんか。
理想の子と話しでもしているの?あなたが思っているような子供は居ないから。
しかも、それは自分じゃないし。
だから、うるさいロボは要らない。


ああ、なーんだ、だったら自分はロボを操れば良いのか――。
ってね。


苦肉の策なんだろうが………。


被害者には違いないわ。


大人から見た社会は、どんな社会なんだろうね。
見える世界なんて人それぞれ違うけどさ―。

心が破壊され脳が破壊され、それでも生きていなきゃいけない子もいる。

でもね、パパロボとママロボの期待に答えるべくしてがんばった知識は、虚しいかな、脳内だけで反映される。だって、(お勉強の)お陰で行動だけはできるもの。ただ、行動と真逆に気持ちがあるのだ。だからこそ、余裕で世渡りだけはできてしまう。世渡りができてしまう自分を大嫌いだったりして…。嫌いにもなるよね。自分の存在も恨めしいだろうし。

いつもいつも満たされない餓えた心。腐敗して混線した感情。常に意識するのは自分の位置。全てが悪循環だよ。

だとしても、なにがあっても、なんだったとしても、最後は自分の力です。
それは分かるけど、なんだろうね…この気持ちは。

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プロフィール

HN:
軒龍卑(haruka)
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/11/06
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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